第60話 大崩落の真実
帝国議会の特別査問会は、大議場で開かれた。
天井の高い円形の議場。五段に組まれた傍聴席が中央の壇を取り囲み、三百を超える議席が埋まっている。帝国旗が壁面に掛けられ、星神教の紋章が正面の壁を飾っていた。
議場の空気は重かった。
緊急動議による特別査問会。帝国法典第三章に基づく手続きは百年ぶりだと、議会事務局の記録は示していた。
壇上に向かって右手の席に、ヴァレンシュタイン公爵アルベルトが座っていた。白髪交じりの金髪。鋭い灰色の瞳。五大公爵家の筆頭当主は、腕を組んだまま微動だにしない。その隣にディートリヒ。そしてエーデルシュタイン家の代理人が二名。
左手の席に、リーナとルシアンが並んでいた。
リーナは銀髪を簡素に編み込み、深い紫のドレスを纏っている。装飾は最小限。星脈鉄のイヤーカフだけが、左耳で微かに光っていた。
議長クロイツフェルト伯爵が槌を打った。
「帝国議会特別査問会を開廷する。本件は、クレスタフェルデ伯爵家リーナ・クレスタフェルデによる緊急動議に基づき、封印劣化の実態および関連する隠蔽工作の有無を審議するものである」
議場に囁きが走った。議長が「隠蔽工作」という語を使ったことに、ヴァレンシュタイン派の議員たちの顔が歪んだ。
「報告者、壇上へ」
リーナが立ち上がった。
三百の視線が集まった。議場の空気が張り詰める。リーナは一歩一歩、壇上に向かって歩いた。靴音が議場の石畳に響く。
壇上に立つ。
目の前に、帝国議会の全議員がいる。右手にヴァレンシュタイン公爵。その灰色の瞳が、リーナを射抜くように見つめている。
リーナは深く息を吸った。
「帝国議会の皆様。本日わたくしは、封印劣化に関する緊急報告書を提出いたします」
声は静かだった。しかし議場の隅まで届く、澄んだ声。
「報告書は三部構成です。第一部、封印劣化の実態。第二部、隠蔽工作の証拠。第三部、大崩落の真因。順を追ってご説明いたしますわ」
* * *
第一部と第二部の説明に、一刻を要した。
リーナは証拠を一つずつ提示しながら、封印劣化の進行状況とヴァレンシュタイン家の情報統制を解説した。星脈劣化の観測データ。封印遺構の記録図。議会に提出された虚偽の調査報告書と、実際のデータの乖離。
議場の空気が、説明が進むにつれて変わっていった。当初は懐疑的だった中立派の議員たちの表情が引き締まり、ヴァレンシュタイン派の議員たちの額に汗が浮かんだ。
リーナの鑑譜眼は、議場全体の旋律を聴いていた。瞳が金色に光るのを、議員たちは見ている。あの瞳が発動しているのだと、誰もが理解していた。
「それでは、第三部に移ります」
リーナが言った。
議場が、一瞬で静まり返った。
「大崩落の真因について」
ヴァレンシュタイン公爵が、初めて動いた。
「議長」
低い声が議場に響いた。アルベルトが立ち上がっている。
「この女は証拠能力のない鑑譜眼なる能力を根拠に、我が家への誹謗中傷を繰り返しております。帝国議会の品位を汚す行為であり、即刻退場を命じるべきです」
議場がざわめいた。
議長が槌を打った。
「公爵。緊急動議の報告中に発言権はありません。着席されたい」
「しかし」
「着席を」
議長の声は冷静だった。クロイツフェルト伯爵の灰色の瞳が、公爵を真っ直ぐに見据えている。
アルベルトが唇を噛んだ。ゆっくりと、席に戻った。
リーナは壇上から、公爵の核紋を視ていた。
瞳が深い金色に染まっている。鑑譜眼が全開になっていた。
公爵の核紋から、嘘の旋律が溢れ出している。「誹謗中傷」は嘘。「証拠能力がない」も嘘。彼は知っている。報告書の内容が全て真実であることを。
そして、その奥に。
残響が聴こえた。
百年分の嘘が積み重なった旋律。代々のヴァレンシュタイン家当主が継承してきた秘密。封印実験の記録。大崩落を隠蔽する決断。聖女条件の操作。全てが、一人の男の核紋の中に凝縮されている。
リーナは目を閉じた。一瞬だけ。そして開いた。
「ヴァレンシュタイン公爵」
静かな声が、議場に落ちた。
「あなたの核紋には、百年分の嘘が刻まれていますわ」
議場が凍りついた。三百人の議員が息を呑んだ。
「百年前、ヴァレンシュタイン家の当主は封印のエネルギーを兵器に転用する実験を行いました。実験は制御不能になり、大崩落を引き起こした。百万を超える命が失われた。天災ではありません。人災です」
リーナは報告書の第三部を掲げた。
「この文書は、ヴァレンシュタイン家の封印研究室に保管されていた実験記録の複写です。暗号化されていましたが、解読に成功しました。実験責任者の署名。実験日時。暴走の記録。全てが記されています」
アルベルトが再び立ち上がった。
「でたらめだ」
声が震えていた。先ほどの冷静さは消えている。
「その文書は偽造だ。あるいは、鑑譜眼なる幻術で改竄したものだ。我がヴァレンシュタイン家が大崩落を引き起こしたなど、荒唐無稽な」
「公爵」
リーナが、穏やかに遮った。
「今のお言葉にも、不協和音が七つ聴こえましたわ」
議場が再びざわめいた。
「『でたらめ』は嘘です。あなたはこの報告書の内容が真実であることを知っています。『偽造』も嘘。あなたは研究室に実験記録が保管されていることを知っています。『荒唐無稽』も嘘。あなた自身が、先代から大崩落の真相を引き継いでいるからです」
アルベルトの顔から、血の気が引いた。
灰色の瞳が見開かれている。唇が微かに動いたが、言葉が出てこない。
「そして」
リーナの紫の瞳が、深い金色に輝いた。議場の照明を受けて、鑑譜眼の光が三百人の議員の目に映っている。
「あなたの核紋の残響には、『隠蔽を続けろ』という先代からの指示の旋律が刻まれています。代々の当主が、次の当主に引き継いできた嘘。百年の間、一度も途切れることなく」
沈黙が、議場を満たした。
ディートリヒが青ざめた顔で父を見つめている。彼は知らなかったのだ。大崩落の真相を。核紋の残響にはその旋律がない。父は息子にさえ、真実を伝えていなかった。
議長が槌を打った。
「報告者の陳述を記録に留める。帝国議会は、本報告書の内容に基づき、ヴァレンシュタイン家に対する正式な調査の開始を決議する。公爵閣下には、調査への全面協力を求める」
アルベルトの拳が、椅子の肘掛けを握りしめた。木が軋む音がした。
議場が動き始めた。議員たちが立ち上がり、囁き合い、報告書の閲覧を求める声が上がっている。
* * *
議場を出たリーナを、ルシアンが待っていた。
回廊の柱の影に立ち、碧眼がリーナの顔を見つめている。
「終わったな」
「いいえ」
リーナは首を横に振った。銀髪が肩の上で揺れる。
「始まったのですわ。調査が始まれば、ヴァレンシュタイン家は追い詰められますわ。でも追い詰められた獣が最も危険だということは、あなたが一番よくご存じでしょう」
「ああ」
ルシアンが頷いた。
「シュヴァルツベルク家の警護を二倍にする。お前の実家にも人を配置した」
「ありがとうございますわ。あなたがいなければ、わたくしは壇上に立つことさえできませんでしたわ」
リーナは回廊の窓から、帝都の街を見下ろした。議会の尖塔が午後の陽を受けて白く光っている。その向こうに、聖域山脈の稜線が霞んで見えた。
ヴァレンシュタイン公爵の顔から血の気が引いた瞬間を、リーナは思い出した。百年の嘘が崩れ始めた瞬間。あの灰色の瞳に浮かんだのは、怒りでも憎悪でもなく、もっと深い何かだった。
しかしリーナは知っていた。
これは始まりに過ぎない。真の審判は、まだこれからだと。




