第18話:ルナの試練(再戦)。神話の桃と人参のフルコース!
霊峰を統べる天狐の王夫妻が、ただの「親戚の挨拶」を済ませて去っていった翌日。
隠れ里『聖母の箱庭』の台所では、サツキが鼻歌を歌いながら、大きな籠に鎮座した黄金の果実を眺めていた。
一口食べれば寿命が千年は延び、魔力を爆発的に増幅させるという神話の果実――『神霊果』。見た目は見事な大ぶりの桃である。
「あらあら、本当に立派ねぇ。シロちゃんのご両親とも仲良くなれたし、今日はお祝いで豪華な晩餐にしましょうね!」
サツキは、その神々しい宝物を「ちょっと良い頂き物のフルーツ」として扱い、エプロンの紐をきゅっと結び直した。
「せっかくの珍しい頂き物だもの。お祝いにお野菜もたっぷり使ったフルコースにするわ。ルナちゃん、お手伝いしてくれるかしら?」
その瞬間。台所で魔導コンロの火を微調整していた賢者ルナの指先が、目に見えて跳ねた。
「…………っ。……ママ。……聞き捨てならない、……不穏なワード、……検知。……『お野菜たっぷり』。……これ、……論理的に、……オレンジ色の、……凶悪な根菜、……含まれる、……確率、……九十九、……パーセント」
「あら、ルナちゃん、冴えてるわねぇ。そうよ、里の畑で採れた一番太い人参を、今日は三本も使っちゃうんだから! お祝いだから、特別大サービスよ」
「………………ッ(絶望)」
ルナの瞳から、光が消えた。
彼女にとって、人参とは「食べるもの」ではなく、かつて人類が直面した最大の脅威である魔王軍に匹敵する、いや、それ以上に厄介な「戦うべき対象」である。
だが、サツキは楽しそうにまな板の上に、魔力を吸って丸々と太った、もはや鈍器に近いサイズの人参を並べ始めた。
―― 1時間後。
食卓には、かつてないほど「オレンジ色」に染まった豪華な晩餐が並んでいた。
「わぁ、美味しそう! このポタージュ、すごく濃厚だね!」
「お母様、このグラッセの輝き……。まるで最高級の魔石を煮込んだようですわ!」
アリアとセシルが歓喜の声を上げる中、ルナはスプーンを握ったまま、石像のように固まっていた。
彼女の目の前には、サツキが「ルナちゃん専用」として盛り付けた、三段構えの「人参の壁」が立ちはだかっていた。
一、人参のポタージュ(アリアが神速で裏ごししたため、一粒の固形物もなく『味』だけが濃縮された液体)。
二、人参のハチミツグラッセ(素材の甘みを最大限に引き出した、逃げ場のない人参感)。
三、人参のシリシリ(セシルの祈りにより、栄養価と彩りが限界突破した逸品)。
「……ママ。……無理。……私の、……胃袋、……神話級の、……拒絶反応。……これ、……食べたら、……賢者の、……全知全能、……崩壊する」
「あらあら、ルナちゃん。そんな大げさな。……でもね、ルナちゃんが健康でいてほしいから、ママ、頑張って作ったのよ? 少しずつでいいから、食べてみて?」
「…………う、……うぅ……」
ルナは震える手でスプーンを持ち、脳内で極秘の魔法式を構築した。
彼女が選んだのは、視覚と味覚の情報に直接干渉する禁断の幻惑魔法。自分の目に見える「オレンジ色の物体」を、大好物の「真っ白なプリン」に書き換え、さらに脳を騙して「これは糖分である」と認識させるという、大陸最高の魔導を最も私的な理由で使う禁じ手である。
(……よし。……これなら、……食べられる。……私は、……今から、……特大のプリンを、……食べる。……これは、……プリン、……プリン、……なんだ……)
ルナが震えながら、スプーンを口に運ぼうとした、その時だった。
「ルナちゃん。……魔法でママを騙して食べようとするなんて、そんな嘘をつく子は……ママ、嫌いよ?」
サツキの、静かで、慈愛に満ちた、けれど全てを見通す一撃。
ピキィィィィィィィィィィン!!
ルナの脳内で、理性の弦が千切れる音がした。
世界で一番大好きな、この世界に生まれた意味そのものである「ママ」からの、「嫌い」という仮定の言葉。それは魔王の絶技よりも、世界の崩壊よりも、彼女にとっては恐ろしいものであった。
「…………ぁ、……あ、……あぁ…………」
ルナの大きな瞳から、大粒の涙がポロポロと、いや、ボロボロとこぼれ落ちた。
それは、これまでの「嫌だ嫌だ」という子供じみた抵抗ではなく、魂の根源を揺さぶられた絶望に近い、本物の『マジ泣き』であった。
「……ママ、……嫌い、……言った。……世界、……終わった。……私、……死ぬ。……ママに、……嫌われるくらいなら、……今すぐ、……無に、……還る……。う、……うわぁあああああああん!!」
大陸最強の賢者が、幼児のように声を上げて泣き崩れた。
あまりの泣きっぷりに、アリアとセシルも「え、ルナ!?」「ちょ、やりすぎですわルナさん!」と慌てふためく。
「あらあら……。ルナちゃん、ごめんね。そんなに泣かなくてもいいのよ」
サツキは困ったように微笑み、泣きじゃくるルナを抱き寄せ、自分の膝の上に座らせた。
サツキの膝の温もりと、石鹸の香り。それがルナの暴走した精神を、少しずつ凪へと導いていく。
「よしよし。嫌いなんて言わないわよ。ルナちゃんが大好きだから、元気に育ってほしくて言っただけなの。……ねぇ、ママと一緒に頑張ってみない? ママが『あーん』してあげるから」
「……う、……ぐすっ。……あ、……あーん……?」
ルナは真っ赤な目で、鼻をすすりながらサツキを見上げた。
サツキは優しくルナの涙を拭き、スプーンに一口分、人参のポタージュを掬った。
「はい、あーん」
「………………はむっ」
ルナは、ママの指先に触れんばかりの至近距離で、ポタージュを口に含んだ。
本来なら「人参の味」に悶絶するはずだった。しかし、ママの膝の感触と、耳元で聞こえる「偉いわね」という囁きが、彼女の味覚神経を完全に麻痺させ、それを「至高の甘露」へと変換させた。
「……ん、……ごくん。……たべ、……た。……ママ、……食べられた、……よ」
「まぁ、ルナちゃん! すごいわ! あんなに泣いたのに、三本分もちゃんと食べられたじゃない!」
サツキがルナの背中をトントンと叩き、その努力を全力で肯定する。
ルナは、胸の奥から込み上げる多幸感に、再び涙をこぼした。今度は、喜びと安心の涙だった。
「……ママ、……もう、……嫌い、……禁止。
……人参、……食べるから。……毎日、……食べるから……」
「ふふ、そんなに張り切らなくていいわよ。……さあ、ご褒美に、神様の桃(神霊果)を剥いてあげましょうね」
その後、ルナはサツキの膝の上を死守したまま、黄金に輝く桃を「あーん」で食べさせてもらい、至福の表情で眠りについた。
伝説の果実の力か、ママの愛情の力か。翌朝、ルナの魔力は通常の二倍以上に膨れ上がっていたが、彼女自身は「そんなことより、ママの膝枕の方が魔力になる」と断言するのであった。
(きゅう……。お姉ちゃん、泣き落としでポイントを稼ぐなんて、あざとさのレベルが上がってるね。……でも、まぁ、人参三本食べたなら、今日だけは譲ってあげるよ)
シロがサツキの足元で、満足げに丸くなった。
隠れ里の晩餐会。
それは、神話の果実よりも、ママの一言に一喜一憂する少女たちの、甘くて少しだけしょっぱい、家族の夜であった。




