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婚約破棄された令嬢ですが、偽聖女の嘘まで聞こえます  作者: 景都 (けいと)


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第24話 迷宮都市の喧騒

冒険者ギルド本部は、カスカーラの中心にそびえていた。


 石と鉄で組まれた堅牢な建物は、帝都の宮廷とは対照的な実用性に満ちている。入口のアーチには巨大な剣と盾の紋章が掲げられ、その下を革鎧の冒険者たちがひっきりなしに出入りしていた。


 リーナは建物を見上げ、息を吐いた。汗と鉄と冒険の匂い。帝都のように仮面を被る余裕のない、荒削りな正直さが満ちている。


「シュヴァルツベルク家の名で、交易記録室への入室許可を取ってある」


 ルシアンが低く告げた。ギルド本部の中では公的な口調に戻っている。


「三階の記録室だ。ギルドの書記官が案内する」


 案内された記録室は、想像以上に広かった。壁一面の棚に革綴じの帳簿が年代順に並び、窓から差し込む海の光が埃の粒子を照らしている。


「過去五年分の交易記録をお持ちしました」


 ギルドの書記官——丸眼鏡をかけた中年の男が、帳簿の束を長机に積み上げた。


「シュヴァルツベルク家に関連する取引の索引もつけてございます。何かございましたら、お申しつけを」


「ありがとうございます」


 リーナは椅子に座り、帳簿を開いた。


 紫の瞳が、金色に変わった。


 交易記録の旋律が流れ始める。数字と文字の羅列の下に、取引の真偽を示す音の層が幾重にも重なっている。帝都の条約覚書とは違い、ここには生々しい取引の息遣いが残っていた。


 一つ一つの取引を追うのではない。リーナが聴いているのは、全体の旋律の「流れ」だった。


 三年前の秋。交易記録の中に、微かな変調が現れた。


「……ここですわ」


 リーナの指が帳簿の一行を押さえた。


「三年前の秋から、帝国側からギルドへの資金提供額が急増しています。それまで年間で銀貨二万枚程度だったものが、この時期から五万枚に跳ね上がっている」


「資金の出所は」


「帳簿上は『帝国外交局からの業務委託費』と記録されていますわ。でも——」


 リーナは帳簿の次のページをめくった。


「この資金の旋律に、外交局の音色とは違う響きが混じっていますの。もっと——重くて、暗い。権力の旋律ですわ」


「グリフォンハートか」


「おそらく。グリフォンハート公爵家は冒険者ギルドとの交渉窓口を担っていますわね。帳簿上は外交局の名義ですが、実際の資金元はグリフォンハートを経由した別の出所」


 リーナは帳簿を数冊並べ、同じ時期の記録を横断的に比較した。鑑譜眼で複数の帳簿を交互に視る。瞳の金色が強くなった。


 帳簿のインクの下に流れる旋律が、年を追うごとに変質していく様が聴こえる。三年前の秋を境に、別の低い音が混じり始めている。影のように、既存の旋律に寄り添い、やがて浸食する音。


「やはり。三年前の秋、覚書の歪みが始まった時期と、この資金急増の時期が一致しますわ」


 ルシアンが帳簿の日付を確認した。


「三年前の秋は、帝国と連合の通商条約が更新された時期だ」


「ええ。条約更新と同時に、グリフォンハート経由でギルドへの資金が急増した。条約の裏で何かが動いた証拠ですわ」


* * *


 午後の記録室。海からの風が窓を揺らしている。


 リーナは帳簿を閉じ、椅子の背にもたれた。額に薄く汗が浮いている。半日かけて五年分の記録を精査した疲労が、こめかみの奥に鈍く響いていた。


 ルシアンが水の入った杯を差し出した。


「まとめろ」


 リーナは水を一口飲み、指先で帳簿の表紙を叩いた。


「三年前の秋を起点に、三つの不自然な動きがありますわ」


 一つ目。グリフォンハート公爵家からギルドへの資金提供が二・五倍に急増。名目は外交局の業務委託費だが、旋律は外交局のものと一致しない。


 二つ目。同時期に、連合王国群からの鉱石輸入量が公式記録では減少しているにもかかわらず、カスカーラの港の荷揚げ記録には減少の痕跡がない。つまり、公式の輸入量と実際の荷揚げ量に乖離がある。


 三つ目。ギルドの迷宮探索予算が急増しているが、探索の成果報告は減少している。予算はどこに消えたのか。


 リーナは水を飲み干し、杯を机に置いた。


「帳簿の数字だけを見れば、三つの動きはそれぞれ独立しているように見えますわ。資金提供の増加は外交局の方針転換、鉱石輸入の乖離は港の計量誤差、探索予算の増加は迷宮の難度上昇。もっともらしい説明がつく」


「だが旋律は違うと」


「ええ。三つの旋律に、同じ通奏低音が流れていますの。帳簿を書いた人間は別々でも、その背後で指示を出している旋律が一つに繋がっている」


「三つの流れが、全て三年前の秋に始まっている。条約更新のタイミングと完全に一致しますわ」


「ヴァレンシュタインからグリフォンハートへ、グリフォンハートからギルドへ。資金の旋律を辿ると——」


 リーナは窓の外を見た。カスカーラの港が眼下に広がっている。帆船のマストが林のように立ち並び、その向こうに紺碧の海が光っている。


「この嘘は、一つの家のものではありませんわ。ヴァレンシュタイン家が糸を引き、グリフォンハート家が中継し、ギルドが実行する。帝国の権力構造そのものが——不協和音を奏でていますわ」


 ルシアンは腕を組み、じっとリーナを見つめた。碧眼の奥で、何かが計算されている。


「偶然ではないな」


「偶然ではありませんわ。設計されたものですの。誰かが三年前に、条約更新のタイミングに合わせて資金の流れを組み替えた」


「……帝都に持ち帰る証拠としては、まだ弱い」


「ええ。帳簿の旋律の歪みは、わたしの鑑譜眼でしか聴けませんもの。第三者が検証できる物証が必要ですわ」


「カスカーラにはもう少しいる。明日、港の荷揚げ記録を直接確認する。それから——」


 ルシアンの声が僅かに低くなった。


「ギルドの幹部に、直接会う」


「旋律を聴けと?」


「ああ。ギルド長の核紋に、グリフォンハートからの指示が刻まれているなら——お前の鑑譜眼で聴けるはずだ」


 リーナは頷いた。紫の瞳に、決意の光が宿った。


 帝国の権力構造そのものに刻まれた不協和音を、次はギルド長の核紋から直接聴く。

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