第26話:聖女の聖域プロデュース。ママに捧げる究極の「安らぎ」
隠れ里『聖母の箱庭』の夜明け前。
静寂に包まれた廊下を、凄まじい気迫で「雑巾がけ」する人影があった。聖女セシルである。彼女の瞳には、かつて魔王軍の幹部を浄化した時ですら見せなかった、苛烈なまでの決意の炎が宿っていた。
「……お母様が倒れられたのは、私の祈りが足りなかったせいですわ。お母様の尊い御身に、日々の家事などという世俗の労苦を強いてしまった……万死、万死に値しますわ、このセシル!」
キュッ、キュッ、と床が悲鳴を上げるほどの力で磨き上げながら、彼女は昨夜、第24話で貯め込んだお小遣いを全て注ぎ込んで取り寄せた「禁断の品々」を並べ始めた。
彼女の狙いはただ一つ。サツキに、この世界で最も甘美な、指一本動かす必要のない『究極の休日』を強制することである。
――数時間後。サツキが目を覚ますと、そこはもはや自分の家ではなかった。
「あらあら……。なんだか、お部屋がとっても……キラキラしているわねぇ」
サツキが襖を開けて縁側に出ると、そこには王都の王族ですら一生に一度拝めるかどうかの最高級シルクと、セシル自らが神聖魔法で浄化した「聖なる綿」を詰め込んだ、巨大な雲のようなクッションが敷き詰められていた。
さらに、縁側一帯には多重の神聖結界が展開され、気温は常に「小春日和の午後」に固定、耳元では精霊たちの奏でる安眠の調べが微かに響いている。
「お母様! おはようございます。そして、おめでとうございます!」
セシルが、神々しい純白の法衣を纏い、後光(自前)を背負って現れた。その手には、金糸の刺繍が施された特製のスリッパが握られている。
「本日は、お母様の『聖なる安息日』と定めましたわ! 一切の家事は禁止。お食事も、お洗濯も、移動ですら私が……このセシルが、お母様の翼となって全てを代行いたしますわ!」
「あらあら、セシルちゃん。嬉しいけれど、今日はお醤油の買い出しにも行かなきゃいけないし、シロちゃんのブラッシングも……」
「なりません! お醤油はガリたちをマッハの速度で走らせました! ブラッシングは……ええい、シロ様にはこれでも噛んでいてもらいましょう!」
セシルが、魔力を凝縮した高級な乾燥肉(神獣用)をシロの口に放り込み、強引に黙らせる。
「さあ、お母様。このクッションにお座りください。いえ、沈んでくださいまし! ここから先、お母様の視界に入る不浄な埃は、私の睫毛が動く間に全て浄化して差し上げますわ!」
サツキは「あらあら、すごい気合ねぇ……」と、断る隙も与えられず、ふかふかのクッションの海へと沈められた。
セシルはすぐさま跪き、サツキの足を香油で清め始め、さらには扇で涼やかな風を送り出す。その動きは、もはや聖女というより、最高級の執事か、あるいは狂信的な従者であった。
そこへ、騒ぎを聞きつけたアリアとルナがやってくる。
「ちょっとセシル! 何よその豪華なセッティング! ママを独り占めするつもりでしょ!」
「……不公平。……ママの、……膝枕、……私の、……予約、……済んでいる。……セシル、……邪魔」
アリアとルナが参戦しようとするが、セシルは冷徹な微笑みを浮かべ、二人に向けて強力な「沈黙」と「固定」の魔法を放った。
「お黙りなさい、お二人共。お母様には今、雑音ではなく、純粋な静寂と私の奉仕が必要ですの。……お母様の休日をプロデュースできるのは、この里で最も家事が得意(自称)な私だけですわ!」
「むぐぐぐ……!(セシル、後で絶対に成敗してやるぅうう!)」
アリアたちが変なポーズで固められる中、サツキはセシルの過剰すぎる奉仕を受け、うとうとし始めた。セシルの魔法は、強制的にリラックスさせる効果まで付与されていたのだ。
「あらあら……。本当に、眠くなってきちゃったわ……。セシルちゃん、ありがとうね……」
「……っ!! お、お母様……。今、私に『ありがとう』と……! あぁ、これこそが神の祝福! 至高の福音ですわ!!」
セシルは歓喜のあまり鼻血を出しそうになるのを必死に堪え、自分の太ももをパシパシと叩いた。
「さあ、お母様! 仕上げはこのセシルの膝枕ですわ! 昨日、最高級のクリームで保湿し、この時のために極上の弾力へと仕上げてまいりました! 存分に、存分に私を枕になさってくださいまし!!」
サツキが、吸い寄せられるようにセシルの膝に頭を預ける。
セシルは、自分の太ももにかかる「お母様の重み」を感じた瞬間、脳内の幸せ回路がショートし、恍惚とした表情で天を仰いだ。
「……あ、あぁ……。……これが、真の聖域。……私は今、宇宙の真理に触れていますわ……」
(きゅう、きゅうっ……。……ふん、セシルお姉ちゃん、キモいよ……。……でも、ママが気持ちよさそうだから、今日だけは僕も隣で寝てあげるよ)
シロが乾燥肉を食べ終え、サツキの首筋に潜り込む。
セシル、シロ、そして固まったままのアリアたちの視線を受けながら、サツキは深い眠りに落ちていった。
数時間後。夕暮れの光が里を赤く染める頃。
サツキが目を覚ますと、目の前には、自分を寝かせたまま、一歩も動かずに石像のように固まっているセシルの姿があった。彼女はサツキを起こさないよう、足の痺れを神聖魔法で無理やり遮断し続けていたのだ。
「あら、セシルちゃん……。ずっとこうしててくれたの?」
「お、……お母様……。はい、……一秒たりとも、揺らしておりませんわ……」
セシルの声は震え、その瞳には限界を超えた充実感が宿っていた。
サツキは、必死すぎるセシルの頬を優しく包み込み、ゆっくりと起き上がった。
「セシルちゃん。……ママ、とってもよく眠れたわ。でもね、ママが一番休まるのは、こんなにキラキラした場所じゃなくて……あなたが普通に笑って、隣でお茶を飲んでくれる時なの。……そんなに頑張らなくていいのよ?」
「……っ!!」
セシル、その慈愛の直撃を受け、ついにキャパシティをオーバー。
「お、お母様ぁあああ……!」と叫びながら、サツキの胸に飛び込み、今日一番の号泣を開始した。
結局、豪華なクッションは翌日に「掃除が大変だから」とサツキに叱られて片付けられたが、セシルの心には「ママの膝枕担当」という揺るぎない称号が刻まれた。
ルナが「……セシル、……重い。……愛が、……重すぎる」と呆れる中、セシルは鼻歌まじりに廊下を磨き続ける。その姿は、里の誰よりも危険で、そして誰よりも幸せそうなのであった。




