16.「憤り」
俺が頭を抱えている間、沈黙が流れた。
奈々子以外はきっと俺を非難はしないだろうと分かってはいたが、今になってあの時の敗北がさらに重くのしかかっていた。
その空気を打ち破るようにアサが口火を切る。
「そういえば今日はなんで城島屋敷じゃないんだ?珍しいじゃないか。」
確かにそうだ。ある種治外法権とも言える王家の末裔、城島家ではなく、失礼だが辺鄙な元観光スポットの小さな中華料理屋に俺たちのことを集めたシンの意図はなんだ。
押し潰されそうな状態でぼんやりながらも俺の思考は巡った。
「あぁ、言ってなかったっけ。安浦のオヤジさんが動き出した。多分アサを探してるんじゃないかな。」
シンは心底面白いといった風に言った。
アサは一瞬固まったが、すぐにいつも通りひょうきんに、うげえと一言呟き、苦笑いした。
安浦…俺は度重なる衝撃と懐かしさでおかしくなりそうだった。
安浦幸一。昔、俺たちの兄であり、1番の味方だと思っていた人間だが、あの正義の警官に悪と見做された時の容赦のなさは想像がついた。
「アサ、お前何をやらかした。やっさんはなんの理由もなく追いかけてくるはずがない。」
聞きたくなかったが聞かざるを得なかった。
何かを読み取ろうとアサの目を見つめた。
アサも数秒黙って俺の目を見つめ返してきた。
昔からの吸い込まれそうなキラキラした大きな深い瞳の奥に、深い闇が見えた気がして俺は目を逸らしてしまった。
そうすると、アサは寂しそうに下を見た後に、また俺やシンの方を向き、気を取り直したようにニヤッといつもの笑みを浮かべ言った。
「そこのお嬢ちゃんと似たようなもんだ。嫁が死んで、従業員…家族が殺された。世の中は知らねえが、俺は何一つ悪いことしたなんて思ってないんだよ、コウちゃん。」
殺されただと。
アサの奥さんとは会ったことはないが、シンからアサと2人で映る写真を見せてもらったことがあった。
綺麗、というよりは儚いといった表現が似合いそうな白いワンピースを着たやや長身の女性。
2人の笑顔がとにかく印象的な写真だったのでよく覚えている。
そのあと男の子が産まれたのも聞いていた。そのアサが、子供と2人でここにいる。
もっと早く何かあったことに気づくべきだった。いや、気づいていたところで何も変わらないか。
「シンちゃんには話したけど、コウちゃんは何にも知らないし、びっくりするよな。コウちゃんも、ギイチもススムも、親父の転勤からずっと会ってなかったし。」
アサは一言話すたびにいつも以上に笑顔で、それが昔の心底明るいアサを知っている者からすると、痛々しく見えた。
「簡単に言うとさ、高校を出る時に親父が死んで、土木会社のとっつぁんのとこに拾ってもらって、そこの娘と引っ付いて黎が生まれたんだ。そんでとっつぁんが引退して、俺、社長になったんだよ、似合わなすぎて笑っちゃうだろ?」
わざと会話の中心から奥さんの話を逸らしているんだろうが、そこへ近づくと、感情の震えが伝わった。
初めて会った時、亡くなった母親の話を気丈に話すアサがどうしても重なる。
「俺、頑張ったんだよコウちゃん。従業員もどうしようもない奴らだったけどさ、家族みたいだった。家族守ろうって頑張ったんだよ。」
思い出すのもしんどいのだろう。いや、辛くないわけがない。
表情は笑顔を作ってはいるが、涙が溢れるのを止められていなかった。
「俺たち、とうとう国からの仕事までもらったんだ。下請けの下請けだけどさ、相当喜んだよ。みんなでこのまま幸せになるんだって、宵にも黎にも、みんなにもいい暮らしさせれるって。頑張ればお天道さんは見ててくれるんだなって思ったよ。」
「でもさ、待てども全然カネは入らない。だから上に行ったけど話にならねえ。お偉いさんのところに行ったよ。ふざけんなって言ったさ。そしたら、そしたら次の日に、ウチのガキが1人…」
宵というのは奥さんの名前なのだろう。口にする時の語調だけで愛情が隠しきれていない。
アサはいつの間にかここまで詰まらなかったのが不自然なくらいにボロボロと泣いていた。
知ったかぶる訳ではないが、この男のことだ。
従業員を家族のように本当に大切にしていたに違いないと容易に想像ができた。
「アサ、引き継ごうか?」
シンはアサの肩に手を置いたが、アサは無言で首を横に何度も振った。
相子が黙ってアサの目の前に水の入ったコップを置き、ハンカチを手渡した。
アサは小声でありがとうと呟くとぐちゃぐちゃとハンカチで顔を拭いたあと、また話し始めた。
「ウチの従業員が仕事中に死んだ。」
無理矢理に絞り出すような声で言う。
「あいつら…あいつら認めなかった。死んだ奴に金も出ない。そんな事あってたまるかよ。散々戦ったよ。でも、みんないなくなった。嫌になっちまった。」
「そのあとわかったよ。俺たちが建ててたのは、「彼」の大邸宅だった。作ったやつもケチがついたら嫌だと思ったんだろ、死んだのは仕事中じゃないの一点張りだ。ぬか喜びしてたけど、奴らが欲しかったのは、ただ文句の言えねえただ働きだったってわけだ。」
また俺は胸を深く抉られた。
さっきの奈々子の話を聞いてもまだ当事者になりきれていなかったと思い知らされた。
俺が負けていなければ。その後悔が再び頭をもたげた。
「そのあと仕事ももらえなくなった。みんないなくなった。とっつぁんも国に連れてかれる前に自分で勝手に行っちまった。俺には宵と黎しか残ってなかった。」
アサはハンカチを置き、水を一気に飲み干すと続ける。
「今考えると、「しか」じゃなかった。それだけで十分だったんだ。さっさと他の仕事でもすればよかった。でも、俺は全部諦めた。」
ズビズビと鼻をすすりながらも、まだ話さなければという気迫を感じた。
「宵は…身体も弱かったのに俺の分まで働いて…宵は…あんなに俺と黎だけいればいいって…宵…俺が殺したようなもんだ…」
「もういい、もうやめろ、アサ。」
泣き崩れるアサに強い語調でシンが言う。
周りを見ると、勇作と佐藤も目を潤ませていた。
突然目の前に相子からティッシュの箱が置かれた。
涙がとめどなく流れていたことにそれでやっと気づいた。
「アサの奥さんの宵さんは、仕事の途中で心不全で亡くなられた。」
シンがつぶやくように言うと、ゆっくり大きく息を吸う。
「その後アサは、国側の工事の責任者を暴行。今のところ生死はわからないが、アサの話を聞く限り無事ってことはないだろう。指名手配も時間の問題だ。そこでだ、コウ。僕たちのやることは決まったな。」
シンの意図はなんだ。俺はもう第一党の党首どころか、政治家ですらない。
俺に何を期待しているというのだ。
「僕たちのやることは、とにかくナナちゃんの兄弟を助けること。」
「ただ、まず早急にやることは、俺たちの親友、大野晁を迅速に警察に引き渡し、刑務所にぶちこむことだ。」




