第二十八夜 開戦前
あの日に戻れたら。
何度、そう願ったか分からない。
周りはみんな、「仕方なかった」と言う。
俺を気遣って、慰めの言葉をかけてくる。
でも、違うんだ、そんな綺麗事じゃない。
あの時の俺は、浮かれていた。
異様な光景と、そこに渦巻いていた悪意を前にして、自分の力を過信していた。
自分なら何とかできる。自分には力がある。そう思い込んで、完全に油断していた。
何も知らないくせに。何も見ていなかったくせに。
分かったようなことを言わないでくれ。
頼むから、慰めないでくれ。
俺のせいだ。
あの時、正義感ぶって浅はかに動いた俺のせいで。
俺が。
俺が。
俺が、あの時――。
俺が、俺が、俺が、俺が……!
「……っ」
喉の奥から込み上げてきた声を、無理やり飲み込む。
拳を握る。爪が掌に食い込むほど強く。
それでも、あの日の光景は消えてくれない。
忘れたいのに、忘れられない。
忘れてはいけないと、自分自身が許してくれない。
ああ。
俺は――大馬鹿野郎だ。
◇
あの死闘の果てにドラゴンを打ち倒してから、早くも二年の歳月が流れた。
俺も今年で十八歳を迎えている。
「その歳にしては老け顔だろ」
などと周囲からはよく言われる。
だが、俺自身はまったく認めていない。
十八歳なんて、まだまだ若者の真っ只中だ。
少なくとも、鏡を見る限りではそこまで酷くない……と思いたい。
ちなみに以前、身近なアガピにそれとなく聞いてみたことがある。
『俺ってそんなに老けて見えるか?』
すると彼女は、俺の顔をしばらく眺めたあと、
「まあ、そんなもんでしょ」
と、なんとも気のない生返事を返してきた。
あれは肯定だったのか。
それとも、単純に興味がなかっただけなのか。前者であってほしい。
未だに判然としない。
そんな俺も、今や最高ランクの一角である――Aランク決闘者だ。
地道に、コツコツと実績と信頼を積み重ねてきた甲斐あってか、かつてのように俺を子供扱いし、小馬鹿にしてくるような奴は、もう完全にいなくなった。
むしろ最近では、任務先で名前を出しただけで話が通ることすらある。
二年前の自分からすれば、想像もできない変化だった。
俺から少し遅れる形にはなったが、アガピも無事にAランクへと昇格を果たしている。
俺が早くなれたのは戦士職には定期的に大会が開催されているため、実績を稼ぎやすいという恵まれた環境のおかげでもあるので、彼女が大した時間をかけずに一気に駆け上がってみせたことはさすがだ。
才能だけではない。
日々の鍛錬。
実戦での経験。
そして、負けた時に何が悪かったのかを考え、次へ繋げる貪欲さ。
その積み重ねが彼女の実力を支えているのだろう。
一方、ゴニアは、Bランクにとどまっている。
とはいえ、日頃の彼の戦闘能力や判断力を見ている限り、Aランクへの昇格もそう遠い未来ではないはずだ。
俺たちは日々、弛まぬ努力と溢れんばかりの気合いを胸に、協会から持ち込まれる厳しい任務を一つひとつ確実にこなして過ごしてきた。
討伐。
護衛。
調査。
クリーチャーの駆除。
時には命懸けになることもあった。
それでも、生きて帰ってくる。
そして、また次の任務へ向かう。
そんな生活を繰り返しているうちに、懐にはかなりの金が貯まってきていた。
協会が提供している「預金制度」は、俺たちのような決闘者にとって本当にありがたいシステムだ。
討伐報酬や危険手当で膨らんだ金貨を安全に預かってくれる上、預けた金を口座から引き出せるのは口座を開設したその支部限定――なんていう不便な縛りも一切ない。
世界中(実際には協会は文明が変わると別らしいのでちゃんとできるかは分からないが)、どの支部の窓口へ行ってもスムーズに引き出せる。
長距離の任務が多い俺たちにとっては、重宝しないはずがなかった。
……そんなわけで。
二年間俺たちは、かなり順調に冒険者としての生活を積み上げてきた。
少なくとも、表面上は。
――しかし。
今年の夏は、例年通りの平穏とは程遠いものとなった。
◇
異変は、最初は小さなものだった。
いつもなら地下や森林の奥深くにいるはずのクリーチャーが、妙に頻繁に地上へ姿を現すようになった。
それも、一体や二体ではない。
明らかに普段とは違う。
強い。
数が多い。
そして、出現する場所もおかしい。
街道。
農村。
人の住む地域の近く。
まるで、何かに追い立てられているかのように、強力なクリーチャーたちが各地へ姿を現した。
当然、発生する任務の数は跳ね上がった。
一つの任務を終えて帰ってきたと思えば、すぐに次の依頼が待っている。
休息を取る時間すら惜しんで、また現場へ向かう。
俺たちの生活は、疲弊と隣り合わせの大変なものとなった。
それでも、知恵と体力を振り絞り、必死に食らいついて生活を維持していた。
そんな怒涛の夏が終わりを迎えようとしていた――まさに、その時だった。
各地方の支部に所属する、すべてのAランク決闘者に対して。
王都に位置する「火文明」の本部へ、即座に集結せよ。
そんな異例の全域召集命令が下された。
王都か。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が僅かにざわついた。
本当に懐かしい。
最後にあの街の門をくぐったのは、二年と数ヶ月前になるはずだ。
たった二年。
されど二年。
振り返ってみれば、随分と遠い昔のことのように感じられる。
だが、ノスタルジーに浸って旅情緒を感じているような状況ではない。
俺にだって、それくらいははっきりと分かっていた。
何かが起きている。
それも、ただ事ではない。
そもそも、Aランクの決闘者というのは、地方の街や村にとって文字通りの「最高戦力」であり、防衛の要だ。
そんな決定的な戦力たちを、いくら一時的とはいえ地方から一斉に取り払ってしまったら、一体どうなるか。
権力の目が届かなくなった隙を狙い、質の悪い悪党どもが調子に乗って大冒険――もとい、大規模な悪事を始めるかもしれない。
あるいは、万が一にも超大型の強力なクリーチャーが街を襲撃してきた場合。
残された者たちだけでは到底対処しきれず、壊滅的な被害が出る可能性だってある。
単純に、現場を支える優秀な人手がごっそりと消える。
それだけでも、地域にとっては致命的な大問題なのだ。
一応、この緊急招集の事実そのものは、最低限の関係者にしか伝えられていない極秘事項のようだった。
だが――
「人の口に戸は立てられぬ」
ということわざ通り。
物資を運ぶ運送業者。
各地を行き来する商人。
宿屋。
酒場。
人が集まり、情報が行き交う場所はいくらでもある。
そこから噂が漏れ出し、勘のいい悪党に察知されるのも時間の問題だろう。
それほどまでに大きく、危険極まりないデメリットやリスクを冒してまで、なぜ本部はこんな強硬手段に出るのか。
――答えは一つしかない。
地方の防衛が手薄になるリスクを、遥かに上回る。
それほどまでに、とんでもなく「やばい事態」が。
王都――あるいは、この世界全体で起ころうとしている。
そう考えるしかなかった。
だが、ここで俺一人がいくら頭を抱えて焦ったところで、今すぐにできることなど何もない。
俺にできることは、ただ一つ。
呼ばれた場所へ行くことだ。
◇
ガタゴト、ガタゴト。
車輪が乾いた音を立てる。
乗り合い馬車は、乾いた土埃を巻き上げながら舗装路をゆっくりと進んでいた。
窓の外には、夏の終わりを迎えた草原が広がっている。
強い日差しは未だ衰えておらず、窓から差し込む光が車内の床を白く照らしていた。
開け放たれた窓からは、草木が蒸せ返るような生温かい風が吹き込んでくる。
俺は座席にもたれかかった。
馬車の揺れに合わせて、身体が僅かに上下する。
……眠い、疲れている。
ここ最近は任務続きだったから、こうして座っているだけでも妙に気が抜ける。
だが、完全に気を緩めるわけにはいかなかった。
これから待ち受けているものが何なのか。
それすら、俺たちは知らないのだから。
俺は窓の外へ視線を向ける。
流れていく景色をぼんやりと眺めながら、これから起こるであろう未曾有の嵐を思う。
そして、静かに目を閉じた。
今はまだ、何もできない。
ならばせめて、その時が来た時に、動けるように。
俺は馬車の心地よい揺れに身を任せながら、体と心の英気を養うのだった。
◇
王都へ到着したものの、指定された集合時間まではまだしばらく間があった。
俺たちは、石畳が敷き詰められた王都の大通りを、当てもなくぶらぶらと散策することにした。
行き交う人々の賑やかな喧騒。
露店から漂う香辛料の香り。
焼きたてのパンの匂い。
遠くから聞こえてくる商人の呼び声。
馬車が石畳を踏み鳴らす音。
二年前と変わらない。
少なくとも、街そのものは。
そんな景色を眺めていると、かつてここを訪れた時の記憶が少しずつ蘇ってくる。
あの頃は、こんな未来になるなんて考えもしなかった。
俺がAランクになって。
アガピもAランクになって。
ここまでは心のどこかで思っていたかもしれないがこうして再び王都へ呼び戻されることになるなんて。
人生というものは、本当に何が起こるか分からない。
そんなことを考えながら人混みを歩いていると――
見覚えのある背中が目に留まった。
「あ、師匠。お久しぶりですね」
「こんにちは」
俺とアガピが声をかける。
すると、その人物はこちらへ振り返った。
一瞬、驚いたように目を見開き。
次いで、懐かしそうに目を細める。
「ん、お前らか。久しぶりだな。元気にしてたか?」
「そりゃあもう。ただ、最近はクッタクタですけどね」
「私も結構疲れてますよ」
「あ~、今年の夏は忙しかったもんなぁ。俺も大変だったぜ」
師匠は肩を回しながら苦笑する。
「ま、こんな世間話を語ってる場合じゃないんだろうけどな」
軽口、いつも通りの調子。
旅の疲れが少しだけ抜けていくような、そんな何気ない会話だった。
だが――俺の胸の中には、ずっと拭えない疑問が残っている。
俺は表情を引き締めた。
「やっぱり、そうなんですかね」
「何が?」
「今回の召集。何か、目星とかはついてます?」
師匠の表情から、僅かに笑みが消えた。
「ああ……」
短い沈黙。
そして、周囲を一度見渡したあと。
声を少し落として、答えた。
「そうだなぁ。多分、侵略者だ」
その単語を聞いた瞬間。
背筋に、冷たいものが走った。
「あいつらが、本腰入れて攻めてきたんじゃないか?」
――侵略者。
実物を見たことは一度もない。
だが、その存在については知っていた。
酒場で耳にする物騒な噂話。
街角で奏でられる吟遊詩人の不気味な唄。
子供を脅かすための怪談。
そのどれもが、侵略者という存在を恐ろしいものとして語っていた。
曰く、人の姿をした怪物だと。
曰く、恐ろしい速度で襲いかかってくる怪物だと。
曰く、恐ろしい唸り声を上げる異形で、極悪非道な人間だと。
どれが本当なのか。
そもそも、どこまでが事実なのか。
俺には判断できなかった。
俺が記憶の底にある噂を反芻していると、隣で話を聞いていたアガピが顎に手を当てた。
「私も聞いた限りはそんな感じだねぇ」
少し考え込む。
そして、
「ただ、侵略者っていうぐらいなんだから人間なんだろうけど。私たちが憑依させるのと同じなんじゃないかな?」
そう推測した。
それを聞いた師匠は、遠い目をしながら重々しく頷く。
「ああ」
「……?」
「俺は実際に見たことがある」
「えっ、そういえば昔、そんなことを言ってましたね」
思わず声が漏れた。
師匠は、そんな俺たちの反応を気にすることもなく続ける。
「あれは、やべえ奴らだった」
「へぇ……どんなですか?」
気になって尋ねる。
師匠は少しだけ考えるように視線を上へ向け――
淡々と。
しかし、俺たちが耳を疑うような言葉を口にした。
「上半身は鎧を着込んでいて、下半身はタイヤに鉄の塊がくっついているやつだった」
「…………」
「もっとも、それだけじゃないんだろうが」
「…………?」
俺は思わず首を傾げた。
何を言っているんだ?
わけが分からない。
上半身が鎧。
そこまでは分かる。
だが――下半身がタイヤと鉄の塊?
人間どころか、クリーチャーの類としても想像がつかない。
隣を見る。
アガピも完全に困惑した顔をしていた。
「……タイヤ?」
「タイヤだ」
「……鉄の塊?」
「鉄の塊だ」
「……人間?」
「多分、人間だったと思うぞ」
多分って何だ。
ますます分からない。
俺たちの困惑した様子を見て、師匠は足元に転がっていた木切れを拾い上げた。
そして、地面の乾いた土へしゃがみ込む。
ガリ。
ガリガリ。
木切れが土を削る音がする。
「こんな感じだ」
「…………」
数秒後。
師匠は満足そうに立ち上がった。
俺とアガピは、地面に描かれた「それ」を見下ろす。
…………。
……。
酷い。
あまりにも酷い。
「…………師匠」
「なんだ?」
「これ、何ですか?」
「見れば分かるだろ」
分からない。
全然分からない。
鎧らしきもの。
タイヤらしき円。
鉄の塊らしき何か。
それらが混ざり合った謎の物体が、地面に鎮座している。
師匠の絵心が壊滅的にないのか。
それとも、実物が本当にこんな奇怪な姿をしているのか。
判断がつかない。
「……本当に、こんな奴だったんですか?」
「まあ、大体そんな感じだ」
「大体って……」
アガピも地面の絵を眺めながら、微妙な顔をしている。
「これを見て侵略者だって分かる人、いるのかなぁ……」
「俺は分かるぞ」
「師匠以外で」
「…………」
師匠が黙った。
どうやら本人にも思うところがあるらしい。
やがて師匠は立ち上がり、地面に描いた落書きを靴の底で雑に踏み消した。
「ま、そこら辺は説明があると思うぜ」
そして、何事もなかったかのように踵を返す。
「そろそろ時間だ。行こう」
「……そうですね」
俺はアガピと顔を見合わせた。
互いに何か言いたげな顔をしている。
だが、結局何も言わなかった。
侵略者。
その正体も。
目的も。
そして、なぜ今になって全域召集がかけられたのかも。
まだ何一つ分からない。
ただ一つ確かなのは――
何かが、始まろうとしている。
そんな妙な胸騒ぎを覚えながら、俺たちは静かに立ち並ぶ重厚な建物の隙間を抜け、王都の協会本部へと向かって歩き出した。
二年前とは違う。
あの頃とは、立場も、力も、背負っているものも違う。
そして――
これから俺たちが目にするものも。
きっと、あの頃とは比べ物にならないほど大きなものになる。
そんな予感だけが、胸の奥に残っていた。




