第36話:お母様の肖像を永遠に! 聖女、里の白壁をキャンバスにする!?
秋の陽光が、里の庭に干された白いシーツを透過し、柔らかな光のカーテンを作り出していた。
サツキが、洗い立てのシーツをパンパンと叩き、皺を伸ばして干していく。その無造作な、けれど慈愛に満ちた仕草が、逆光の中で神々しいまでの後光を纏った、その瞬間のことである。
「――あぁ、……あぁぁぁ……! なんという、なんという至高の構図ですの……!」
物陰で、庭の写生をしていたはずの聖女セシルが、手に持っていた高級な羽ペンを地面に落とした。彼女の瞳には、かつて教会の最高典礼で聖遺物を拝謁した時以上の、狂信的なまでの感銘が宿っている。
「お母様の、あのお洗濯物を干す指先の角度! そして太陽を背負った際の、エプロンの紐の絶妙な陰影! これを、ただの一時的な記憶として風化させるなど、人類の歴史に対する大罪ですわ! 万死、万死に値しますわよ、このセシル!」
セシルは、鼻血を出しそうな興奮を抑えながら、すぐさま里の奥にある大きな「蔵の白壁」へと走り寄った。
彼女は、王都の宮廷絵師ですら生涯に一度手にできるかどうかの「聖なる顔料」を取り出し、そこへ自らの魔力と、サツキへの重すぎる信仰心を三割ほど混ぜ込んで調合を開始した。
「お母様の美しさを表現するには、地上の色彩では足りませんわ。虹の七色に、私の感謝の涙を加え、聖なる光を定着させる……! できましたわ、これこそが『聖母色』ですわ!!」
セシルは、教会の秘術である「空中歩行」を駆使して三階建て相当の蔵の壁を駆け上がり、巨大な筆――もとい、神聖魔法で巨大化させた筆を振るい始めた。
一描きごとに、里全体に甘い花の香りと、サツキの放つ「おかんの安らぎ」を視覚化したような色彩が、白壁を埋め尽くしていく。
「ちょっとセシル! 何やってんの!? ママの顔が、里の外からでも見えるくらいデカくなってるよ! 恥ずかしいでしょ!」
買い出しから戻ったアリアが、蔵の壁に現れた「三メートル超のサツキの瞳」を見て絶叫した。
「……反対。……セシルの、……画力、……変態的。……サツキの、……まつ毛の本数、……一本の、……狂いもなく、……再現。……精密すぎて、……不気味。……ママの、……毛穴、……描画、……禁止」
ルナも、その異常なまでの写実性に戦慄し、魔力障壁を張って「鼻の穴の影」を描こうとするセシルの筆を阻止しようとする。
「お黙りなさいませ、お二人共! お母様の神性は、この大きさであってこそ人類に伝わるのですわ! 見なさい、この目元に宿る慈愛のハイライトを! ここを描くのに、私は三千回の祈りを込めたのですわよ!」
セシルは、空中でくるりと旋回し、アリアのハタキによる攻撃を華麗にかわしながら、一ミリの妥協もなくサツキの「微笑み」を描き込んでいく。
(きゅう、きゅうっ! セシルお姉ちゃん、僕を端っこに小さく描くなんてどういうつもりだい! 僕こそがママの隣にいるべき守護獣なんだから、もっと黄金色に輝かせて大きく描いてよ!)
シロが、サツキの足元にいたため必然的に「付け合わせ」のように描かれた自分の姿に納得がいかず、壁に向かって電撃を放とうとする。
「シロ様は、お母様の引き立て役ですわ! 動かないでくださいまし!」
里の中が、巨大な肖像画を完成させようとする聖女と、それを「羞恥心」と「嫉妬」で阻止しようとする勇者たちの戦場と化した。
だが、その混沌を終わらせたのは、買い物籠を抱えて戻ってきた、本物のサツキの一言だった。
「あらあら……。なんだか、里が随分と賑やかねぇ。……って、まぁ! セシルちゃん、これ何かしら? 私、指名手配書にでも載っちゃったのかしら?」
サツキが、蔵の壁に描かれた、あまりにも巨大で、かつ自分にそっくりな(美化されすぎて発光している)肖像を見て、頬に手を当てて困り顔をした。
「お、お母様! お帰りなさいまし! 完璧ですわ、お母様の美しさを百分の一ほど再現できましたわ!」
「セシルちゃん。……これ、ちょっと……恥ずかしいわねぇ。こんなに大きいと、里の神様もびっくりしちゃうわ」
「……っ!! は、恥ずかしい……!?」
セシルは、サツキの「困った顔」を見た瞬間、自らの芸術性が「ママの平穏」を乱していたという現実に、雷に打たれたような衝撃を受けた。
「お母様を……恥ずかしがらせるなんて……! 私は、私はなんて傲慢な描き手でしたの! お母様の美しさは、壁などに固定できるはずもありませんでしたわぁあああ!!」
セシルは号泣しながら、今しがた完成させたばかりの巨大壁画に、最強の浄化魔法を叩きつけた。
一瞬にして、蔵の壁は元通りの白さに戻り、空気中には微かなお花の香りだけが残った。
「ふふ、セシルちゃん。そんなに頑張らなくても、ママの顔はね、あなたたちが笑っている時に鏡を見ればいいのよ。ママは、あなたたちの瞳の中に映っているのが一番幸せなんだから」
「……あ、……あぁぁぁ……!(昇天)」
サツキがセシルの涙を指先で拭った瞬間、セシルは鼻血を出しながら至福の表情で倒れ伏した。
結局、巨大壁画は消え去ったが、セシルはこっそり「掌サイズの縮小版」を作成し、自分の部屋の祭壇に飾った。
ルナが「……セシル、……重い。……愛が、……物理的に、……壁を、……壊す、……レベル」と呆れる中、里には再び、サツキが鼻歌まじりに夕食の献立を考える、穏やかで平和な時間が戻ってきたのであった。




