第39話:聖女の極致指圧。お母様の「肩凝り」を天国へ導きますわ!
隠れ里『聖母の箱庭』に、しっとりとした秋の夜気が満ち、囲炉裏の火が爆ぜる音が心地よく響いていた。
家事の一段落を終え、サツキがふぅと小さく息を吐きながら、無意識に右の肩を左手でさすった、その瞬間のことである。
「――お母様!! その肩の強張り……! 万死、万死に値しますわ、このセシル!!」
廊下の暗闇から、後光(自前)を背負った聖女セシルが、音もなくスライディングするように現れた。彼女の瞳には、かつて暗黒騎士の呪いを解明した時以上の、苛烈なまでの「癒やしへの執念」が宿っている。
「あらあら、セシルちゃん。びっくりしたわぁ。……ええ、なんだか少し、肩が重たい気がして。季節の変わり目だからかしらねぇ」
「何を仰いますの! お母様の肩は、この里の安寧を支え、ひいては宇宙の均衡を保つ礎ですわ! そこに世俗の重圧を蓄積させるなど、神に対する反逆も同然ですわよ!」
セシルは、以前アリアが見せた「高速肩叩き」を思い出し、鼻で笑った。あのような打撃はただの振動に過ぎない。真の救済とは、細胞の奥底まで慈愛を浸透させる「加圧」にあると、彼女は確信していた。
「さあ、お母様。このセシルが、その凝りを次元の彼方へ葬り去って差し上げますわ!」
セシルがサツキの背後に回り、指先に静かな神聖魔力を集中させた。彼女は今日この時のために、里の裏山にある「樹齢千年の巨木」を指先一本でなぞり、樹液を溢れさせるほどにその指先の感覚を研鑽してきたのである。
セシルの親指が、サツキの肩にある「凝りの核」へと、吸い付くように押し込まれた。
その瞬間、里全体に、どこからともなく天使の歌声が響き渡ったような錯覚が走る。
「あらあら……。……まぁ。……セシルちゃん、……とっても、……指が温かくて、……なんだか、……魂が抜けていきそうだわ……」
サツキの口から、蕩けるような溜息が漏れる。セシルの指先からは、サツキの筋肉の繊維一本一本を優しく解きほぐす、高密度の慈愛エネルギーが流し込まれていた。それはもはや指圧という名の「肉体的な再構築」に等しい、言葉を超えた奉仕であった。
「ふふ、当然ですわ! お母様のツボの一点一点は、私にとってはこの世のどんな星座よりも輝く道標! 一ミクロンの狂いもなく、寄り添わせていただきますわ!」
セシルは、サツキの肩から背中にかけて、目に見えない「神聖な楽譜」をなぞるように、重厚に指を沈めていく。彼女の顔は、あまりの多幸感に鼻血が出そうなほど上気していた。
「ちょっとセシル! またママを独り占めして! 私の肩叩きの方が、スッキリするんだから!」
アリアが、対抗心を剥き出しにしてハタキを手に乱入してきた。
「お黙りなさいませ! お母様が今求めておられるのは、この指先を通じて伝わる『心の一体化』なのですわよ!」
「……セシル、……正論。……しかし、……私の、……魔導温熱、……併用、……推奨。……ママの、……肩、……融解、……寸前」
ルナが無表情のまま、サツキの周囲の気温を「温泉の湯気」レベルに調整し始める。
サツキの肩を巡り、最強の三人が三つ巴の「癒やしバトル」を展開しようとしたが、サツキは既に、セシルの指先の心地よさに完全に身を委ね、小さく寝息を立て始めていた。
(きゅう、きゅうっ。……ふん、セシルお姉ちゃん。鼻血を我慢して震えてるのが丸見えだよ。……まぁ、ママの肩が羽みたいに軽くなって、幸せそうに寝てるのは認めてあげるけどさ)
サツキの膝の上で、シロがサツキの寝顔を見守りながら、冷ややかに念話を放つ。
セシルは、サツキが自分の指先一つで微睡みへと誘われたという事実に、もはやキャパシティをオーバーしていた。
「……あ、あぁ……。お母様が、私の指の上で、……微睡んでおられる……。これこそが、……これこそが私の生きた証……。私は今、宇宙の真理と一つになりましたわぁあああ……!」
セシルは、サツキを起こさないよう、音を立てずにその場に崩れ落ちた。至福の表情で「昇天」しかけている。
数十分後。パチリと目を覚ましたサツキは、驚くほど軽くなった自分の肩を回して微笑んだ。
「あらあら、セシルちゃん。ありがとう。肩だけじゃなくて、心まで羽が生えたみたいに軽くなったわ。……まぁ、セシルちゃん? どうしたの、そんなに顔を真っ赤にして」
「お、……お母様……。……あ、あぁ、……お声まで、……清らかに……。……私の人生に、……一片の悔いもありませんわ……!」
セシルは、サツキの手を名残惜しそうに握りしめ、そのまま幸福の絶頂で再び気絶した。
結局、アリアやルナも「私もやって!」とセシルに群がったが、セシルは「お母様以外は有料ですわよ!」と冷たく突き放し、里には再び、いつもの騒がしくて温かな日常が戻ってきた。
聖女の狂信的な奉仕すらも、「肩凝り解消」という平和な目的に昇華させてしまうサツキのおかん力。
隠れ里の夜は、サツキの軽やかな笑い声と共に、どこまでも深く、穏やかに更けていくのであった。




