第二十七夜 会談
一人の少女がいた。
彼女は腕っぷしこそ強かった。しかし、所詮は一人だった。
どれほど拳を振るおうとも、守れるものには限りがある。
大切なものどころか、自分自身の身さえ守ることはできなかった。
一人の女性がいた。
彼女は己の力を増した。
そして、一人では守れないのならばと、勢力を手に入れた。多くの者を従え、誰にも奪わせないだけの力を求め続けた。
しかし――真に求めていたものだけは、手に入らなかった。
一人の皇帝がいた。
彼女は、今や彼女に迫る勢力など存在しないほど、その力を巨大なものへと変えていた。
少女だった頃とは違う。
女性だった頃よりも、多くのものを持っている。
力がある、兵がいる、国がある。
そして、その手には皇帝という絶対的な権威さえある。
それでも。
彼女は本当に、大切なものを守ることができたのだろうか。
その答えを知る者は、誰もいない。
◇
「ではこれより――五文明による、対侵略者への対策会議を始める」
静まり返った会議室に、よく通る声が響いた。
発言したのは、光文明の皇帝――エルガ・タラポリア・オクトロス。
その一言を合図に、巨大な円卓を囲む者たちの間に、目には見えない緊張が走る。
ここに集まっているのは、ただの国家の代表者ではない。
五つの文明を動かし、数え切れないほどの兵と民の運命を握る者たちだ。
彼らの言葉一つで軍が動き、国境が閉ざされ、そして時には、数多くの人間が死ぬ。
会談は開始された。
これからこの場では、侵略者を退けるための戦略が話し合われる。
しかし同時に、それぞれの文明が抱える事情、利害、そして思惑が複雑に絡み合うことになる。
互いに協力するための会議でありながら、誰もが完全に相手を信用しているわけではない。
表面上は対侵略者という共通の目的を掲げていても、その内側では無数の謀略が展開される可能性があった。
そんな中、火文明の皇帝――イスチロス・アニキトス・イチロス八世は、表情一つ変えることなく、必死に頭を巡らせていた。
まず、状況を整理する。
現在、大陸中の勢力は、突如として現れた侵略者へ対抗するため、一時的に力を合わせようとしている。
もし、本当に全ての勢力が一つの目的のために団結し、余計な思惑を捨てて戦えるのなら。
(……だったら、どれだけ良かったことか)
イスチロスは心の中で小さく息を吐いた。
敵は大勢力だ。
一つの文明だけで相手取って、容易に勝てるような相手ではない。
ならば、全ての勢力が力を合わせればどうなるか。
おそらく、勝つことはできる。
敵の正確な戦力は分かっていない以上、あくまでも憶測に過ぎない。
それでも、前回――五年前の侵略時に確認された敵戦力の十倍程度であったとしても、五文明が本気で協力すれば、余裕を持って打ち倒すことができるだろう。
しかし。
もし敵が、それ以上の勢力を持っていたとしたら。
もし、この中に裏切り者がいたとしたら。
あるいは、誰も裏切らなかったとしても。
敵は海千山千の化け物たちだ。
ただ正面から軍をぶつけてくるとは限らない。
各文明の間に存在する対立や確執を利用し、仲の悪い勢力同士を衝突させ、互いに弱体化するよう誘導してくる可能性も十分にある。
(もし、そのせいで負けてしまったら?)
その可能性を考えるだけで、胸の奥が重くなる。
(それが、とても怖い)
イスチロスは誰にも悟られぬよう、指先に力を込めた。
そうでなくとも、現在の火文明はお世辞にも安定しているとは言えない。
貴族たちは、国難であろうと自らの利益を完全に捨てるような連中ではない。
余計な茶々を入れてくる可能性は十分にある。
軍部についても同様だ。
いざという時、全てが自分の命令通りに動くという保証はない。
そして、もう一つ。
近頃、勢力を拡大しているという反政府組織――アウトレイジ。
前回の侵略では、決して少なくない犠牲が出た。
しかし、それは敵の襲撃が奇襲だったからだ。
何の備えもない状態で突然敵が現れた。
だからこそ混乱し、多くの人間が犠牲になった。
(今回は違う)
イスチロスは自分に言い聞かせるように考える。
(少なくとも、敵が再び現れる可能性は分かっている。備えている今なら、前回ほどの犠牲は出にくい……そう思いたい)
それでも。
イスチロスの研ぎ澄まされた本能が、警鐘を鳴らし続けていた。
そもそも、勝てる見込みのない戦いを相手が仕掛けてくるとは思えない。
前回のような偵察なのか。
あるいは今度こそ勝てるだけの戦力を揃えたということなのか。
考えれば考えるほど、分からないことばかりだった。
しかし、イスチロスの表情は変わらない。
皇帝である彼女が不安を見せれば、それを見た者たちは何を思うだろうか。
だからこそ、彼女は考えていた。
誰にも気付かれないように。
そして、誰にも悟られないように。
「……侵略者は、おそらく前回と同じように戦力を分散させてくるだろう」
誰かが、そう意見を述べた。
会議室にいる者たちの視線が、発言者へと向けられる。
「足並みが揃わないまま、各文明と無理に連携を取るよりも、それぞれが動いた方がいいのではないか?」
その意見は、一見するともっともだった。
敵が戦力を分散させることには、もちろん明確な理由がある。
第一に、隠密行動を行いやすいことだ。
大軍を動かせば、それだけ発見される可能性も高くなる。
何万、何十万という軍勢を移動させれば、どれだけ隠そうとしても完全にその存在を隠し通すことは難しい。
しかし、それを複数の部隊へ分散させれば話は別だ。
小規模な部隊ならば、進軍経路を変え、森林や山岳地帯を利用しながら移動することもできる。
侵略側にとって、これは大きな利点となる。
第二に。
これは第一の理由とも深く関係しているが、軍が密集している状態では、戦略級呪文を受けた際に少なくない犠牲が出る。
軍事行動を行っている最中、敵から戦略級呪文を放たれた場合、それを防ぐためには、こちらも同等の規模の防御手段を用意しなければならない。
場合によっては、多人数による戦略級呪文を使用する必要もあるだろう。
しかし、防衛側と侵略側では条件が異なる。
自らの土地で戦う防衛側は、比較的休息を取りやすい。
後方に補給拠点があり、拠点となる都市へ戻ることもできる。
対して侵略側は違う。
長距離を移動しながら戦わなければならず、常に警戒を続ける必要がある。
そのような状況で、敵の戦略級呪文に対抗するため、こちらも何度も大規模な呪文を使用すればどうなるか。
あっという間に兵士たちは疲弊してしまう。
第三の理由も、それらと無関係ではない。
圧倒的な強者にとって、時として軍という存在そのものが足枷になるのだ。
強者は強者であるほど、単独で動いた方が本来の力を発揮できる場合がある。
軍として行動する以上、そこには規律が存在する。
味方との連携、部隊の配置、撤退の時期、進軍速度。
それらは当然必要なものだ。
しかし、圧倒的な力を持つ者にとっては、その規律が本来発揮できる力を縛ってしまうこともある。
もちろん、軍には軍の利点がある。
多数の人間が力を合わせれば、一個人では到底扱えないほどの大規模な呪文を使用することができる。
強力な結界を展開し、一人では防げない攻撃を防ぐことも可能だ。
しかし、その分だけ臨機応変な対応は難しくなる。
ならば、軍を小隊ほどの規模に分ければいい。
部隊を分散させれば、戦略級呪文を避けやすくなる。
そして部隊同士は、呪文を利用して連絡を取り合えばいい。
それが三つ目の理由だ。
そして四つ目。
防衛側の主要都市には、圧倒的な数の兵士と術者が集まっている。
彼らが力を合わせれば、個人ではどうすることもできないほど強力な結界を展開することができる。
どれほどの強者であろうと、一人で都市へ攻め込み、その結界を突破することは容易ではない。
しかし、侵略側が戦力を分散させればどうなるか。
防衛側もまた、一つの都市だけに戦力を集中させることができなくなる。
どこか一つを守るために戦力を集めれば、その間に別の地域が手薄になる。
防衛側は、主要都市だけを守っていればいいわけではない。
領土には他にも村があり、街があり、そして守るべき民がいる。
戦力を分散させられれば、防衛側もまた、それに対応して戦力を分散せざるを得なくなる。
これらの理由を考えれば、先ほどの意見は非常にもっともなものだった。
侵略者が戦力を分散させてくるならば、こちらも各文明がそれぞれの領土を守り、無理に大軍を編成しない。
それ自体は合理的だ。
しかし、問題もある。
もし一つの文明が、単独では対処できないほどの敵と遭遇した場合。
その時、一体どうするのか。
援軍が到着するまで持ちこたえられる保証はない。
むしろ、敵が各個撃破を狙っているならば、それこそが相手の思う壺になる可能性さえあった。
イスチロスが再び思考を巡らせていると、不意に肩を軽く叩かれた。
ぽん、ぽん、と。
振り向かなくとも分かる。
彼女の背後に控えていた、火文明騎士団団長――ストラティオだった。
その動きに込められていた意味も分かる。
考えすぎるな、少し、リラックスしろ。
イスチロスは小さく息を吐き、深呼吸をする。
肺に空気を満たし、ゆっくりと吐き出す。
そして、頭の中に渦巻いていた数多くの可能性を、一度だけ脇へ置いた。
今必要なのは、不安に呑まれることではない。
皇帝として、この場で答えを出すことだ。
イスチロスは静かに口を開いた。
「流石に、それは問題だろう」
その声は、先ほどまでの思考とは裏腹に落ち着いていた。
「想定外の事態が発生した場合、各文明が個別に動いていては対応できない。しかし、他文明の軍を自国へ駐留させるというのも憚られる」
他国の軍が、自国の領土へ大量に入り込む。
それは協力であると同時に、大きな危険でもある。
今は同盟を結んでいたとしても、その関係が未来永劫続くとは限らない。
「ならば、各文明の協会員を連携させるのはどうだ?」
その言葉に、周囲の者たちが僅かに反応する。
協会は文明を越えて活動している。
各地に協会員がおり、他文明との連絡手段も持っている。
正規軍とは違い、必要に応じて迅速に情報を共有することも可能だ。
「悪くないな」
そう言ったのは、闇文明のデュエル・マスター――斬札ウィンだった。
彼は腕を組みながら、イスチロスの提案について考える。
「俺も、油断しすぎるのは不味いと思っていた」
視線を円卓の中央へ向けたまま、ウィンは続ける。
「協会なら、他の文明とも連絡を取る手段を持っている」
各文明の軍を完全に混ぜ合わせる必要はない。
それぞれの文明は、基本的に自国の問題を自分たちで対処する。
そして、協会が必要と判断した場合に限り、他文明へ援軍を要請する。
「他国は協会からの要請がない限り、他文明へ積極的に干渉しない。自国内のことは、基本的にその文明が対処する」
ウィンはそこで一度言葉を切った。
「その上で、万が一に備えて、各地に決闘者を配置するのがいいかもな」
単独の文明では対処できない敵が現れた時。
通常の軍よりも迅速に動き、圧倒的な個人戦力を持つ決闘者が対応する。
各文明の主権を守りながら、完全な孤立も防ぐ。
それならば、互いに必要以上の不信感を抱かずとも協力できる。
会議室にいる者たちは、それぞれ短く意見を交わした。
細かな問題はいくつも残っている。
しかし、大まかな方針としては悪くない。
やがて、全員がそれでいいだろうという結論に至った。
「詳細は協会に任せよう」
最後に、エルガがそう告げる。
今回の会談で決めるべきなのは、大まかな方針だ。
具体的な部隊配置や情報網の整備については、現場を知る協会へ任せるべきだろう。
「では、解散だ」
その言葉と共に、五文明による対侵略者への対策会議は終了した。
椅子が引かれる音が、静かな会議室に響く。
それぞれが立ち上がり、それぞれの文明へ帰っていく。
しかし、誰もが理解していた。
会議が終わったからといって、問題が解決したわけではない。
むしろこれは、これから始まる戦いのための、最初の一歩に過ぎない。
イスチロスは席を立ちながら、もう一度だけ窓の外へ視線を向けた。
空は、何事もなかったかのように静かだった。
しかし、その静寂の向こう側では。
まだ姿を現していない敵が、こちらを見ているかもしれない。
彼女の胸の奥に残った警鐘は、会議が終わった後も鳴り止むことはなかった。




