第27話:勇者の剣はママのために。アリア、最高級の「肩叩き」に挑む!
隠れ里『聖母の箱庭』。そこは、第26話において聖女セシルが「究極の膝枕」という禁じ手によってサツキの寵愛(と思い込み)を独占した、熱き戦場でもあった。
その光景を、唇を噛み締めながら自室の隅で見つめていた影がある。金髪のポニーテールを激しく揺らし、拳を握りしめているのは、勇者アリアであった。
「……負けた。セシルに、完全敗北だ……。あの膝枕、ママが本当に気持ちよさそうにしてた……! 私なんて、ただの靴下脱ぎっぱなしの居候じゃない!」
アリアは、枕をボカスカと叩きながら悶絶していた。
剣を振れば山を砕き、魔王の城を更地にする「力」がある。しかし、その力は繊細なママの日常において、往々にして「お皿を割る」「廊下に穴を開ける」といったトラブルの元にしかならなかったのである。
そんな時、台所からサツキの小さく、けれど切実な呟きが聞こえてきた。
「あらあら……。昨日少し重いお鍋を持ったからかしら。なんだか、肩が凝っちゃったわねぇ」
ピキィィィィィィィィィン!!
アリアの脳内に、雷光が走った。
「これだ……! ママの『凝り』を、私の『武』で粉砕する! これこそが、勇者である私にしかできない最強の親孝行だよ!」
アリアは即座に裏山へと駆け出した。
向かったのは、里の修行場。彼女は目の前にある巨大な岩を見据え、聖剣を抜かずに、素手の指先を突き出した。
「名付けて、奥義『瞬閃・指圧曼荼羅』! 岩を砕くんじゃない、岩の『内部にある凝り』だけをピンポイントで捉えて、衝撃波で中からほぐすんだ!」
アリアの指先が、目にも止まらぬ速さで岩肌を叩く。トトトトトトトッ! という凄まじい連打音が山に響き渡る。
通りかかったルナが、その異様な光景を見て足を止めた。
「……アリア。……乱心。……岩に、……マッサージ。……非効率。……ママの、……肩。……爆発、……させる、……つもり?」
「うるさーい! 私は本気なんだよ! 見てて、ママの肩をマシュマロよりも柔らかくしてみせるんだから!」
アリアは半日間、岩と対話し、木の幹をマッサージしてはなぎ倒し、ついに「力を一点に集中させつつ、面で拡散させる」という、戦闘においては全く役に立たない究極の脱力指圧を習得した。
夕暮れ時。サツキが縁側で、収穫したお豆の選別をしながら一息ついているところへ、アリアが満を持して参上した。その背後には、修行の成果か、うっすらと黄金のオーラが立ち昇っている。
「ママ! 肩が凝ってるんでしょ? 勇者の私が、世界最高の肩叩きをしてあげる!」
「あらあら、アリアちゃん。ありがとう、嬉しいわ。……でも、そんなに気合を入れなくてもいいのよ?」
「いいから、いいから! さあ、座って!」
サツキが不思議そうに背中を向けると、アリアは深く呼吸を整え、両手を構えた。
その瞬間、アリアの瞳から色が消え、極限の集中状態「明鏡止水」へと突入する。彼女の視界には、サツキの肩にある「凝りの核」が赤くハイライトされて見えていた。
「いくよ、ママ! 瞬閃……指圧……連撃ぅうう!!」
トトトトトトトトトトトトトッ!!
サツキの肩を、アリアの両拳がドラムの連打のような速度で叩き始めた。
しかし、アリアが編み出した「衝撃波拡散」の効果により、その一撃一撃は羽毛が触れるような柔らかさを持ちつつも、深部の筋肉を的確に振動させていた。
「あらあら……。アリアちゃん、なんだか……ものすごく、……早いわねぇ」
「でしょ!? これが私の全霊だよ! もっといくよ! 加速だぁあああ!!」
アリアの腕が残像となり、もはや千手観音のように見える。
だが、その熱血すぎるマッサージを黙って見ていられない者がいた。
(きゅう、きゅうっ! ……ふん、お姉ちゃん、暑苦しいよ。ママが一番安心するのは、僕のこの適度な重みと肉球なんだからね!)
シロがサツキの膝から背中へと駆け上がり、サツキの首筋あたりを「ふみ、ふみ」と柔らかい肉球で押し始めた。
「あっ、シロ! 邪魔しないでよ! 私が今、ママの凝りと戦ってるんだから!」
「きゅうっ!(戦うのは魔王だけにしなよ! ママは戦場じゃないんだよ!)」
アリアの高速連打と、シロの絶妙なふみふみ。二つの「癒やし」がサツキの背中で激突する。
サツキは、背後のあまりの騒がしさに、苦笑しながら首を回した。
「……ふふ。アリアちゃん。……ちょっと、早すぎて……ママ、目が回ってきちゃったわ」
「えっ……? あ、あああ! ごめん、ママ! 私、また力んじゃった……!」
アリアは、真っ赤な顔をして手を止めた。
世界最高の技術を詰め込んだはずなのに、結局「早すぎて目が回る」という本末転倒な結果に、アリアは情けなさで耳まで赤くする。
「あらあら、そんなに落ち込まないで。……アリアちゃん。肩叩きはね、技じゃないのよ。こうして、ゆっくり、ポカポカと……ね?」
サツキがアリアの手を取り、自分の肩に乗せた。
そして、サツキは自分の手を添えて、アリアの手を優しく、ゆっくりと動かした。
トントン。……トントン。
一定の、心臓の音のようなリズム。
力は入っていない。けれど、アリアの掌からサツキの温もりが伝わり、サツキの肩からアリアの熱が伝わる。
「……あぁ、気持ちいいわ。アリアちゃんの手は、大きくてあったかくて、とっても安心するわね」
「……ママ……」
アリアの瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
修行で手に入れた奥義よりも、サツキと一緒に刻むこの不器用なリズム。
自分の「力」を誇示するのではなく、ママの「心地よさ」に合わせること。それが、本当の看病であり、奉仕なのだと、アリアは魂で理解した。
「私……私、勇者でよかった……! ママの肩を叩けるくらい、手が大きくなってよかったぁあああん!!」
アリアはそのまま、サツキの背中に抱きついて号泣した。
サツキは「あらあら、泣き虫さんねぇ」と笑いながら、アリアの腕を優しく撫でる。
セシルの「究極の膝枕」は確かに至高だった。
けれど、アリアの「不器用な肩叩き」もまた、サツキにとってはかけがえのない、最高のご褒美であった。
(きゅう……。お姉ちゃん、結局最後は泣いて甘えるんだから。……でも、まぁ、ママの肩が軽くなったなら、僕も今回は認めてあげるよ)
シロがサツキの膝に戻り、満足げに丸くなる。
隠れ里の夕暮れ。
最強の剣聖が、ママの背中に顔を埋めて子供のように泣きじゃくるその光景は、どんな神話よりも温かく、平和な光に満ちていた。




