第10話:家族の肖像。魔王討伐よりも、この食卓を
魔王軍が霧散し、大陸に真の静寂が訪れてから、早いもので一ヶ月が経とうとしていた。
隠れ里『聖母の箱庭』の入り口には、今日も今日とて『聖母運送』のガリたちが、汗を拭いながら大量の物資を運び込んでいた。
「おふくろさん、最新の新聞を持ってきたっすよ! どこの国も復興のお祭りで大騒ぎだって話だ。……まぁ、オレたちにゃ、おふくろさんの握り飯の方がよっぽど大事っすけどね!」
「あらあら、ガリさん。いつもありがとうね。……まぁ、世界が平和になったのね。よかったわぁ」
サツキは、差し出された新聞の『勇者一行、魔王を討伐! 人類に光を!』という大見出しを、まるで近所のスーパーのチラシでも見るような目付きで眺め、ふふっと微笑んだ。
「……ねぇ、みんな。今日は魔王さんを倒してから、ちょうど一ヶ月のお祝いをしましょうか。みんなの好物をたくさん作って、パーティーよ!」
その提案に、庭で薪割りをしていたアリア、魔法の触媒を磨いていたルナ、聖典を整理していたセシルの三人が、一斉に顔を上げた。
「お祝い!? やったぁああ! ママ、私、ハンバーグがいい! 山盛りのやつ!」
「……賛成。……お祝い、……必要。……私は、……とろとろの、プリン。……バケツ一杯分」
「お母様! 私はお母様特製のグラタンを所望いたしますわ! チーズが溢れるほどに!」
三人は歓喜の声を上げるが、ふと、アリアの動きが止まった。
「……一ヶ月かぁ。なんだか、ずっと昔のことみたいだね。魔王と戦ってたの」
かつての彼女たちは、世界最強の『兵器』だった。
人々の期待を背負い、負ければ世界が終わるという重圧の中で、凍てつくような孤独な夜を幾度も越えてきた。
賞賛の声はあっても、帰る場所も、汚れを叱ってくれる人も、温かいスープで迎えてくれる人も、そこにはいなかったのだ。
「あらあら、アリアちゃん。どうしたの? そんなに遠くを見ちゃって」
「ううん、なんでもないよ、ママ! よし、パーティーの準備だぁ! 私、世界一速く薪を割ってくるね!」
隠れ里のキッチンは、かつてない活気に包まれた。
サツキの指揮のもと、アリアは超速の剣技でキャベツを千切りにし、ルナは精密な火炎魔法でオーブンの温度を一度単位で調整し、セシルは神聖魔法で空間そのものを「美味しくなる結界」で包み込む。
夕暮れ時。
食卓には、サツキが腕によりをかけた料理が、これでもかと並べられた。
湯気を立てるハンバーグ、黄金色に輝くグラタン、彩り豊かなサラダ。
「きゅう、きゅうっ(お姉ちゃんたち、準備中ずっとヨダレ垂らしてたでしょ。恥ずかしいなぁ)」
シロがサツキの膝の上で、冷やかすように尻尾を振る。
「……うるさいわよ、シロ! だって、ママのご飯なんだもん、我慢できるわけないじゃない!」
アリアが言い返そうとした、その時。
サツキが、背中に隠していた小さな包みを三人の前に置いた。
「はい、これはママからの、本当の『おめでとう』。……夜なべして作ったから、ちょっと不格好かもしれないけれど」
三人がおずおずと包みを開けると、そこには、それぞれのイメージカラーで刺繍された真っ白な巾着袋が入っていた。
そこには、三人の姿と、そしてサツキの隣にちょこんと座るシロの姿が、温かい糸で丁寧に縫い付けられていた。
「これ……私たち?」
「ええ。あなたたちが世界を救ってくれたから、私はこうしてお料理ができるし、お洗濯もできるの。……私にとって、あなたたちは世界一の英雄だけど、それ以上に、かけがえのない私の『娘』なのよ。……無事に帰ってきてくれて、本当にありがとうね」
サツキの、震えるような、深い慈愛に満ちた声。
その言葉が、勇者たちの胸の奥に澱んでいた最後の孤独を、跡形もなく浄化していった。
「……ママぁあああああん!」
アリアが真っ先に泣き出し、サツキの胸に飛び込んだ。
「私……私、世界を救って本当によかった! 魔王を倒したときは『これで死ななくて済む』って思っただけだったけど……今は、ママのご飯を、みんなで笑って食べられることが、何よりも嬉しいんだもん!」
「……同意。……戦いの、……意味。……それは、……この食卓。……ママ、……大好き」
「お母様……! 私、私、一生この里の娘として、お母様をお守りいたしますわ……!」
三人は、ママの腕の中で、英雄としての仮面を完全に脱ぎ捨て、ただの子供のように声を上げて泣いた。
サツキは、そんな彼女たちを優しく抱きしめ、何度も何度も、その背中をさすってあげる。
「よしよし、いい子たちねぇ。……さあ、冷めないうちに食べましょう? 今日は特別にお代わりもたくさんあるんだから」
「食べる! 私、ママのご飯なら無限に食べられるよ!」
賑やかな、あまりにも賑やかなパーティーが始まった。
外の世界では、勇者たちの像が建てられ、神話として語り継がれ始めていることだろう。
だが、ここ隠れ里においては、彼女たちはただの「お腹を空かせた甘えん坊の娘たち」に過ぎない。
サツキは、美味しそうに頬張る娘たちの姿を、幸せそうに眺めながら、自分のお皿に少しだけ料理を取り分けた。
(あらあら、みんな本当に元気ねぇ。……あ、シロちゃん。あなたにも、特製の鹿肉ジャーキーをあげましょうね)
(きゅう……! ママ、分かってるね! ……お姉ちゃんたち、泣き顔のまま食べてて、顔がぐちゃぐちゃだよ。……でも、まぁ、今日だけは仲間に入れてあげるよ)
里を包む夜風は、どこまでも温かい。
魔王がいなくなった後の世界で、最も平和で、最も愛に満ちた場所。
最強の娘たちと、あざとい神獣、そして無自覚な聖母の物語は、ここからまた、新しい日常へと続いていく。
お腹いっぱいになったアリアたちが、ママの膝を枕にして、幸せそうな寝息を立て始める。
サツキは、その寝顔を愛おしそうに見つめながら、そっと電気(魔導ランプ)を消した。
「おやすみなさい。……明日も、いい日になりますように」
隠れ里の夜は、優しく、深く、更けていった。




