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婚約破棄された令嬢ですが、偽聖女の嘘まで聞こえます  作者: 景都 (けいと)


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第31話 帝国議会の影

帝国議会の大扉が、重い軋みとともに開いた。


 半円形の議場は石造りの荘厳な空間だった。天井には星辰図が描かれ、五大公爵家の紋章が等間隔で並んでいる。議員席は階段状に配置され、百を超える席のうち七割ほどが埋まっていた。


 リーナはルシアンとともに傍聴席に座った。正面の演壇では、交易税の改定法案について議論が交わされている。議員たちの声が石壁に反響し、重なり合って独特の残響を作っていた。


「帝国議会を傍聴するのは初めてですわ」


「普段はもっと退屈だ。今日は条約関連の議題がある」


 ルシアンは傍聴席の手すりに肘をつき、議場を見下ろしていた。公的な場では「私」の口調に戻っているが、リーナに向ける声だけが微かに柔らかい。


 リーナは議場を見渡した。半円形に配置された席の一つ一つに、帝国の意思決定を担う議員が座っている。彼らの核紋が、まだ意識的に聴く前から、ざわめきのように耳に届いていた。和声能力が覚醒してから、人混みの中では核紋の気配が自然に流れ込んでくるようになっている。


* * *


 条約議題に移った瞬間、議場の空気が変わった。


 演壇に立ったのは外交委員長のハインリヒ議員。白髪混じりの顎鬚を蓄えた壮年の男で、連合王国群との条約改定について淡々と報告を始めた。


「現行条約の経済条項について、連合側から三点の修正要請が……」


 リーナの瞳が金色に変わった。


 ハインリヒ議員の核紋から流れる旋律を聴く。報告の言葉自体に嘘はない。だが旋律の底に、微かな濁りが沈んでいた。意図的な嘘ではなく、知っていて語らないことがある時の旋律。


 二重条約の存在を知っている。だが、この場では触れないと決めている。


 リーナは視線を議員席に移した。


 和声能力を使う。覚醒したばかりの力を慎重に広げ、複数の核紋を同時に聴き取る。


 三人。いや、五人。ハインリヒの報告を聞きながら、核紋に同質の濁りを浮かべている議員が五人いた。二重条約の存在を知る者たちだ。旋律の質感が似ている。同じ情報を共有し、同じ秘密を抱えた者特有の共鳴。


 前世のオーケストラで、指揮者のタクトが上がる瞬間に全ての楽器の位置を耳が把握する感覚。あの感覚が、今、議場の核紋に対して働いている。


「ルシアン様」


 リーナはルシアンの耳元に囁いた。


「五人ですわ。報告者を含めて六人、二重条約を知っている方がいらっしゃいます」


 ルシアンの碧眼が細くなった。


「……六人か。父上の予測より多いな」


* * *


 議会の休憩時間。傍聴席の裏手にある小部屋で、リーナはルシアンと向かい合っていた。


「六人のうち、ヴァレンシュタイン派閥と断定できるのは何人だ」


「三人ですわ。ブラント議員、オルレアン議員、ケルナー議員。この三人の核紋には、ヴァレンシュタイン家との繋がりを示す旋律の共鳴がありましたの」


 リーナは議場で感じ取った旋律を整理していた。和声能力は複数の核紋を同時に聴き分けるだけでなく、核紋同士の「共鳴」——同じ派閥、同じ利害関係に属する者同士が無意識に発する音の重なりも検知できる。


「残りの三人は」


「旋律が異なりますわ。二重条約を知っていますが、ヴァレンシュタインとの共鳴がない。むしろ——」


 リーナは言葉を選んだ。


「反発の音が混じっていました。二重条約に関わっていることへの、後ろめたさのような旋律。あの三人は、ヴァレンシュタインに従っているのではなく、巻き込まれた側かもしれませんわ」


 ルシアンが椅子の背にもたれた。碧眼に計算の光が走る。


「反ヴァレンシュタイン勢力の候補ということか」


「あくまで可能性ですわ。でも、旋律は嘘をつきません。あの三人の核紋には、ヴァレンシュタインに対する不信と抵抗の音がはっきり聴こえていましたの」


 リーナの瞳はすでに紫に戻っていたが、議場で聴いた旋律がまだ耳の奥で鳴っている。百人を超える議員の中から、六人の秘密保持者を特定し、さらにその中の派閥構造まで聴き分けた。和声能力がなければ、不可能な芸当だった。


「父上に報告する。シュヴァルツベルク家として、反ヴァレンシュタイン勢力との接触を始める」


「急ぎすぎませんこと? まだ旋律を一度聴いただけですわ。もう何度か議会を傍聴して、確信を深めてからでも遅くはありませんわよ」


 ルシアンが小さく笑った。口元だけの、ほとんど笑みとは呼べない変化だったが、リーナの目は見逃さなかった。


「慎重だな。……悪くない」


* * *


 夕刻。シュヴァルツベルク公爵邸の応接間。


 当主アルベルト・シュヴァルツベルクは、息子とリーナの報告を黙って聞いていた。白髪交じりの黒髪に、ルシアンと同じ碧眼。だがルシアンの鋭さとは異なり、当主の目には深い沈着さがあった。


「六人のうち三人が味方になりうる、と」


「はい、お父様。リーナの鑑譜眼が聴き分けた旋律に基づく判断です」


 ルシアンの口調は完全に公的だった。一人称は「私」。背筋を伸ばし、当主に報告する次男の顔。


「クレスタフェルデ嬢」


 当主がリーナに目を向けた。


「鑑譜眼で読み取った旋律の精度に、どれほどの確信がおありかな」


「八割ほどですわ、当主閣下」


 リーナは背筋を伸ばしたまま答えた。


「初めての議会傍聴で、距離もありました。もう二度ほど近距離で旋律を聴く機会があれば、九割以上の確度で派閥構造を特定できると考えておりますの」


 当主が頷いた。


「慎重な判断だ。ルシアン、次の議会にも彼女を同行させなさい。それまでは動くな」


「承知しました」


 当主が立ち上がり、応接間の窓に歩み寄った。窓の外には公爵邸の中庭が広がっている。噴水の音が微かに聞こえた。


「クレスタフェルデ嬢。もう一つ聞いておきたい」


「はい」


「和声能力で六人を特定したということは、議場にいる残りの議員は全て無関係と断定できるのかな」


 鋭い質問だった。リーナは一瞬考え、正直に答えた。


「いいえ。和声能力にも距離の制約がありますわ。傍聴席から遠い上段の議員は旋律が薄く、聴き分けの精度が落ちます。六人は確実ですが、見落としがある可能性は否定できませんの」


「正直でよろしい」


 当主が振り向いた。その碧眼に、息子と同じ光が宿っていた。


「過信しない分析者こそ、信頼に値する」


 応接間を辞したあと、廊下を歩きながらルシアンが呟いた。


「父上が『慎重な判断』と褒めるのは珍しい」


「お世辞の旋律ではなかったようですけれど」


「父上の旋律を読んだのか」


「少しだけ。失礼かとは思いましたけれど」


 リーナが小さく舌を出した。令嬢らしからぬ仕草だったが、すぐに居住まいを正す。


 ルシアンの口元が、また微かに動いた。


* * *


 伯爵邸に戻ったリーナは、自室の窓辺に立った。


 帝都イグナシオンの夜景が眼下に広がっている。灯りの点った屋敷の連なり、遠くに見える宮廷の尖塔。その下の議会棟は今は暗い。


 議場で聴いた旋律を反芻する。百人分の核紋が織りなす和声の中から、六人の秘密を拾い上げた。和声能力の覚醒から数日。使いこなすにはまだ時間が必要だが、手応えは確かだった。


 あの議場の旋律は複雑だった。味方と敵が入り混じり、中立を装う者も多い。


 だが、和声が聴こえるようになった今のリーナなら、すべての嘘を同時に暴ける。


 窓の外で、帝都の灯りが瞬いていた。一つ一つの灯りの下に、旋律がある。嘘がある。秘密がある。


 リーナは窓に手をつき、唇を引き結んだ。


 議会の旋律は、まだ序曲にすぎない。この帝国の嘘を解きほぐすには、もっと深く、もっと多くの旋律を聴かなければならない。


 紫の瞳が、夜空の星を映して光った。

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