第33話:里の秋の大掃除。セシル、お母様の「残り香」を守る聖なる吸引!?
隠れ里『聖母の箱庭』の木々が、鮮やかな緋色や黄金色に染まり始めたある朝のこと。
縁側の戸を開け、ひんやりとした秋の空気を吸い込んだサツキは、小さく柏手を打って微笑んだ。
「あらあら……。ずいぶん木の葉が舞い込んできたわねぇ。シロちゃん、冬が来る前に、今日はお家をピカピカに『大掃除』しましょうか」
サツキが、使い古した手拭いを頭に姉さん被りにしたその瞬間、背後の廊下から凄まじい神聖魔力のプレッシャーが立ち昇った。
「――お母様! 今、……今『大掃除』と仰いましたわね!?」
音もなく、しかし残像を伴う速度でサツキの足元に跪いたのは、聖女セシルであった。
彼女の瞳には、かつて暗黒大陸の呪いを解呪した時ですら見せなかった、苛烈なまでの「掃除への執着」が宿っている。
「お母様の歩まれる聖域に、一粒の塵、一微力の煤すらも存在することは許されませんわ! このセシル……お母様の第一秘書として、この命……いえ、この雑巾に懸けて、里を真理の如き輝きへと昇華させて差し上げますわ!」
「あらあら、セシルちゃん。気合が入っているわねぇ。でも、そんなに肩をいからせなくても、みんなで楽しく雑巾がけすればいいのよ?」
「いいえ! お母様に雑巾など持たせるわけには参りませんわ! 皆様、お聞きなさい!」
セシルが立ち上がり、里の各所に散っていたアリアとルナを、教会の緊急招集鐘のような声で呼び寄せる。
彼女が取り出したのは、王都の地下神殿に厳重に封印されていたはずの古代魔導具――『聖なる吸引の杖』であった。
「お母様を煩わせる不浄なるホコリ共を、根こそぎ次元の彼方へ葬り去りますわ! 秘技……『ホーリー・バキューム・エクスプロージョン』!!」
セシルが杖を掲げた瞬間、里中に凄まじい「吸引の渦」が発生した。
それは単なる掃除ではない。セシルが放つ聖なる魔力が、空気中の塵や煤だけを選別し、光の速さで吸い上げていく広域浄化結界である。
「おーっ! セシル、やるじゃん! じゃあ私は、高いところの煤払いを担当するよ!」
アリアが、普段は伝説の魔獣を両断する聖剣を「ハタキ」に持ち替え、音速の跳躍で屋根裏へと突入した。
シュパパパパッ! という衝撃波が走り、長年蓄積していた(はずの)わずかなホコリが舞い上がる。それをセシルの吸引魔法が、ダイソンも驚愕するほどの精度で吸い取っていく。
「……危険。……セシル、……出力、……高すぎ。……ママの、……思い出の、……ハギレ。……吸い込み、……寸前。……私が、……障壁で、……保護、……する」
ルナが冷静に指先を動かし、サツキが裁縫箱に大切にしまっていた古い布切れや、庭に干してあったシロの毛布が吸い込まれないよう、精密な魔力障壁で包み込む。
(きゅう、きゅうっ! ……ちょ、ちょっとセシルお姉ちゃん! やりすぎだってば! 僕の自慢の抜け毛まで吸い取られちゃうじゃないか! それ、ママがお守りにしてくれる大事な資源なんだからね!)
シロが毛を逆立ててサツキの肩へ避難するが、セシルの暴走は止まらない。
彼女は今や、サツキの髪の毛一本、あるいはサツキが触れた箇所の微細な角質すらも「不浄なゴミ」としてではなく「流出させてはならない聖遺物」として回収しようとしている節があった。
「お母様の残り香を、一粒子たりとも外部へ漏らしてはなりませんわ……! 全てこの聖なる小瓶に密封し、里の宝物庫へ納めるのですわぁあああ!!」
「コラッ!! セシルちゃん!!」
里全体が真空状態になりかけたその時、サツキの凛とした声が響き渡った。
サツキは、足元に置いてあった水桶から、使い古した雑巾をパシャリと取り出し、セシルの杖をピシャリと叩いた。
「そんなに魔法で吸い取っちゃったら、お家の中が寒々しくなっちゃうわ。お掃除はね、自分の手でキュッキュッと磨くから、綺麗になったのが分かって嬉しいのよ。……ほら、そんなに難しい魔法を使わないで、私と一緒にこれでお廊下を拭きましょう?」
サツキが差し出したのは、何度も継ぎ接ぎされた、お日様の匂いがするお古の雑巾であった。
「……っ!! お、……お母様のお下がりの、……雑巾……。……直接、……この手で、……磨く、……喜び……」
セシルは、差し出された雑巾を、伝説の聖遺物を拝領するかのような恭しさで受け取った。
彼女の脳内では、「魔法による効率化」という傲慢が霧散し、「お母様と同じリズムで床を磨く」という至高の聖務への理解が深まっていく。
「……あ、あぁ……。なんという温もり。お母様、私……また形ばかりを追い求めてしまいましたわ! この布に宿るお母様の愛情と共に、私の魂も磨き上げて差し上げますわぁああ!」
セシルは、鼻血を出しそうな恍惚の表情で、雑巾をギュッと抱きしめた後、四つん這いになって廊下を猛スピードで磨き始めた。
魔法を一切使わない、純粋な腕力と信仰心による雑巾がけ。
その光沢は、もはや鏡を通り越して、覗き込む者の過去の罪すらも映し出すほどの神々しい輝きを放ち始めた。
「ふふ、セシルちゃん。とっても綺麗になったわね。ありがとう、助かるわぁ」
「…………っ!!(昇天)」
サツキに頭を優しく撫でられた瞬間、セシルは全身から聖なる光を放ち、至福の表情でその場に倒れ伏した。
(きゅう……。セシルお姉ちゃん、結局最後は脳みそがトロトロになっちゃってるよ。……まぁ、廊下がピカピカになったから、僕が全力で走り回って足跡をつけてあげようっと)
シロがサツキの足元で、満足げに喉を鳴らす。
「大掃除」は、魔法による奇跡ではなく、お母さんの手渡した雑巾という名の愛によって、里をより一層温かな、実家のような輝きで満たしたのであった。




