表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された令嬢ですが、偽聖女の嘘まで聞こえます  作者: 景都 (けいと)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/70

第33話 星脈鉄の旋律

ルシアンが伯爵邸を訪れたのは、午後の陽射しが書斎の窓から差し込む時間だった。


 いつもの冷淡な顔に、何か隠しているような気配がある。リーナの鑑譜眼を使うまでもなく、それは分かった。左手に小さな木箱を持っている。


「午後からの商談は明日に延期になった」


「そうですの。では何の御用でしょう」


 ルシアンは答えず、木箱をリーナの机の上に置いた。


「開けろ」


 口調が「俺」に切り替わっている。書斎には使用人もいない。


 リーナは木箱の蓋を開けた。


 銀白色の鉱石が、柔らかな光を放っていた。


 掌に収まるほどの大きさだが、手に取るとずしりと重い。内部に微細な結晶構造が透けて見えた。


「星脈鉄ですの」


「カスカーラの迷宮産だ。シュヴァルツベルク家の交易網を通じて手に入れた。出回る量が極めて少ない」


 カスカーラ。あの迷宮都市の名前を聞いた瞬間、酒場「銅の角杯」の記憶がよぎった。冒険者たちの喧噪、杯を交わす笑い声、そして隣席にいた灰色の瞳の少年。


 リーナは鉱石を手のひらに乗せたまま、瞳を金色に変えた。


 鑑譜眼で鉱石を「聴く」。


 息を呑んだ。


 鉱石が歌っている。


 星脈の共鳴を増幅する希少鉱石という知識はあったが、実物を鑑譜眼で視るのは初めてだった。鉱石の内部から、澄んだ高音の旋律が響いている。人工物ではない、大地そのものが奏でる音。星脈の流れが凝縮された結晶が、リーナの鑑譜眼に共鳴して振動していた。


「……歌っていますわ。この鉱石」


「聞こえるのか」


「ええ。とても澄んだ音ですの。星脈の旋律が、結晶の中に閉じ込められている」


 リーナは鉱石を指先で回した。旋律の角度が変わる。底面に近い部分を聴いた時、瞳の金色が一瞬揺らいだ。


 別の旋律が、重なっていた。


 鉱石そのものの歌ではない。もっと人間的な、核紋の残響。この鉱石を掘り出した人間の手の痕跡が、微かに刻まれている。


 空のようで、空じゃない旋律。


 リーナの脳裏に、カスカーラの酒場で見た灰色の瞳が一瞬よぎった。隣席にいたあの少年。核紋に異常を感じた、あの少年の旋律と同じ質感が、この鉱石の奥に残っている。


 だが確信には至らない。残響は薄く、鉱石の歌に紛れてほとんど聴き取れない。あの酒場で「冒険者の事情に首を突っ込むな」とルシアンに止められた時のことが脳裏をよぎった。あの少年の核紋の謎は、いまだに解けていない。


 だがこれ以上は、今の鑑譜眼では読み取れなかった。


「どうした」


 ルシアンがリーナの表情の変化を見逃さなかった。


「いえ。少し気になる残響がありましたけれど、鉱石の旋律に紛れて聴き取れませんでしたわ」


 リーナは瞳を紫に戻した。鉱石を木箱に戻しかけて、手を止める。


「この星脈鉄を、わたしにくださるのですの」


「加工する。鑑譜眼の補助具にする」


 ルシアンは窓際に寄りかかり、腕を組んだ。


「お前の鑑譜眼の精度が上がれば、俺の仕事も楽になる。それだけの話だ」


 それだけの話。


 リーナは鑑譜眼を使わなくても、その言葉に嘘が混じっていることが分かった。声の調子が微かに低くなる。ルシアンが照れている時の癖だ。


「ありがとうございます、ルシアン様」


「礼を言うようなことじゃない」


「いいえ。希少な鉱石をわたしのために手配してくださったのですわ。礼を言わない方が不自然ですわよ」


 ルシアンが視線を逸らした。窓の外の庭園を見ている振りをしているが、耳の先が赤い。


 リーナの耳も、赤かった。


 沈黙が書斎に落ちた。窓の外で小鳥が鳴いている。午後の陽射しが、机の上の木箱を照らしていた。


「……庭でも歩くか」


 ルシアンが唐突に言った。間を持て余しているのだ。リーナは微笑んだ。冷血公子の照れ隠しは、いつも唐突だった。


「ええ。お庭の薔薇が見頃ですわ」


* * *


 二人は庭園に出た。


 薔薇のアーチの下を歩きながら、ルシアンが補助具の加工について説明した。


「シュヴァルツベルク家お抱えの鍛冶師に預ける。星脈鉄の加工ができる職人は帝国に三人しかいない。そのうちの一人がうちの家に仕えている」


「加工には何日ほどかかりますの」


「二週間。イヤーカフの形に仕上げる。装飾品に見えるよう加工するから、能力の補助具だとは気づかれない」


「イヤーカフ……」


 リーナは自分の耳に触れた。星脈鉄の補助具が耳元にある状態で鑑譜眼を使えば、共鳴が増幅される。聴こえる旋律の範囲と精度が飛躍的に上がるだろう。


「残響も、聴けるようになるかもしれませんわ」


「残響?」


「核紋に刻まれた過去の旋律の痕跡ですわ。今のわたしの鑑譜眼では、現在進行形の嘘しか聴けません。でも補助具があれば、対象の核紋に触れることで、過去にその人が刻んだ嘘の痕跡を辿れるかもしれない」


 ルシアンが足を止めた。碧眼がリーナを見下ろしている。


「過去の嘘を暴ける、ということか」


「理論上は。まだ試したことはありませんけれど」


 ルシアンの目が鋭くなった。「影」としての顔だ。


「それが使えるなら、情報収集の幅が一気に広がる」


「ええ。ヴァレンシュタイン家の過去も」


「ええ。あの家に何十年分もの嘘が刻まれているなら、残響として聴こえるはずですわ」


 薔薇のアーチから差す午後の光が、二人の間に落ちていた。ルシアンが口を開きかけて、閉じた。何かを言おうとして、やめたようだった。


 代わりに、ルシアンの手がリーナの髪に触れた。


 風で乱れた一房を、指先で耳の後ろに直す。


「……風が出てきたな」


「ええ」


 リーナの声が、ほんの少しだけ上擦った。指先に残るルシアンの体温が、風に冷えていくのが惜しかった。


 二人は並んで庭園を歩いた。薔薇の香りが風に乗って流れてくる。赤と白の薔薇が交互に咲くアーチの下を、ゆっくりと。


 ルシアンは黙って歩いていたが、リーナとの距離がいつもより半歩分近かった。


 リーナは木箱を胸に抱き直した。中の星脈鉄が、微かに温かい気がした。


 二週間後。この鉱石がイヤーカフになって戻ってくる。その時、鑑譜眼は次の段階に入る。


 ルシアンの手の温度が、木箱越しに指先に残っている気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ