第6話:神獣の抜け毛はゴミじゃない? 聖女、聖遺物を回収する
隠れ里『聖母の箱庭』に、うららかな午後の光が降り注いでいた。
縁側では、サツキが鼻歌を歌いながら、膝の上の白い塊――神獣シロを丁寧にブラッシングしている。
「あらあら、シロちゃん。暖かくなってきたから、たくさん抜けるわねぇ。これじゃあ、家中が毛だらけになっちゃうわ」
サツキがブラシを動かすたびに、雪のように白く、シルクのように艶やかな毛が、ふわふわと宙を舞う。
換毛期のシロは、少し誇らしげに目を細めていた。
「きゅう、きゅうっ(ママ、僕の毛は特別なんだから。綺麗に集めておいてよね)」
「はいはい、もったいないから取っておきましょうね。……そうね、この余ったお守り袋にでも詰めておこうかしら」
サツキは、以前手芸の練習で作った色とりどりの小さな巾着袋を取り出し、シロの抜け毛をぎゅうぎゅうと詰め込み始めた。
サツキにとっては「掃除の手間を省くための、ゴミの一時保管」に過ぎない作業である。
だが、そこへ通りかかった聖女セシルの足が、劇的に止まった。
「……っ!? な、なんですの……あの神々しいまでの光は……!」
セシルの『真理の瞳』には、サツキが何気なく作っている「抜け毛袋」が、世界を浄化するほどの聖なる魔力を放つ、特級の聖遺物に見えていた。
サツキの指先から漏れ出る無自覚な加護と、神獣シロの魔力が、袋の中で奇跡的な核融合を起こしているのだ。
「お、お母様! その……その手に持たれている『至高の宝珠を詰めし袋』は、一体なんですの!?」
「あら、セシルちゃん。これ? ただのシロちゃんの抜け毛よ。捨てるのも忍びないから、袋に入れておこうと思って」
「ただの……!? お母様、それは教会が数千年の歴史の中で一度も拝めなかった、伝説の『光の繊維』ですわ! そんな無造作に扱っては、大陸の理が狂いますわ!」
セシルが詰め寄る。その瞳は、ママの愛が詰まった(と思っている)その袋を、一分一秒でも早く回収したいという欲望でギラついていた。
(ふふん、セシルお姉ちゃん。残念だったね。これは僕とママの『共同作業』で生まれた、世界に一つだけの愛の結晶だよ。……欲しい? 触らせてあげないよーだ)
シロが念話で煽りながら、サツキの手に鼻先をすり寄せ、残りの毛も袋に詰めるよう促す。
「おのれ、白い塊……! お母様、私、私その袋がどうしても欲しいのですわ! 私がお預かりして、厳重に……そう、我が家の祭壇に奉納して、毎日朝晩拝み倒しますわ!」
「あらあら、セシルちゃん。そんなゴミに熱くならなくても。……でも、そんなに欲しいなら、一つあげるわよ?」
「……っ!? 無、無償で!? ……いいえ、ダメですわ、そんな恐ろしいこと! お母様の聖なる労働の成果を無料でいただくなんて、神罰が下ります!」
セシルは、もらったばかりの『銀貨三枚』を震える手で差し出そうとしたが、サツキはそれを優しく押し返した。
「お金なんていらないわ。……そうねぇ、じゃあ、お小遣いアップの代わりに、明日から一週間、廊下の雑巾がけを代わってくれるかしら? アリアちゃんが最近、修行だと言って外で暴れ回って、床を泥だらけにするから困っていたのよ」
「……廊下の雑巾がけ……! お母様の歩まれる道を、この私の手で清めさせていただける……。それは報酬ですわ! 実質、私が得をしていますわ!!」
セシルは狂喜乱舞し、サツキから「抜け毛袋(赤)」を恭しく受け取った。
その瞬間、彼女を包んでいた聖なる魔力がさらに膨れ上がり、背後に後光が差し始める。
そこへ、ちょうど物資を届けに来た『聖母運送』のガリたちが姿を現した。
「ちわっす、おふくろさん! 頼まれていた刺繍糸と、ルナ様の……ひぃっ!?」
ガリは、セシルが持っている袋から放たれる圧倒的な「浄化」のプレッシャーに、その場に平伏した。
「せ、聖女様……その袋、なんですかい? 見てるだけで、オレの過去の罪が、こう、シュワシュワと消えていくような感覚が……」
「これ? これはお母様が作ってくださった、世界で唯一の『聖母のお守り』ですわ。部外者は近寄らないことですわね!」
セシルが独占欲を露わにするが、サツキは「あら、まだたくさんあるわよ」と、予備の青や黄色の袋をひょいと差し出した。
「ガリさんたちも、いつも重い荷物を運んでくれて大変だものね。これ、お守り代わりに持っていきなさい。……ただの毛だけど、おまじないくらいにはなるかしら?」
「お、お守り……! おふくろさんの手作り……!」
ガリたちは、泥だらけの手を服で必死に拭き、震える手でお守りを受け取った。
「ありがてぇ……! これで、魔の森を通る時も怖くねぇ! 家宝にするっす! 子々孫々まで伝えますっす!!」
「あらあら、大げさねぇ。……さあ、シロちゃん。次は反対側をブラッシングしましょうね」
「きゅう、きゅうっ(ママ、僕のおかげでみんな幸せだね! だからもっと撫でて!)」
数日後。王都や近隣の町では、奇妙な噂が立ち始めていた。
『隠れ里の運び屋たちが、あらゆる呪いや疫病を跳ね返す、伝説の聖母の加護が宿った袋を持っているらしい――』
『その袋を身につけているだけで、荒くれ者が一晩で聖人のように改心したらしい――』
噂は尾ひれをつけて広がり、里には「そのお守りを売ってくれ」という、お疲れ気味の騎士団長や、不眠症に悩む大臣などが、結界の外をうろつき始めることになったのだが……。
当のサツキは、今日も縁側でお茶を啜りながら、笑っていた。
「みんな、ただの抜け毛をそんなに大事にして。……不思議ねぇ、シロちゃん」
「きゅう(ママが詰めたから、価値が出るんだよ。分かってないなぁ)」
サツキの隣では、セシルが「お守り」を胸に抱きしめながら、凄まじい速度で廊下を雑巾がけしていた。
その磨き上げられた床は、あまりの滑らかさに、アリアが帰還時に滑って転び、さらに「ママの掃除、すごすぎるよぉ!」と号泣する羽目になるのだが、それはまた別の日の物語である。




