第30話:里の収穫祭! 新米おむすびと、みんなの「実家」
隠れ里『聖母の箱庭』の朝は、かつてないほど濃密な黄金色の光に包まれていた。
棚田に広がる稲穂は、サツキの慈愛を一身に浴び、一粒一粒が魔力と生命力を限界まで吸い込み、重そうに頭を垂れて収穫の時を待っていた。風が吹くたび、さらさらと鳴る音は、大地が奏でる感謝の調べのようであった。
「あらあら……。本当に、見事な実りね。シロちゃん、今日はお仕事が忙しくなるわよ」
サツキが白いたすきをキリリと締め、庭に出る。その背中を見つめるのは、気合の入りすぎた勇者たちと、里の外郭を守る最強の居候たちであった。
「任せて、ママ! 私の聖剣は、今日のために研いできたんだから! 邪悪を断つためじゃない、この豊かな恵みを一滴もこぼさず刈り取るためにね!」
アリアが、普段は龍の鱗を断つその一振りを、特製の農具へと持ち替えた。
シュパパパパッ! という音すら置き去りにする速度で、アリアが田んぼを駆け抜ける。彼女が通り過ぎた後には、寸分の狂いもなく刈り取られた稲束が、まるで訓練された兵士のように美しく整列していった。その動きには、かつて戦場で見せた殺気はなく、ただ「ママに喜んでほしい」という純粋な献身だけが宿っていた。
「ママ、見て! 私、一秒で百束刈ったよ! これで美味しいおむすび、いっぱい食べられるね!」
アリアが泥を跳ね飛ばしながら、満面の笑みでサツキに手を振る。泥にまみれたその姿は、世界を救った英雄というよりは、ただの元気な農家の娘のようであった。
「……追撃。……風魔法、……『サイクロン・ドライ』。……水分量、……十四パーセント、……完璧に、……固定。……脱穀、……開始。……一粒も、……無駄に、……しない」
ルナが指先をかざすと、アリアが刈り取った稲が重力を無視して空中に舞い上がり、精密な風の刃によって籾だけが魔法の如く剥ぎ取られていく。そこへ水の精霊プルたちが歓喜の声を上げて飛び込み、清らかな流れで一瞬にして研ぎ上げた。光の精霊たちがその水面を反射させ、庭全体がダイヤモンドダストのような輝きに包まれる。
「あらあら、みんな本当に手際がいいわねぇ。助かるわぁ」
サツキの褒め言葉一つで、アリアの頬が林檎のように赤くなり、伝説の英雄たちの魔力回路が過負荷を起こすほど活性化する。
数時間後。里の広い庭には、セシルが「お母様の収穫に相応しい聖域を!」と磨き上げた巨大な円卓が据えられ、その上には、もはや直視できないほど神々しい湯気を立てるお櫃が並べられた。
「さあ、みんな。まずは炊きたてを、おむすびにして食べましょうね」
サツキがお櫃の蓋を開けた瞬間、里中に「救済」とも言える甘く香ばしい香りが爆発的に広がった。
一粒一粒が真珠のように輝き、立つ湯気すらも神聖なオーラを纏っている。サツキは熱さを堪えながら、手際よく、けれど一つずつ丁寧に、祈りを込めるようにしてお米を握り始めた。サツキの手のひらを通じて、お米に「お疲れ様」という温かな想いが封じ込められていく。
「はい、アリアちゃん。泥だらけになって頑張ってくれたものね。一番大きいやつよ」
「……っ!! マ、ママ……! 私のために、こんなに大きいのを……!」
アリアが、サツキの手から直接おむすびを受け取る。炊きたての熱さは、そのままサツキの愛情の温度となってアリアの掌に伝わった。
「はむっ……あふっ、あふあふ……! おいひいぃいいい!!」
咀嚼した瞬間、アリアの脳内に、泥にまみれた田植えの日々、水を運んだ苦労、そしてサツキに洗ってもらった記憶が、鮮やかな色彩となって駆け巡った。お米の甘みが、かつて戦いで荒んでいた彼女の魂を芯から潤していく。
「ママぁああ! お米って、こんなに優しくて力強い味がするんだね! 私、このおむすびのためなら、あと百回世界を救えるよぉおおお!」
アリアが、頬に米粒をつけたまま、大粒の涙を流してサツキに抱きついた。
「……ずるい。……アリア、……抜け駆け。……ママ。……私も、……おかわり。……具、……いらない。……お米の、……甘み、……だけで、……宇宙の、……真理、……見える」
ルナも、普段の無機質な表情をどこかへ脱ぎ捨て、一生懸命おむすびを頬張っている。セシルもまた「この一粒一粒がお母様の慈愛ですわ……!」と、神聖な恍惚感に浸りながら味わっていた。
さらに、里の周囲にいた「お疲れの人々」も、その香りに誘われるように列をなしていた。
大司教グレゴリオ、運び屋ガリ、さらにお忍びで駆けつけたエドワード国王までもが、一列に並んで配給を待つ。
「サツキ殿。……このおむすび一個のために、私は王都での泥臭い政争に耐えてきました。……あぁ、生きていてよかった。王冠など、このおむすびの輝きに比べればただの真鍮に過ぎませぬ」
「サツキ殿! この味、一生忘れねぇっす! 明日からまた、大陸中をマッハで駆け回る元気をいただいたっす!」
サツキは一人ひとりに「お疲れ様」「頑張ったわね」と声をかけながら、おむすびを手渡していく。
庭のあちこちで、水の精霊や風の精霊が喜びの舞を踊り、里は一つの巨大な、そして世界で最も温かい「実家」へと化した。
(きゅう、きゅうっ! ……ふん、お姉ちゃんたちも、おじさんたちも。結局ママに胃袋を掴まれちゃって。……まぁ、僕が一番目立つママの膝で、最高の一粒を貰うけどね)
シロがサツキの肩で、満足げに里を見渡す。
そこには、かつて孤独に世界を救った英雄も、権力に疲れた老人もいない。ただ、サツキが握った「ただのおむすび」を頬張り、幸せそうに笑い合う、一人の「家族」がいるだけだった。
夕焼けが里を赤く染める。黄金の田んぼと、茜色の空が溶け合う中、満腹になった強者たちが、庭に座り込み、沈みゆく太陽を眺めていた。
「みんな、お疲れ様。……いい? 疲れた時は、いつでもここに帰ってきなさい。……ここは、みんなの『実家』なんだからね」
サツキのその穏やかな一言に、アリアが、ルナが、セシルが、そして屈強な騎士たちが、静かに涙を流した。
世界を救う力。それは強大な魔法でも、鋭い剣技でもない。
こうして誰かのためにご飯を炊き、手渡されたものを美味しく食べ、帰るべき温かい居場所があること。
隠れ里『聖母の箱庭』に響くのは、満ち足りた吐息と、明日への希望に満ちた笑い声。
炊きたての新米おむすびの香りと共に、一つの大きな実りの物語は、どこまでも温かに、そして平和に閉じられるのであった。




