第35話:里の冬支度。ルナ、ママのために「最強のカイロ」を自作する!?
隠れ里『聖母の箱庭』の朝、庭の隅にある石組みや、枯れ始めた紫陽花の葉に、薄く繊細な白い霜が降りていた。
冷え込み始めた秋の終わり。サツキが、少しだけ厚手の羽織を肩にかけ、庭先へ洗濯物を干しに出たときのことである。
「あらあら……。急に冷え込んできたわねぇ。シロちゃん、見てごらんなさい。お口から白い息が出るわよ」
サツキが、かじかんだ自分の手を「ふーっ」と吐息で温めながら、小さく身を震わせた。
その瞬間。縁側の影から、銀髪を微かに揺らして「音もなく」現れた影があった。賢者ルナである。彼女の瞳は、サツキの指先の僅かな赤みを、大陸最高の魔導鑑定眼で瞬時に解析していた。
「……緊急、……事態。……ママの、……指先、……表面温度、……二度、……低下。……血流、……阻害、……警告。……末端冷え性、……確認。……私が、……熱源に、……なる。……ママ。……今すぐ、……この、……魔導炬火、……握って」
「あらあら、ルナちゃん。おはよう。……でも、その松明みたいな魔法、ちょっと火力が強すぎないかしら?」
ルナの手のひらで、キャンプファイヤー並みの火柱が上がっているのを見て、サツキは苦笑いしながら後退りした。
ルナは無表情のまま、その火柱を消すと、静かに踵を返して里の工房(という名の物置)へと引きこもった。
「……市販の、……カイロ。……エネルギー、……効率、……劣悪。……持続性、……皆無。……ママの、……ポケット。……専用の、……恒温、……宇宙、……構築、……する」
ルナの脳内で、禁忌の魔導演算が開始された。
彼女が取り出したのは、かつて勇者パーティーが討伐した伝説の火竜の、最も純度の高い逆鱗の欠片である。本来なら国を滅ぼす魔力砲の核になるべきその素材を、ルナは「ママのポケットの形」にジャストフィットさせるべく、精密な魔力プレスで削り出し始めた。
数時間後。ルナが精製したのは、淡い琥珀色に輝く、手のひらサイズの滑らかな魔導核――【永久恒温魔導核・ママ専用モデル】であった。
「……完成。……理論上、……三百年、……一定、……温度、……維持。……ママ。……献上、……する。……これで、……冬、……完封」
ルナが誇らしげに(顔は無表情だが、瞳は三パーセントほど輝いて)、サツキにその琥珀色の石を差し出した。
サツキが「あら、綺麗な石ね。ありがとう」と、それをエプロンのポケットに仕舞い込んだ、その一秒後のことである。
ドォォォォォン!! という轟音と共に、里の結界内部の温度が急上昇した。
「あ、暑いっ!! 何これ!? ルナ、また何か爆発させたの!?」
アリアが、パジャマのまま廊下に飛び出してきた。彼女の金髪が、あまりの熱気でチリチリと逆立っている。
「お母様が蒸発してしまいますわ! ルナさん、なんて不敬な温度設定ですの! 私が聖水で一気に冷却して差し上げますわ!」
セシルが聖印を掲げ、豪雨のような浄化の雨を降らせようとするが、ルナの「最強カイロ」から放たれる熱量は、それを蒸気へと変えて里中をサウナ状態へと変貌させた。
ルナの「ママを温めたい」という執念が、魔力の変換効率をバグらせ、半径十メートル以内の雪を瞬時に消滅させ、秋なのに庭のひまわりが狂い咲きを始めるという異常事態を引き起こしていたのである。
「あらあら……。ルナちゃん、これ……とってもあったかいけれど、……少し、お洋服が焦げちゃいそうねぇ」
サツキが、ポケットからモクモクと立ち昇る煙を見つめて困り顔をした。
その瞬間、ルナの脳内に「ママを困らせた」という最悪のログが記録された。
「……っ。……失策。……愛、……過剰。……設定、……暴走。……私、……賢者、……失格。……消滅、……希望……」
ルナが、ショックのあまり隅っこで膝を抱えてマジ泣きしそうになった、その時だった。
サツキの首元に、白い毛玉がふわりと巻き付いた。シロである。
(きゅう、きゅうっ! ……ふん、ルナお姉ちゃん。機械や魔法に頼るなんて、おかんの温かさを分かってないね。ママが本当に求めているのは、この僕の『生きている鼓動』と『もふもふ』なんだから!)
シロが、サツキの首元で「ゴロゴロ」と喉を鳴らし、最高に心地よい「生体湯たんぽ」としてのマウントを取る。
「ふふ、やっぱりシロちゃんはあったかいわねぇ。……でもね、ルナちゃん。こっちに来なさい」
サツキは、隅っこで項垂れていたルナを手招きし、その小さな、冷たくなった手を優しく握りしめた。
「魔法を使わなくてもね、こうしてルナちゃんと手を繋いでいるだけで、ママはとっても温かいのよ。あなたの頑張りは、ちゃんと心に届いているわ」
「……っ!! ママ。……直通、……熱伝導。……これ、……エネルギー、……損失、……ゼロ。……効率、……無限大」
ルナは、サツキに手を握られた瞬間、魔力回路が幸福で再起動した。無機質な表情のままだが、その指先はサツキの手を離すまいと、驚異的な握力でホールドを開始した。
「あらあら、ルナちゃん、そんなに強く握ったら痛いわよ? ……そうだ、この石は、お風呂を沸かす時に使いましょうか。みんなでポカポカのお湯に入れるわね」
結局、ルナの「最強カイロ」は、一瞬で五右衛門風呂を沸かす「エコ魔導給湯器」として再利用されることとなった。
その日の夜。
ルナの作った魔導核で沸かした、最高に温かいお風呂に浸かったサツキは、湯船の中で幸せそうに息を吐いた。
「ルナちゃんのおかげで、今年の冬は風邪を引かずに済みそうねぇ」
脱衣所で、サツキの「あがった後のバスタオル」を誰が渡すかを巡ってアリアやセシルと争っていたルナは、その言葉を聞いて、至福の無表情で満足げに鼻を鳴らす。
隠れ里の冬。
伝説の火竜の魔力すらも「お風呂の追い焚き」にしてしまうサツキのおかん力。
ルナの冷徹な知性が、ママへの愛という名の熱源によって溶かされていくその日常は、今日もどこまでも温かく、賑やかに過ぎていくのであった。




