第42話 調査団の編成
皇帝代理の勅令が、帝都に響いた。
「星脈異常の実態を調査するため、封印調査団を編成する。各公爵家は調査に必要な人員と資材を供出せよ」
リーナは議会の傍聴席でその宣告を聞いていた。皇帝レオハルト三世は表に出ず、宰相が代理で読み上げている。宰相の核紋に鑑譜眼を向ける必要はなかった。勅令そのものは本物だ。皇帝が事態を無視できなくなったということ。
問題は、調査団の主導権を誰が握るかだった。
* * *
議場の控え室。ルシアンがリーナの元に来た。
周囲に人はいない。ルシアンの口調が「俺」に切り替わった。
「調査団の編成会議が明日ある。シュヴァルツベルク家から俺が出る」
「当然ですわね。星脈の変動データを最も多く持っているのは、交易網を持つシュヴァルツベルク家ですもの」
「お前を同行させたい」
リーナはルシアンを見た。碧眼が真っ直ぐにリーナを見返している。
「鑑譜眼がなければ、現地の報告が本当かどうか判断できない。ヴァレンシュタイン家の報告官が嘘をついているなら、現地でも同じ手を使う可能性がある」
「わたしが調査団に加わる名目は?」
「シュヴァルツベルク家が雇用した鑑定師。交易品の品質鑑定という建前で、書類は整えてある」
リーナは口元に薄い笑みを浮かべた。
「用意がよろしいですわね」
「昨日のうちに準備した」
その声に、鑑譜眼を使うまでもなく嘘がないことはわかった。この男は、リーナが同行すると決める前から動いている。
* * *
翌日の編成会議は、予想通り荒れた。
帝国議事堂の小会議室。長机を挟んで、各公爵家の代理人が並んでいる。
ヴァレンシュタイン家からは、騎士団の副官が出席していた。ディートリヒ本人ではない。議会での追及を受けている騎士団長が、さらに封印問題にまで首を突っ込めば火に油を注ぐことになる。
「封印調査は、従来通りヴァレンシュタイン家の管轄で行うべきです。封印研究の専門知識を持つのは我が家のみ。他家が介入しても、正確な調査は不可能でしょう」
副官の声は落ち着いていた。しかしリーナの瞳が金色に光った瞬間、その言葉の裏から不協和音が聞こえた。「他家が介入しても正確な調査は不可能」は嘘ではない。ただし、データを独占しているから他家には調査能力がない——自分たちが作り出した独占体制を、さも自然な前提のように語っている。
ルシアンが口を開いた。公的な場。口調は「私」だ。
「ヴァレンシュタイン家の専門知識は尊重いたします。しかし、調査の費用はどちらが負担するのでしょうか」
会議室の空気が変わった。
「封印遺構の調査には、現地への人員派遣、宿営設備、護衛の騎士、魔導具の消耗品。シュヴァルツベルク家の試算では、全調査地を巡回する場合、金貨にして八百枚以上が必要です」
副官の顔色が僅かに変わった。
「ヴァレンシュタイン家が調査を主導するのであれば、当然、費用もヴァレンシュタイン家が負担なさるのでしょう。騎士団の予算は先日の議会で追及を受けたばかり。まさか帝国の国庫から拠出するとは仰らないでしょうね」
沈黙が落ちた。
ルシアンは表情一つ変えない。冷血公子の異名に相応しい、氷のような碧眼。
「シュヴァルツベルク家は、合同調査団の費用の半額を負担する用意があります。ただし条件として、調査の全行程にシュヴァルツベルク家の代理人を同行させること。及び、調査結果の全データを各公爵家に開示すること」
副官は口をつぐんだ。費用を出す側の条件を突っぱねるだけの財政的余裕が、今のヴァレンシュタイン家にはない。騎士団の軍事費が議会で精査されている最中なのだ。
リーナは傍聴席から、ルシアンの核紋を聴いた。冷静で澄んだ旋律。嘘はない。ただし、計算はある。この男は最初から、財務で相手の喉元を押さえる気だったのだ。
会議は、合同調査団の編成で決着した。
* * *
出発前夜。
クレスタフェルデ伯爵邸の玄関広間。リーナは旅支度を整え、荷物の最終確認をしていた。辺境への長旅になる。鑑譜眼の補助具であるイヤーカフ、防寒用の外套、報告書の写し。
玄関の扉が叩かれた。使用人が応対する前に、リーナが扉を開けた。
ルシアンが立っていた。
夜気を纏い、黒い外套を羽織った姿。手には——もう一枚の外套を持っている。深い紺色で、内側に毛皮の裏地が見える。
「辺境は寒い。帝都の外套では足りない」
口調は「俺」。玄関先に他の人間はいなかった。
「これを使え。シュヴァルツベルク家の辺境交易所で使っていたものだ」
リーナは外套を受け取った。裏地の毛皮は上質で、指先に温もりが伝わる。
「わざわざ届けに来てくださったのですか」
「ついでだ。明日の出発時刻の最終確認もある」
リーナの瞳が微かに光った。鑑譜眼が——意図せず反応した。
「ついで」に不協和音はない。ただし、核紋全体に広がっている澄んだ和音は——「ついで」で説明できるものではなかった。
リーナは外套を胸に抱いた。耳の端が、赤くなっている。
「……ありがとうございます」
「出発は明朝、鐘が六つ鳴った時だ。遅れるなよ」
「遅れませんわ」
ルシアンが踵を返した。黒い外套が夜風に揺れる。三歩ほど歩いたところで、足が止まった。
「リーナ」
振り返らずに呼んだ。
「体を壊すな」
それだけ言って、ルシアンは闇の中に消えた。
リーナは外套を抱いたまま、しばらく玄関先に立っていた。鑑譜眼は切れている。それでも聴こえるのは——気のせいだと、わかっていても。
耳が赤い。頬も少しだけ。
* * *
翌朝。鐘が六つ鳴る前に、リーナは伯爵邸の門前に立っていた。
調査団の馬車が三台。護衛の騎士が八名。調査員が合計十二名。そしてルシアンが、先頭の馬車の傍に立っていた。
「クレスタフェルデ嬢、予定通りですね。第一調査地は帝都北部のヴァイセンベルク封印遺構です」
「承知しましたわ」
リーナは馬車に乗り込んだ。昨夜受け取った紺色の外套を羽織っている。辺境の冷たい空気が、まだ遠い。
馬車が動き出した。帝都の石畳を離れ、街道を北に向かう。
ルシアンが対面の席で書類を広げながら、淡々と報告した。
「調査地は5箇所。最終目的地は——辺境自治区グリュンハイム」
「グリュンハイム」
リーナは目を細めた。
「あそこだけ、地震の被害がなかったと聞いていますわ」
「ああ。各地の星脈が軋んでいた中で、グリュンハイムだけは被害報告がゼロだった。奇跡の地と呼ばれている」
馬車の窓から、帝都の尖塔が遠ざかっていく。
辺境自治区グリュンハイム。あの場所に、何が待っているのか。リーナにはまだわからなかった。




