第34話:里に迷い込んだ小さな幻。アリア、幻獣のお世話に大苦戦!
隠れ里『聖母の箱庭』を囲む生け垣が、朝露に濡れてキラキラと輝く秋の朝のこと。
サツキが洗濯籠を腰に抱え、鼻歌まじりに庭へ出ると、生け垣の隅にある繁みのあたりから「きひひーん!」という、笛を吹いたような情けない、けれどどこか透き通った声が聞こえてきた。
「あらあら……。お隣のガリさんの馬かしら? なんだか困っているみたいねぇ」
サツキが近寄って繁みを覗き込むと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
全身が星屑を散りばめたような黄金の毛並みに覆われ、額には一本の水晶のような角が生えた、子犬ほどの大きさの仔馬――大陸の伝承にのみ記される伝説の幻獣、麒麟の幼体が、生け垣の太い枝にお尻を挟ませてジタバタと暴れていたのである。
「あらあら、可愛い子ねぇ。迷子になっちゃったのかしら?」
サツキが優しくその背中を撫でようとした瞬間、背後から凄まじい風を巻き起こして、勇者アリアが飛び出してきた。
「ママ、危ない! それはただの馬じゃないよ、空間を歪める力を持つ最上位の幻獣だ! ……でも、任せて! 猛獣使いのスキル(?)を自称するこの私が、ママの代わりにこの子を立派に躾けてみせるから!」
アリアは、第31話から続く「ママのお手伝い免許皆伝」への近道を見つけたと言わんばかりに、瞳をギラつかせた。サツキが困っているのなら、それを完璧に解決して「さすがアリアちゃんね」と言わせたい。その一心で、彼女は腰の聖剣を「投げ縄」へと持ち替えた。
「いい、ママ! こういう野生の子は、力の差を見せつけなきゃダメなんだよ! さあ、おいで! 私が最高の寝床とご飯を用意してあげるから!」
「あらあら、アリアちゃん。そんなに大きな声を出したら、この子がびっくりしちゃうわよ?」
「大丈夫だよ、ママ! 私の『神速』でパパッと捕まえちゃうから!」
アリアが生け垣から仔馬を引き抜こうと手を伸ばした、その時だった。
仔馬の体がパッと光ったかと思うと、アリアの手をすり抜け、数メートル先の屋根の上に瞬間移動してしまったのである。
「きひひーん!」
『……アリア。……翻弄、……されている。……幻獣の、……マナ、……アリアを、……玩具、……認定。……捕獲、……確率、……零。……ママ。……私、……重力魔法で、……地面に、……縫い付ける?』
ルナが、いつの間にか縁側に現れ、指先にどす黒い重力波を凝縮させて提案する。
「やめてよルナ! ママの庭がボコボコになっちゃうでしょ! 私が……私が自力で捕まえるんだからぁああ!」
アリアは、本来なら魔王軍の幹部を翻弄するための超高速移動を、庭中を逃げ回る仔馬を追いかけるために全開にした。
シュパパパパッ! と残像が庭を埋め尽くし、アリアが空中で仔馬を抱きしめようとするが、仔馬はその鼻先から小さな電撃を放ち、アリアのポニーテールを焦がしながら再び瞬間移動で逃げていく。
「ちょっと! お母様の生け垣を荒らし、アリアさんの髪を弄ぶなんて不届きな馬ですわ! 私が聖なる拘束具で大人しくさせて差し上げますわ!」
セシルが「ママ専用の捕獲網(神聖魔法入り)」を手に参戦し、里の庭は黄金の仔馬と、それを追い回す最強の乙女たちによる大運動場と化した。
(きゅう、きゅうっ! ……ふん、お姉ちゃんたち、暑苦しいよ。新入りの「もふもふ」だからって、そんなに必死になっちゃって。……おい、そこの馬! ママの庭で暴れるなら、僕が直々に神獣の恐ろしさを教えてあげようか!)
シロが、サツキの膝の上から「長男」としての威圧を込めた念話を放つ。
伝説の天狐であるシロの眼光に、仔馬は一瞬だけ足を止めて震え上がったが、すぐにアリアの突進をかわして、サツキの干したばかりのシーツの中に飛び込んでしまった。
「あああ! ママのシーツがドロドロにぃいい!」
泥だらけになったシーツに包まり、アリアは絶望の叫びを上げた。
自分の不甲斐なさと、ママの家事を増やしてしまった罪悪感。アリアは、シーツの端っこを握りしめ、半べそをかいて項垂れた。
「あらあら……。みんな、そんなに騒いじゃダメよ。……ほら、プルちゃん。お水を少し分けてくれるかしら?」
サツキは、嵐のような騒ぎの中でも全く動じず、水の精霊プルから貰った清らかな水を桶に入れ、近くで摘んできたばかりのみずみずしい青草を浸した。
そして、サツキは優しく、歌うような声で仔馬に呼びかけた。
「はい、おいで。喉が渇いたでしょう? 怖くないわよ、いい子ねぇ」
サツキが仔馬の鼻先にそっと手を差し出す。
あれほどアリアたちを翻弄し、電撃を撒き散らしていた幻獣が、サツキの「全肯定おかんオーラ」に触れた瞬間、嘘のように大人しくなった。
仔馬はサツキの手をぺろりと舐め、甘えるようにその膝に頭を擦り付けた。
「あらあら、やっぱり甘えん坊さんねぇ。よしよし、アリアちゃんたちが怖がらせてごめんなさいね」
「……うぅ、ママぁ……。私、また力んじゃった……。お手伝いしようと思ったのに、またママの仕事を増やしちゃったよぉ……」
アリアが泥だらけの顔で、サツキの足元に縋り付く。
サツキは、空いた方の手で、仔馬と同じようにアリアの頭を優しく、力強く撫でた。
「ふふ、いいのよ。アリアちゃんが一生懸命追いかけてくれたから、この子も『ここは安全な場所なんだ』って分かったのよ。……ほら、汚れちゃったから、後で一緒に丸洗いしましょうね」
「……っ!! ママ、洗ってくれるの!? やったぁあああ!!」
アリアは一瞬で立ち直り、泥だらけのまま仔馬に「よかったね、ママに洗ってもらえるよ!」と自慢げに語りかけた。
結局、その日の午後はサツキによる「アリアと仔馬の一斉丸洗い」が行われ、里には二人の楽しげな悲鳴と、サツキの穏やかな笑い声が響き渡った。
(きゅう……。お姉ちゃん、結局最後は幻獣と同レベルで扱われて喜んでるんだから。……まぁ、新しい「ペット」が増えたなら、僕の遊び相手にしてあげなくもないけどね)
シロがサツキの肩で、満足げに喉を鳴らす。
伝説の幻獣すらも「ただの迷子の仔馬」として飼い慣らし、勇者の猛進を「泥遊び」として受け流すサツキのおかん力。
隠れ里の平穏は、新しい「もふもふ」を家族に迎え入れ、今日も今日とて温かな日常を刻んでいくのであった。




