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婚約破棄された令嬢ですが、偽聖女の嘘まで聞こえます  作者: 景都 (けいと)


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第67話 ギルドマスターの嘘

カスカーラ冒険者ギルド本部は、港に面した石造りの要塞だった。


 受付で面会の申請を済ませ、案内を待つ。ロビーの壁に貼られた依頼書の中に「最深部探索禁止」の赤い掲示が混じっていた。インクの色は褪せていない。定期的に貼り直されているのだろう。


 ルシアンが壁際に立ち、腕を組んだ。碧眼がロビーを走査している。


「赤い掲示が三枚。念入りですわね」


「安全のためなら一枚で済む。三枚貼るのは、破る奴がいるからだ」


 ギルドマスターの執務室は三階にあった。


 石の階段を上がりながら、リーナは壁に掛けられた歴代ギルドマスターの肖像画を横目で追った。この街のギルドは三百年の歴史がある。帝国が崩壊しても、連合が内戦を起こしても、冒険者ギルドだけは中立を保ち続けてきた。


 少なくとも、表向きは。


「リーナ・クレスタフェルデ嬢。入られよ」


 扉の向こうから、低い声が響いた。


 執務室に足を踏み入れた瞬間、リーナの鑑譜眼が自然に発動した。瞳が金色に点る。


 ギルドマスター、ハインツ・ヴォルフガング。五十代半ば。灰色の髪を後ろに撫でつけ、右頬に古い刀傷がある。分厚い樫の机に両肘をつき、来客を値踏みする目をしていた。


 核紋から流れる旋律を聴く。


 地属性の重厚な基調。冒険者としての誠実さは本物だった。だがその奥に、外部からの圧力の残響が絡みついている。何年も前から、繰り返し。


 リーナは一歩前に出た。


「お時間をいただきありがとうございますわ、ギルドマスター」


「帝都の鑑譜師が、わざわざこの辺境まで何用かな」


 辺境という言葉に力を込めている。帝都の権威がこの街では通用しないと釘を刺す、古参冒険者の矜持。


「単刀直入に申し上げますわ。ダンジョン最深部の立入禁止措置について、お聞きしたいのです」


 ハインツの目が細くなった。刀傷のある頬が僅かに動く。


「最深部は危険地帯だ。金級以上の冒険者でさえ帰還率は三割を切る。立入禁止は冒険者の安全を守るための措置だ」


 リーナは微笑んだ。瞳の金色が深まる。


「面白い旋律ですわね」


「何?」


「ギルドマスター。あなたの核紋には、今の言葉に二つの不協和音が含まれておりますわ。『安全を守るため』という部分と、『措置だ』という部分に」


 ハインツの肩が僅かに強張った。椅子の肘掛けを握る指に力が入る。


「帝都の令嬢に、ギルドの運営方針を批判される覚えはない」


「批判ではありませんわ。わたくしはただ、旋律を聴いているだけですの」


 リーナは一歩近づいた。ルシアンが後方で腕を組んだまま壁にもたれている。その存在だけで、執務室の空気に緊張が加わる。


「最深部の立入禁止措置は、あなたの判断ではない。外部から指示があった。違いますかしら」


 沈黙が落ちた。


 窓の外で海鳥が鳴いた。港の波が岸壁を叩く音が、遠く聴こえる。


 ハインツの拳が机の上で握りしめられた。核紋から、古い残響が浮き上がる。五年前、十年前。定期的に届く書簡。金印の封蝋。資金提供の見返りとしての条件。最深部への立入制限。


「ヴァレンシュタイン家と繋がるグリフォンハート公爵家の意向ですわね。ギルドへの資金提供と引き換えに、最深部の封印の核に誰も近づけないようにした」


 ハインツが立ち上がった。椅子が後方に押しやられ、石の床を擦る音が鳴った。大柄な体が机を挟んでリーナと対峙する。


「嬢ちゃん。ギルドは中立だ。どの公爵家の犬でもない」


「ええ、あなたの核紋はそう叫んでいますわ。中立でありたいという旋律は、本物です」


 リーナは一拍置いた。


「でもギルドマスター。中立でありたいことと、中立であることは違いますわ」


 ハインツの灰色の瞳が、リーナの金色の瞳と正面からぶつかった。


 長い沈黙。机の上の茶から、もう湯気は立っていない。


 やがて、ハインツは深い息を吐いた。肩から力が抜けるのが見えた。


「……何が望みだ」


「最深部への調査許可ですわ。封印の状態を確認しなければなりません。これは帝国の安全に関わる案件です」


 リーナは懐から一通の書簡を取り出し、机の上に置いた。


 皇帝レオハルト三世の紋章が押された勅書。紫の封蝋に皇帝家の獅子が刻まれている。皇帝代理としての調査権限を認める正式な文書。ルシアンがシュヴァルツベルク家のつてで手配したものだった。


 ハインツが勅書を手に取り、文面を読んだ。厚い指先が羊皮紙の上を滑る。その指が微かに震えている。


「……皇帝陛下の勅書か」


「グリフォンハート公爵家の資金と、皇帝陛下の勅書。どちらが重いか、ギルドマスターにはお分かりになりますわよね」


 ハインツは勅書を机に戻した。視線が一瞬だけ窓の外に向かう。港の向こうに広がる海。中立のギルドを率いてきた男の、長い葛藤が灰色の瞳に映っていた。


 やがて腰を下ろした。


「……最深部への同行者を一名つける。ギルドの規則だ。それ以外は、お好きにされるがいい」


「ご協力感謝いたしますわ」


「もう一つ」


 リーナは踵を返しかけて、振り向いた。


「グリフォンハート公爵家からの書簡が、今後届くこともあるかと存じますわ。ですがギルドマスター、皇帝陛下の調査が完了するまでは、最深部に関する一切の指示に従わないでくださいませ」


 ハインツは黙って頷いた。


 リーナは一礼し、踵を返した。


 扉の前でルシアンが待っていた。回廊に出ると、石の通路にリーナの靴音だけが響く。窓から差し込む午前の光が、廊下の壁に白い帯を描いている。ルシアンが小さく息を漏らした。


「やり方が上手くなったな」


「あら。最初から上手でしたわ」


「……勅書を出すタイミングのことだ。最初から出せば反発される。嘘を指摘してから出す。相手に逃げ道を与えつつ、従う理由を作る」


 リーナは答えなかった。ただ微かに口角を上げた。


 階段を降りる。石段を踏む靴音がギルド本部の壁に反響する。


 一階のロビーに差し掛かった時、リーナの鑑譜眼が不意に反応した。


 瞳が金色に灼ける。


 あの旋律だ。昨夜、酒場の奥から聴こえてきた旋律。空の器に無数の欠片を詰め込んだ、嵐のような和声。前にこの街で聴いた時より、明らかに強く、複雑になっている。


 ロビーの隅に、一人の少年が座っていた。


 黒髪。灰色の瞳。短剣を膝の上に置き、革紐で柄を巻き直している。以前より肩幅が広くなり、背も伸びていた。ダンジョンに潜り続ける日々が、少年の体を鍛え上げている。けれどあの核紋は間違えようがない。


 リーナは足を止めた。


 あの旋律だ。

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