第12話:騎士団、里の外郭ガードに志願。ママの炊き出しは譲れない!
隠れ里『聖母の箱庭』に、かつてないほど爽やかな朝が訪れた。
昨日まで殺気と疲労に塗れていた教会本部の精鋭騎士たちは、サツキが干した「太陽の香りがするお布団」の魔力によって、赤子のような安らかな寝顔で庭の芝生に転がっていた。
小鳥のさえずりが響き、結界の隙間から差し込む朝日が、銀色の鎧を柔らかく照らす。
真っ先に目を覚ましたのは、大司教グレゴリオであった。
彼は、自らの法衣がシワになっていることも、儀礼用の杖が芝生に転がっていることも気に留めず、ただ呆然と空を見上げていた。
「……う、うむ。……ここは、天国か?」
サツキ特製のハチミツ大根のおかげで、昨夜までの「アヒルの断末魔」のような声は影を潜め、その喉は驚くほど滑らかに潤っている。
彼が体を起こすと、そこにはエプロン姿で朝の空気を入れているサツキの姿があった。
サツキは彼が「教会の重鎮」であることを知っているはずだが、その視線には一分の遠慮も、過度な敬意もなかった。
「あらあら、おはようございます。よく眠れたかしら?」
「……あ、ああ。……昨夜は、その、見苦しい姿を見せた。感謝する。この喉、まるで新品に取り替えたようだ。私は大司教として、君に相応の報酬を――」
「報酬なんていいのよ。それより、そんなに肩を張って。大司教様なのかも知れないけれど、ここではただの『喉を痛めたおじいちゃん』なんだから。ほら、そんなに難しい顔をしていないで、お口をゆすいできなさいな」
グレゴリオは絶句した。
王都では誰もが平伏し、神の代弁者として傅く自分を、この女性は「喉を痛めたおじいちゃん」と定義したのだ。
だが、その言葉には棘がなく、ただただ「体調を崩した身内」を案じるような温かさがあった。
彼は、自分が背負っていた重苦しい「大司教」という仮面が、朝露に溶けるように軽くなるのを感じた。
「……おじいちゃん、か。ふふ、そうだな。今はただの、朝寝坊の老人だ」
サツキが大きな鍋を抱えて縁側に出ると、その香りに引き寄せられるように、騎士たちが一人、また一人とゾンビのように起き上がってきた。
彼らは王都でも選りすぐりの精鋭であり、普段は「鉄の規律」を重んじる冷徹な軍人だ。
しかし、今の彼らは鎧を脱ぎ散らかし、寝癖をつけたまま、サツキの手元をじっと見つめている。
「あら、みんな起きたのね。お腹が空いているでしょう? 今、朝ごはんの準備ができているわよ」
サツキが振る舞ったのは、里の野菜をこれでもかと煮込んだ「特製豚汁」と、炊きたての「巨大塩むすび」であった。
騎士団長が、おそるおそるお椀を受け取る。
「……あの、これは、聖なる儀式の食事でしょうか?」
「儀式? いいえ、ただの朝ごはんよ。お野菜をたくさん入れて、お味噌で味を整えただけ。ほら、冷めないうちに召し上がれ」
騎士団長は一口、その汁を啜った。
その瞬間、彼の脳裏に、かつて戦場へ向かう前に故郷で食べた、母の料理の記憶が奔流となって押し寄せた。
里の土壌が生んだ大根の甘み、里芋のねっとりとした食感、そしてサツキの無自覚な浄化魔法が溶け込んだスープが、連日の激務でボロボロになっていた彼の内臓を優しく愛撫し、再生させていく。
「……う、うめぇええええ!!」
一人が叫ぶと、堰を切ったように他の騎士たちも貪り食い始めた。
王都の宮廷料理のような華やかさはない。だが、ここには「人を健康にしたい」という純粋な祈りが込められていた。
「おい、これを見ろ。……オレの腕の古傷が、痛まない」
「……ああ。……頭の中の、あの嫌なノイズが消えた。……ただ、温かいだけだ」
彼らは「教会の剣」としての役割を忘れ、ただの「お腹を空かせた青年たち」に戻っていた。
サツキは、その食べっぷりの良さに満足げに目を細め、空になったお椀に次々と汁を注いでいく。
「あらあら、いい食べっぷりね。若いんだから、しっかり食べなきゃダメよ。お仕事が大変なのはわかるけれど、自分の体を粗末にする人は、ママ、応援できないわ」
「サツキ殿。自分たちは、間違っていた」
騎士団長が、お椀を地面に置き、深々と頭を下げた。
「自分たちは、この里を『利用価値のある土地』として見ていました。……でも、違った。ここは、人が人として帰るべき場所だったんだ。自分たちの剣は、権力争いのためにあるんじゃない。……こういう、温かい食卓を守るためにあるべきだったんだ!」
騎士たちが「そうだ!」「そうだ!」と拳を突き上げる。
彼らの瞳からは、先ほどまでの濁った野心が消え、澄み渡った決意が宿っていた。
「自分たちは一度、王都へ戻ります。……そして、この里を狙う者たちに釘を刺し、自分たちの休暇を全て使って、この里の『外郭ガード』として志願しに来ます!」
「休暇を全て!? ……あなたたち、お休みはちゃんと取らなきゃダメよ?」
「いいえ! ここで、サツキ殿の作る野菜を育て、里の周りの魔物を掃除することこそが、自分たちにとって最大の休息なんです!」
騎士たちは、朝食のお代わりを胃袋に詰め込むと、鎧をガチャガチャと鳴らしながら、凄まじい士気で里の外へと飛び出していった。
大司教グレゴリオもまた、杖を突きながらも、その足取りは昨日とは比べ物にならないほど軽やかだった。
「サツキ殿。……私は王都へ帰り、今回の件を『神の啓示による不可侵領域の発見』として報告しよう。……なに、心配はいらない。君の平穏を乱す者は、私が喉を枯らしてでも止めてみせる。……まぁ、この喉が枯れたら、またハチミツ大根を貰いに来るがね」
そう言って、大司教は茶目っ気たっぷりにウィンクをして見せた。
「あらあら、大げさねぇ。……まぁ、みんなが元気になってくれたなら、それが一番だわ」
サツキは、嵐のように去っていった男たちを見送り、ふぅと息をついた。
「……ママ。……あいつら、……完全に、……胃袋を、……掴まれた。……もう、……逃げられない。……一生、……ママの、……下僕」
ルナが縁側の隅で、冷めた目で騎士たちを見送る。
「ふふ、ルナちゃん。そんな言い方しないの。……でも、アリアちゃんたちも、少しは楽になるかしらね」
「ま、ママがそう言うなら、見逃してあげるけど! でも、絶対に家の中には入れないからね! ママの膝枕は、私たちだけのものなんだから!」
アリアがぷんぷんと怒りながらも、サツキの腕に抱きつく。
一方、シロは里の門の上で、新入りの「下僕(騎士)」たちが町へと走っていくのを監視するように座っていた。
(きゅう、きゅうっ。……おじさんたち、やる気満々だね。……でも、ママの一番は僕だからね。……しっかり働いて、また美味しいお土産を持ってきなよ?)
シロはあざとく尻尾を振り、朝日を浴びて白銀に輝いた。
こうして、隠れ里には「運び屋ガリ」に加え、「外郭ガード騎士団」という新たな労働力が(勝手に)加わった。
サツキは、広くなっていく畑を眺めながら、満足げに洗濯籠を抱え直す。
「あらあら、みんな働き者で助かるわねぇ。……さて、今日はお洗濯物が乾いたら、みんなで苺のジャムでも作りましょうか。甘いものは、心を豊かにしてくれるものね」
里に、平和で、どこか賑やかな活気が満ちていく。
教会の接収計画は、一晩の安眠と一杯の豚汁によって、歴史上最も平和的な「おかんの防衛線」へと書き換えられたのであった。




