表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された令嬢ですが、偽聖女の嘘まで聞こえます  作者: 景都 (けいと)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/71

第46話 あの夜の旋律

宿の一室に戻っても、あの旋律が耳から離れなかった。


 グリュンハイムの夜は静かだ。窓の外では虫の声がかすかに聞こえるだけだった。


 リーナは寝台の端に腰を下ろし、両手を膝の上で組んだ。


 あの少女の核紋。透明で、深く、大地そのものと呼応するような音。


「……聴いたことがありますの」


 リーナは自分の声が、宿の薄い壁に反響するのを聞いた。


 記憶が遡る。婚約破棄の夜。宮廷の大広間を追い出され、東回廊を一人で歩いていたあの時。覚醒したばかりの鑑譜眼が、柱の陰で泣いていた少女の核紋を拾った。


 あの旋律だ。


 当時は覚醒直後で、判別する力がなかった。ただ「透明で美しい」としか感じ取れなかった。しかし今の鑑譜眼なら、旋律の一音一音まで聴き分けられる。


 同じ旋律。同じ少女。


* * *


 翌朝、リーナは調査団の宿舎に設えられた仮の書庫を訪れた。


 書庫と言っても、元は宿の食料庫だった部屋だ。石壁は冷たく、天井は低い。しかし乾燥した空気が文書の保管には向いている。帝都から運び込まれた木箱が三つ、壁際に並んでいた。


 封印調査団には、聖域山脈の封印に関する文献が持ち込まれている。リーナが目を通したのは、大聖女アリーシア・ローゼンクロイツの記録だった。


 百年前の書物は紙が黄ばんでいるが、インクは不思議なほど鮮明だった。


「アリーシアの核紋は、既知の七属性のいずれにも該当しない異質な旋律を示し……」


 リーナは文面を指でなぞりながら、呟いた。


「星脈に直接呼応する力。失われた第七の属性——『星属性』」


 鑑譜眼を通さなくても、この記述に嘘はないと直感できた。昨日、薬草園で聴いた旋律と、百年前の記録が描く星属性の特徴が、完全に一致している。


 リーナの瞳が紫から金色へ変わった。文書の紙面を視ると、インクの奥から微かな旋律の残響が立ち上る。百年前の筆者の核紋の痕跡。研究者としての誠実さが、淡い和音として聴こえた。


 嘘のない記録だ。


「星属性は大崩落以後、保持者が途絶えたとされていますわ」


 リーナは文書を閉じた。指先が、かすかに震えていた。


「途絶えたのではない。隠されたのですわね」


 リーナは記録をさらに読み進めた。アリーシアが封印を施した際の術式構成。星脈の流路を制御するための旋律設計。そして封印が「三つの核」で構成されていたという記述。


「三点封印。帝都、辺境、迷宮……」


 三つの地脈の交差点に、それぞれ封印の核が置かれている。どの一つが欠けても、封印の全体が崩壊する構造。


 リーナは記録の余白に目を留めた。誰かが鉛筆で薄く書き込んだ注釈がある。インクの文字よりずっと新しい。


「『星属性の系譜については機密事項につき削除済み』……」


 削除済み。誰が削除したのか。リーナの鑑譜眼が鉛筆の筆跡に反応した。書き込んだ人物の核紋の残響はかすかだが、学者ではない。行政官、あるいは検閲官の核紋だった。


 百年前の記録に、後から検閲が入っている。星属性に関する情報は、意図的に消されていた。


* * *


 昼過ぎ、宿の中庭でルシアンと合流した。


 調査団の他の団員たちは封印遺構の外周調査に出ている。中庭には二人だけ。ルシアンの口調は「俺」に切り替わっていた。


「文書の照合は終わったか」


「ええ」


 リーナは腰を下ろし、膝の上で指を組んだ。


「あの少女の核紋は、大聖女アリーシアの記録に記された星属性の旋律と一致していますわ」


 ルシアンの碧眼が細くなった。


「星属性。百年前に途絶えたはずの」


「はずの、ですわ。現に、あの子の核紋は星脈そのものと呼応していた。昨日聴いた旋律は、光属性とは根本的に異なりますの。もっと深くて、もっと古い音」


「帝国聖女の条件は光属性S級だ。星属性は鑑定の測定対象にすらなっていない」


「だからこそ、見過ごされた。あるいは」


 リーナは中庭の石畳を見つめた。


「意図的に、排除された」


「ルシアン」


 リーナは顔を上げた。


「あの子は、聖女候補より遥かに重要な存在かもしれませんわ。星脈に直接触れる力。それは封印を修復する力であり、大崩落の真実に辿り着く鍵でもある」


 ルシアンは腕を組んだまま、リーナの顔を見ていた。その碧眼に、何かを計算する光が宿っている。しかし鑑譜眼を使わなくても、彼の旋律に嘘がないことはわかっていた。


「あの子の名前は聞けたか」


「いいえ。山守の男が、会話の前に追い返しましたもの」


「あの男、厄介だな」


「厄介ですけれど、嘘はありませんでしたわ。あの少女を守ろうとする意志だけは本物です」


 ルシアンが碧眼を細めた。


「帝都の調査団を門前払いする胆力。ただの山守ではないな」


「ええ。おそらく、あの少女を辺境に匿った誰かの意思が、あの男の背後にある」


「明日、正式に訪問する。俺の方で話をつける。皇帝代理の書簡があれば、さすがに断れないだろう」


 リーナは頷いた。そして視線を中庭の向こうに移した。薬草園のある方角。あの旋律がまだ、微かに風に乗って聴こえる気がした。


* * *


 夜になった。


 宿の窓辺に座り、リーナは星空を見上げていた。グリュンハイムの星は、帝都で見るよりずっと近い。降ってくるように明るく、一つ一つが脈打っているように見えた。


 あの夜を思い出す。


 婚約破棄の夜。ディートリヒの言葉。「お前の目が気味悪い」。その衝撃で覚醒した鑑譜眼。東回廊を歩き、柱の陰で泣いていた少女と擦れ違った。


 あの少女に、何と声をかけたのだったか。


「泣いていても、何も変わりませんわよ」


 そう言った。自分自身に言い聞かせるように。


 あの少女が今、この辺境で大地を癒している。偶然だろうか。あの夜に全てを失った二人が、同じ場所に辿り着いたのは。


 なぜこの少女が、宮廷から追放されたのか。


 星属性の持ち主。大聖女の血筋に連なるかもしれない存在。それほどの力を持つ者が、なぜ辺境に追いやられ、山守の男一人に守られているだけなのか。


 答えはおそらく、帝都にある。ヴァレンシュタイン家が百年間隠し続けてきた嘘の中に。


 リーナは窓を閉じた。明日、あの少女に会う。今度は、名前を聞く。旋律の向こう側にある真実を、聴きに行く。


 グリュンハイムの夜が、静かに更けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ