表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された令嬢ですが、偽聖女の嘘まで聞こえます  作者: 景都 (けいと)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/71

第20話 魔力ランクの不協和音

大広間のシャンデリアが、千の光を放っていた。


 水晶の飾りが弦楽の振動を受けて微かに揺れ、天井一面に虹の波紋を散らしている。帝国の紋章旗が壁面を彩り、五大公爵家の旗がそれぞれの柱に掲げられていた。

 皇帝レオハルト三世主催の宮廷舞踏会。帝都イグナシオンで最も華やかな夜。


 弦楽四重奏が第三楽章を終え、大広間に短い静寂が落ちた。


 その沈黙を破るように、入口の侍従が声を上げた。


「シュヴァルツベルク公爵家次男、ルシアン・シュヴァルツベルク殿。ならびに、クレスタフェルデ伯爵家令嬢、リーナ・クレスタフェルデ嬢」


 ざわめきが波のように広がった。


 リーナは一歩を踏み出した。


 銀白のドレスが裾を引く。星を散らしたような銀糸の刺繍が、シャンデリアの光を受けて淡く輝いている。銀色の髪を高く結い上げ、首元には小さな紫水晶のペンダント。背筋を伸ばし、紫の瞳を正面に据えた。


 半歩後ろに、ルシアン。漆黒の礼装に銀の釦。碧眼は氷のように冷たく光っている。


「あの令嬢、婚約破棄された……」

「シュヴァルツベルクの次男と?」

「あのドレス、銀白……公爵家の色ではないの」


 扇の陰の囁きが、大広間を横切っていく。


 リーナは微笑みを浮かべた。あの夜と同じ大広間。同じシャンデリア。だが今夜、泣く理由は何一つない。


* * *


 弦楽がワルツを奏で始めた。


 ルシアンがリーナに手を差し出した。公的な所作。碧眼に感情は見えない。


「一曲」


「喜んで」


 大広間の中央で、二人が踊る。ルシアンのリードは正確だった。手袋越しに伝わる手のひらの温度が、ドレスの布地を通して腰に添えられた指先の重みが、一歩ごとに確かになっていく。


 ワルツの旋律が大広間を満たす中、リーナの瞳が一瞬だけ金色に光った。


 周囲の核紋が聴こえる。好奇、嫉妬、侮蔑、関心——さまざまな旋律が入り混じる大広間の和声。その中から、リーナは一つの音を探していた。


 東側の柱の近く。深紅のドレスの女。


 見つけた。


 ワルツが終わり、リーナはルシアンの腕から離れた。拍手がまばらに響く中、歓談の時間に移る。


「東側に」


 ルシアンが小さく頷いた。


* * *


 フローラ・エーデルシュタインは、取り巻きの令嬢たちに囲まれて立っていた。


 深紅のドレスに金の帯飾り。栗色の巻き髪を華やかに結い上げ、扇を手に笑っている。隣にはディートリヒ・ヴァレンシュタインが立っていた。金髪の騎士団長は銀の礼装を纏い、形だけは完璧な貴公子の姿をしている。


 リーナがフローラの前に歩み出ると、取り巻きたちの会話が止まった。


「まあ。リーナ様」


 フローラの唇が弧を描いた。扇の陰で目が笑っていない。


「今夜もお美しいドレスですこと。シュヴァルツベルク家のお下がりかしら?」


 取り巻きたちがくすくすと笑った。


「ありがとうございます。フローラ様もお変わりなく華やかですわ」


 リーナは穏やかに微笑んだ。一歩も引かない。


「ですけれど——まだ社交界に居場所があるとお思いなの? 婚約を破棄された身で」


 フローラの声には棘があった。扇を閉じ、リーナを見下ろすように顎を上げている。


「居場所は自分で作るものですわ、フローラ様」


 リーナの紫の瞳が、金色に変わった。


 フローラの核紋が聴こえる。


 不協和音が鳴り響いた。


 これまで聴いた中で、最も大きな不協和音だった。模造品の時よりも、学歴詐称の時よりも、はるかに深く、はるかに歪んだ音。フローラの核紋の根幹を揺さぶるような、構造的な嘘の音。


 魔力ランク。


 B級と公称されている核紋の出力が、実際にはC級のものでしかないことを、旋律が告げている。B級の和音は本来、もっと厚みがあり、もっと深い。フローラの核紋から聴こえるのは、薄く、浅い、C級の旋律だった。その上に、人工的に被せられたB級の「偽装音」が乗っている。


 エーデルシュタイン家の魔導院が施した改竄。魔力測定器の結果を書き換えただけでなく、核紋そのものに薄い増幅処理を施している。だが、鑑譜眼の前では音のごまかしは利かない。


「フローラ様」


 リーナの声は穏やかだった。大広間に響くほど大きくはないが、周囲の貴族たちの耳には確実に届く音量。


「あなたの魔力ランクの旋律が、実に面白いですわね」


 フローラの笑みが凍った。


「……何ですって?」


「B級の和音にしては、随分と薄い音色ですこと」


 リーナは小首を傾げた。あの夜、模造品を暴いた時と同じ仕草。だが今夜の言葉は、あの時よりもはるかに重い。


「核紋の旋律は生まれ持ったもの。ごまかしが利かない領域ですわ。それなのに、フローラ様の旋律にはどこか——不自然な厚みが被さっていますの。まるで、C級の和音の上にB級の衣を着せたような」


 大広間が静まった。


 弦楽の音だけが遠くで鳴っている。周囲の貴族たちが一斉にフローラを見た。扇が止まり、グラスを持つ手が固まっている。


「でたらめですわ! わたくしはB級です! エーデルシュタイン家の魔導院が正式に鑑定した——」


「エーデルシュタイン家の魔導院が、ですか」


 リーナの声に皮肉が混じった。


「ご自身の家の魔導院が鑑定した結果を、ご自身が主張なさる。それは鑑定とは呼びませんの。自画自賛と呼びますのよ」


 誰かが息を呑む音が聴こえた。取り巻きの令嬢たちが後ずさる。


 フローラの顔が蒼白になった。唇が震えている。言葉が出てこない。扇を握る手の関節が白くなっていた。


「リーナ」


 ディートリヒが一歩前に出た。碧眼が怒りに燃えている。だが声は低く抑えられていた。宮廷舞踏会の場で声を荒げるわけにはいかない。


「根拠のない中傷はやめてもらおうか」


「根拠がないかどうかは、第三者の鑑定士にお調べいただければ明らかになりますわ。ディートリヒ様」


 リーナの紫の瞳が、ディートリヒを真っ直ぐに見つめた。金色の光がまだ残っている。


「わたしの鑑譜眼は、嘘をつきませんの」


 ディートリヒの顔から血の気が引いた。あの目。自分が「気味が悪い」と切り捨てた目が、今、帝都中の貴族の前で自分の婚約者の嘘を暴いている。


 大広間のざわめきが、潮のように膨らんでいった。


「魔力ランクの詐称ですって……」

「エーデルシュタイン家が、自家の魔導院で改竄を?」

「鑑譜師のリーナ嬢が言うのなら……」

「B級ではなくC級? あのフローラが?」


 フローラが口を開いた。何かを言おうとした。だが声にならなかった。喉が詰まったように、唇だけが動いている。


 取り巻きの令嬢たちは、もう誰もフローラの隣にいなかった。


* * *


 リーナが踵を返した。


 背中に、大広間のざわめきが追いかけてくる。扇の陰の囁き、驚嘆、嘲笑、畏怖——さまざまな旋律が渦を巻いている。


 ルシアンが半歩前に出て、リーナの背に手を添えた。手袋越しの手のひらが、肩甲骨の間に触れている。導くように、守るように。


「退場する」


 短い一言。公的な声だったが、背中に添えられた手の温度は、どこまでも確かだった。


 二人は西側の回廊へ向かった。大広間の扉が閉まる瞬間、リーナは背後を振り返った。


 シャンデリアの光の中で、フローラが立ち尽くしていた。深紅のドレスが、蒼白な顔と対照をなしている。その隣で、ディートリヒが拳を握ったまま動けずにいた。


 扉が閉じた。


 回廊の静寂が、二人を包んだ。月明かりが石畳に差し込み、リーナの銀白のドレスを青白く照らしている。


「よくやった」


 ルシアンの口調が切り替わった。回廊には二人しかいない。


「三つの嘘を暴きましたわ」


 リーナは回廊の窓から、夜空を見上げた。星が鮮明に光っている。


「ドレスの出自、学歴、そして魔力ランク」


「ああ」


「でも、フローラの嘘は序章にすぎませんわ」


 リーナの紫の瞳が、星明かりを映して光った。鑑譜眼の金色ではない。静かな決意の光。


「この帝国には、もっと大きな嘘が眠っている。ヴァレンシュタイン家の核紋に刻まれた嘘が——フローラの比ではない不協和音が」


 ルシアンが黙って頷いた。背中に添えられていた手が、いつの間にかリーナの手に移っていた。手袋越しに、指先が重なっている。


 リーナは手を引かなかった。


 夜風が回廊を抜けていく。大広間から弦楽の音が微かに漏れ聞こえてくる。嘘と虚飾の舞踏会は、まだ続いている。だがリーナはもう、あの場所には戻らない。


 三つの嘘を暴きましたわ。


 でもフローラの嘘は序章にすぎない。この帝国には、もっと大きな嘘が眠っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ