第3話:隠れ里の防衛線? 泥棒さんにはおにぎりよ
隠れ里『聖母の箱庭』。
そこは、世界最強の勇者パーティーが心身を癒やすために作り上げた、地上最後の楽園である。
だが、世の中には「知らぬが仏」という言葉があるように、その平和の裏に潜む「暴力的なまでの守護」を知らずに、土足で踏み込もうとする命知らずも存在する。
「へへっ、間違いねぇ。この森の奥に、魔王の財宝を隠し持った女たちが住んでるって噂だ」
「勇者だかなんだか知らねぇが、不意を突けばこっちのもんだぜ。野郎ども、構えな!」
里を囲む深い森の境界線。
そこには、魔王軍の残党狩りから逃れ、食いはぐれた不届きな盗賊団が十数人、ギラついたナイフを手に潜んでいた。
本来ならば、賢者ルナが張った「認識阻害」と、聖女セシルが施した「因果律迷彩」により、常人には入り口すら見つけられないはずなのだが……。
「あらあら、なんだか外の空気が澱んでいるわねぇ。シロちゃん、ちょっと窓を開けて換気しましょうか」
里の中では、サツキが鼻歌まじりに窓を開け放っていた。
サツキの「主婦の勘(無自覚な神聖権能)」が、図らずも鉄壁の結界に「空気の通り道」という名の特大風穴を開けてしまったのである。
「……道が開いたぞ! 突撃だぁああ!」
盗賊たちが、狂喜乱舞して里の庭へと躍り出た。
彼らが見たのは、黄金の財宝でも、重武装の騎士団でもなかった。
そこには、麦わら帽子を被り、泥のついた長靴を履いて、庭の草むしりに精を出す一人の女性がいた。
その肩には、真っ白な子ギツネがちょこんと乗り、あざとく欠伸をしている。
「……あ? なんだぁ、ただの女じゃねぇか」
「おいババァ! 命が惜しけりゃ、隠してる金目のもんを全部出しな!」
盗賊のリーダーが、サツキの鼻先にナイフを突きつけた。
普通の人間なら腰を抜かす場面である。だが、サツキは作業の手を止め、ゆっくりと立ち上がると、困ったような、けれど穏やかな笑みを浮かべた。
「あらあら……。お客様かしら? それとも、道に迷っちゃったの?」
「迷ってねぇよ! 強盗だよ! 今すぐ金を出せって言ってんだろ!」
「強盗? ……まぁ。そんな物騒なこと言っちゃダメよ。あなたたち、目が血走っているわ。……さては、お腹が空いているのね?」
「はあぁ!? 何言ってやがる、オレたちは今からお前を――」
ぐぅぅぅうう……。
盗賊リーダーの言葉を遮ったのは、彼の腹から響いた情けない音だった。
連日の逃亡生活で、彼らはまともな食事にありついていなかったのだ。
「ふふ、正直なお腹ねぇ。……ちょっと待っててね。今、すぐ食べられるものを持ってきてあげるから」
サツキは盗賊たちが掲げるナイフを、まるでおもちゃを片付けるように「危ないわよ」と指先でひょいと退け、台所へと消えていった。
「……おい、どうなってんだ、アニキ。あの女、全然ビビってねぇぞ」
「か、構うな! 戻ってきたところを捕らえて――」
(きゅう、きゅうっ。おじさんたち、運が悪いねぇ。……今すぐ逃げないと、本当に『怖い人たち』が帰ってきちゃうよ?)
サツキの肩から降りたシロが、庭の石段の上でマウントを取るように座り、念話で囁いた。
「だ、誰だ!? 今、頭の中に直接声が……!」
「このキツネ、喋りやがったぞ!?」
盗賊たちがパニックに陥りかけたその時、サツキが戻ってきた。
その手には、竹の皮に包まれた特大の塩むすびが山盛りになっていた。
「はい、どうぞ。炊きたてだから熱いわよ。急いで食べると喉に詰まらせちゃうから、よく噛んでね」
立ち上る、炊きたてのご飯の甘い香りと、香ばしい海苔の匂い。
サツキから差し出されたおむすびを見た瞬間、盗賊たちの手に力が入らなくなった。
「……お、……おむすび……」
「具はね、里で採れた梅干しと鮭よ。さあ、遠慮しないで」
リーダーがおずおずとおむすびを手に取り、一口頬張る。
その瞬間、彼の脳裏に、遠い昔に別れた母親の笑顔がフラッシュバックした。
「……う、……うめぇ……。なんだこれ、……涙が出てきやがる……」
「アニキ、これ、最高だ……! オレ、なんで強盗なんてやろうとしてたんだっけ……」
屈強な男たちが、庭先でむせび泣きながらおむすびを貪り食う。
サツキの「全肯定スマイル」と、そこに込められた無自覚な浄化魔法が、彼らの荒みきった心を根こそぎ洗い流していく。
「あらあら、そんなに泣くほど美味しかった? よかったわねぇ。……でもね、悪いことをしてもお腹は満たされないわよ。これからは、ちゃんと働いてご飯を食べなさいな」
「……はい、……はいっ、おふくろさん! オレたち、心を入れ替えます!」
盗賊たちが、サツキの前に膝をつき、まるで聖女を拝むように頭を下げた。
――その時である。
「マ……マァアアアア! 変な虫がついてるってシロから聞いたよぉおおお! 殲滅だ! 原子レベルで殲滅してやるぅううう!!」
空から、光り輝く彗星のような勢いでアリアが降ってきた。
その手には、神をも斬り伏せる聖剣が抜かれ、殺気で周囲の草花がしおれる。
「……侵入者。……ゴミ。……灰すら残さない」
「お母様に近づく汚物は、この私が地獄の果てまで浄化して差し上げますわ!」
ルナとセシルも、凄まじい魔力を展開しながら着地。
伝説の勇者パーティーの「過保護な怒り」が、里の気温を氷点下まで引き下げた。
「ひ、ひぃいいいい! 勇者アリア! 賢者ルナ! なんでこんなところに!? 死んだ、もう死んだぁあ!!」
盗賊たちが泡を吹いてひっくり返る。
「はい、そこまで!」
サツキがパチン、と手を叩いた。
その瞬間、アリアの聖剣は「ただの棒切れ」のように輝きを失い、ルナの魔力は霧散し、セシルの神聖魔法は温かい微風へと変わった。
「ママ!? 危ないよ、そいつら泥棒だよ! 私のママに指一本でも触れたら、全人類の敵として処刑しなきゃいけないんだから!」
「あらあら、アリアちゃん。言葉遣いが悪いわよ。この子たちはね、道に迷ってお腹を空かせていただけなの。今、お説教して反省してもらったところよ」
「えっ、お説教……?」
アリアたちが困惑する中、サツキは盗賊リーダーの肩を優しく叩いた。
「ねぇ、あなたたち。これからは、里の外から必要なものを運んできたり、私たちの作ったお野菜を町へ運んだりするお手伝いをしてくれないかしら? もちろん、報酬はおにぎりと、私の手料理よ」
「……っ! いいんですか!? オレたちみたいなクズが、おふくろさんの役に立てるなら、どこまでも運びます!」
「死ぬ気で働きます! 一生ついていきます!」
こうして、世界で最も恐ろしい隠れ里に、世界で最も従順な『運び屋ギルド』が誕生した。
アリアたちは「ママの決定なら……」と不承不承ながらも武器を収めたが、シロだけはサツキの肩の上で、悔しそうに盗賊たちを睨みつけていた。
(ちっ。僕のママへの『お役立ちポジション』を狙うライバルが、また増えちゃったじゃないか……)
魔王がいなくなった後の世界。
一組の盗賊団が、伝説の勇者よりも先に「最強のおかん」という名の壁にぶつかり、そして救われた。
これが、後に魔王の報奨金を山のように運んでくることになる『運び屋』たちの、あまりにも情けない、けれど温かい始まりの物語であった。




