第14話:聖女の祈りは重すぎる? ママを神様に祀り上げたい!
隠れ里『聖母の箱庭』の隅には、かつてこの地を治めていた精霊を祀るための、小さく古びた祠がある。
聖女セシルは、毎朝この場所を掃除し、祈りを捧げることを日課としていた。しかし、その日の彼女は、箒を手にしたまま石像の前でピタリと動きを止めていた。
「…………おかしいですわ」
セシルは、自らの内に湧き上がった根源的な疑問を反芻するように呟いた。
彼女の視線の先、庭の向こう側では、サツキが鼻歌を歌いながら、真っ白に洗い上げたシーツを力いっぱい広げている。
「なぜ私は、顔も知らない数千年前の精霊などに、こうして熱心に頭を下げているのでしょう? 今、目の前に……あんなにも神々しく、慈愛に満ちた、生ける奇跡(お母様)がいらっしゃいますのに!」
その瞬間、セシルの中で何かが弾けた。
長年培ってきた教会の教義が、サツキという名の巨大な母性の前に、音を立てて崩壊したのである。
「そうですわ……。お母様の日常こそが聖書。お母様の吐息こそが福音。……私は、なんて愚かだったのでしょう。お母様を『ただの家族』として扱っていただなんて、不敬にも程がありますわ!」
セシルの瞳に、かつて魔王軍を浄化しようとした時ですら見せなかった、狂信的な光が宿った。
――数時間後。サツキは、背後に感じる異様な視線に首を傾げていた。
「あらあら……。なんだか今日、視界がずっとキラキラしているわね。シロちゃん、お空にラメでも舞っているのかしら?」
「きゅう……(ママ、それ、空じゃなくてセシルお姉ちゃんの魔法だよ。……うわ、眩しい!)」
サツキが洗濯物を干すたび、その背景に勝手に「黄金の後光」が合成され、どこからともなく「清らかな合唱」が鳴り響く。
セシルが物陰から、記録用の魔導水晶を構え、サツキの一挙手一投足を『聖母の歩み』として記録し始めていたのだ。
「お母様、素晴らしいですわ! 今、シーツをバサッとなさった瞬間、邪悪な塵が光の粒子となって霧散いたしました! これは『原罪の洗濯』として、聖典の第一章に記さねばなりませんわ!」
「セシルちゃん? いつの間にそこに。……それより、そんなに近くで光を出すと、お目々がチカチカしちゃうわよ。お掃除の邪魔だから、あっちで遊んでいなさいな」
「遊びだなんて! 私は今、全人類の救済のための記録を……ひゃああっ! お母様に『あっちに行って』と言われましたわ! これは『聖母による試練』! 甘美な拒絶ですわ!!」
セシルがその場に跪き、恍惚とした表情で地面を叩く。
この異常事態に、いち早く反応したのはアリアとルナだった。
「ちょっとセシル! ママに変な魔法をかけないでよ! ママが本物の神様みたいに見えて、遠くに行っちゃいそうで怖いんだから!」
アリアが半べそをかきながら、セシルの魔導水晶を奪おうとする。
「……セシル。……不快。……ママは、……私の、……お布団。……神格化、……禁止。……拝むより、……抱っこ、……優先。……あなたの、……魔法、……邪魔」
ルナも無表情ながら、指先から魔法を弾いてセシルの演出を打ち消そうとする。
「皆様、分かっておられませんわね! お母様は、この狭い隠れ里に閉じ込めておいて良いお方ではないのです! お母様の慈愛をシステム化し、全世界が平等にお母様の『あーん』を受けられるような聖都を築く……それこそが私の使命!」
「ママの『あーん』を全世界に!? 絶対に嫌だ! ママの『あーん』は私だけのものだもん!」
アリアが絶叫し、里の庭で最強の乙女たちによる「ママの解釈違い」を巡る紛争が勃発した。
(きゅう、きゅうっ! お姉ちゃんたち、騒がしいよ! ママを勝手にアイコン化しないでよ、僕が一番近くで甘えるんだから!)
シロも参戦し、セシルの足首を甘噛みして抗議する。しかし、覚醒した聖女は止まらない。
「お母様! 私、決めましたわ! この古民家ではお母様の神性に不相応です! 魔王討伐の報奨金を全て使い、この里を純金の離宮に改修いたしますわ! 屋根にはダイヤモンドを敷き詰め、廊下は全て真珠で磨き上げます!」
セシルが、懐から国家予算級の小切手を束で取り出し、サツキの足元へ献上しようとする。
「あらあら、セシルちゃん。純金のお家? そんなの、夏は暑そうだし冬は冷えそうねぇ。それに、金箔はすぐ剥げちゃうから、毎日のお掃除が大変だわ」
サツキは、セシルが差し出した「神殿建設案」を、お茶請けの相談でも受けるような気安さで受け流した。
「ママ、今の木の温もりがあるこのお家が好きなのよ。みんなで縁側に並んで、お茶を飲むのが一番の幸せなんだから。ね?」
「……っ。……お掃除が、大変……。お母様の幸せは、……この縁側に……」
セシルの動きが止まった。
彼女にとっての「最高級の礼賛」が、サツキにとっては「生活の邪魔」という一言で一蹴されたのである。
「そうですわ……。私はまた、自分の価値観をお母様に押し付けようとしてしまいましたわ……。お母様にとっての機能性こそが、真の神聖さ……!」
セシルは再び、独自の方向に納得して立ち上がった。その瞳には、先ほどよりもさらに深い、底知れぬ決意の炎が灯っている。
「ならば、汚れを一切寄せ付けず、かつお母様が最高の睡眠を得られるような……『天空の浮遊離宮』を検討せねばなりませんわね。……ふふ、ふふふふふ」
「あら、セシルちゃん、また難しい顔をして。ほら、おやつに苺大福を作ったから、みんなで食べましょう。白玉粉が少し余ったから、シロちゃんの形に丸めてみたのよ」
「……っ! 聖母の手による、天啓の和菓子……! いただきますわ、お母様!!」
セシルは恭しく苺大福を受け取り、それを食べる前に三十分ほどあらゆる角度から観察し、スケッチし、祈りを捧げた。
結局、彼女の「サツキ神格化計画」は、形を変えてより一層、内側へと深化していくことになる。
アリアとルナが「セシルの目がマジすぎて怖い……」と引き気味に大福を頬張る中、セシルの脳内では、サツキを世界で最も快適な玉座(自分の膝枕)へ誘うための、次なる策略が練られ始めていた。
(きゅう……。ママ、セシルお姉ちゃん、なんだか別の生き物になっちゃったみたいだよ……。あ、この大福おいしい)
甘い苺大福の香りに包まれた隠れ里。
だが、聖女セシルの「重すぎる祈り」が引き起こす更なる騒動の予感に、里の空気はどこか妙な熱を帯び始めていた。




