第二十六夜 会談その前
弱者の戦い方について、前に少し話したね?
えっと、どこまで話したかな……そうそう。強いやつが群れたらどうすればいいのか、という話だった。
強さについて中途半端に話したところで、こんな話をするのもどうかと思うのだけど――要するに、数は力なのだ。
先ほどの問いに対する答えは、至極単純。
ならば、それ以上の数を集めればいい。
それに、前にも言った通り、力というものは腕力だけを指すわけではない。
金で敵を寝返らせるのも力だ。
誰よりも早く情報を掴み、相手が動くより先に罠を張るのも力だ。
敵同士を争わせ、こちらは手を汚さずに消耗させるのもいい。
味方を増やし、敵を減らし、戦う場所を選び、相手が最も嫌がる状況を作り出す。
一人では弱くとも、十人集まれば十人分の力になる。
その十人がさらに百人を集めれば、それはもう一人の強者では覆せないほどの力になる。
――だからこそ、弱者は知恵を絞る。
自分一人では勝てないのなら、勝てる誰かを味方につければいい。
正面から勝てないのなら、正面から戦わなければいい。
力とは、単純な腕力ではない。
金も、情報も、知恵も、信頼も、数も、地位も、何もかもを含めた総合力。それこそが本当の意味での「力」なのだ。
この理論に従えば、たいていの敵は打ち倒せる。
どれほど強大な相手であろうと、弱点を探し、そこへ人と金と情報を集中させればいい。
……とはいえ当てはまらない敵もいるけどね。
え? じゃあ、倒せないのはどんな相手なんだって?
そりゃあ、決まっているだろう。
今まで話した小細工を、まとめて力ずくでぶち壊せるほど強いやつさ。
◇
エルガは、王宮の一室から眼下に広がる街を見下ろしていた。
窓の向こうには、光文明の都が広がっている。
整然と敷き詰められた白い石畳。その上を行き交う人々。幾何学的に配置された建造物の数々。そのどれもが、長い年月をかけて皇家と臣下たちが築き上げてきたものだ。
朝になれば市場が開き、職人たちが工房へ向かい、子供たちが学校へと駆けていく。夜になれば街の至る所に明かりが灯り、家々から食事の匂いが漂う。
当たり前の光景。
だからこそ、エルガはそれを愛おしく思っていた。
この街は、ただ自然に生まれたものではない。
己が皇帝として頭を悩ませ、部下たちが汗を流し、先人たちが積み重ねてきた努力の果てに存在している。そこに暮らす何百万という人々の人生もまた、この国を形作る一部だった。
だからこそ――失うわけにはいかない。
(……忌々しい侵略者共め)
エルガは窓辺に立ったまま、僅かに眉を寄せた。
間もなく訪れるであろう大戦。
もしかすると、頂上から見れば、それもまた些事の一つなのかもしれない。
大きな世界の流れの中で見れば、一つの戦争など取るに足らない出来事。誰かが傷つき、誰かが死に、国土の一部が焼けたところで、それすら長い歴史の中では一瞬の出来事に過ぎないのかもしれない。
――だが。
エルガにとっては、決してそうではない。
この戦争の行方によって、光文明の未来そのものが変わる。
国が存続するのか。
民を守り抜けるのか。
これまで築き上げてきた繁栄を維持できるのか。
あるいは――全てを失うのか。
僅かな苛立ちはあった。
しかし、彼の頭脳はその感情に囚われない。
感情に任せて判断を誤れば、それによって傷つくのは自分ではない。自分の後ろにいる何百万もの民だ。
(最悪を想定しろ。敵の目的、戦力、侵攻経路。各文明の思惑……四龍教、オラクル教団、そして国内の貴族たちまで)
視線を街から遠くへ移す。
(どう動けば、この国にとって最も損失が少ない?)
理想など簡単には実現しない。
ならばせめて、理想へ近づくための最適解を探し続ける。
それが皇帝としての自分の役目だ。
その時だった。
「マリエッタ様がいらっしゃいました」
背後からテフソウの声が響いた。
エルガは一度だけ目を閉じる。
ゆっくりと息を吸い、吐く。
そして、先ほどまで浮かんでいた僅かな苛立ちを完全に消し去った。
皇帝は皇帝たるもの。
何人を前にしても、動揺した姿を見せてはならない。
「入れ」
短い返答。
間もなく扉が開いた。
入ってきたのは、一人の老人だった。
恭しく礼をしながらも、その表情にはどこか大胆不敵なものがある。
――いや。
隠そうとしていないのかもしれない。
四龍教教皇、マリエッタ。
長い年月を生きてきた老人でありながら、その瞳には老いを感じさせない奇妙な光が宿っていた。
マリエッタはエルガへ一礼すると、柔らかな笑みを浮かべる。
「お久しゅうございます、エルガ様。この度はお招きいただき――」
「礼は要らん」
エルガは言葉を遮った。
「こちらから呼んだのだからな」
そして僅かに表情を和らげる。
「……老体に長旅は疲れただろう。立ち話もなんだ。座って話そうではないか」
「これはこれは、ご配慮痛み入ります」
エルガが手を軽く上げる。
それだけで、待機していた使用人たちが一斉に動き出した。
何人もの使用人が、立派な黒曜石で作られた円卓を運び込んでくる。重厚な石の塊であるにもかかわらず、彼らの動きには一切の乱れがない。
床を傷つけることも、音を立てることもない。
まるで最初からそこに置かれていたかのように、円卓が部屋の中央へ据えられた。
続いてテフソウが二脚の椅子を運び、エルガとマリエッタの背後へ静かに置く。
二人は向かい合うように腰を下ろした。
円卓を挟み、皇帝と教皇が向かい合う。
それだけで、部屋の空気が僅かに張り詰めた。
「して、この老体に何の御用でしょうか?」
マリエッタは穏やかに笑っている。
「それとも――建前ですかな?」
その笑みが、ほんの少しだけ深くなる。
「まだ他の文明の方々もいらっしゃっておりません。今この場で話すことなど、そう多くはないでしょう」
随分な物言いだった。
部屋の空気が、目に見えないほど僅かに冷える。
しかし、エルガは動じない。
眉一つ動かさず、ただマリエッタの目を見つめる。
やがて、僅かに目を細めた。
「流石だな。よく分かっているじゃないか」
そして、声を落とす。
「この度の戦争――四龍教はどう動くつもりだ?」
「これはこれは」
マリエッタは楽しそうに目を細めた。
「何もかもお見通しですな、エルガ様」
だが、その笑みからは本心が読み取れない。
「しかし、どうもこうもありませんよ」
老人は何でもないことのように言った。
「四龍教は民と共に生きます。ただ、それだけですよ」
「……ふん」
エルガは鼻を鳴らした。
「そうか。ならば、そうしておけ」
それ以上は追及しなかった。
だが内心では、別のことを考えている。
(やはりやりづらい男だ)
この老人は、息をするように嘘をつく。
それが嘘だと自覚しているのかすら怪しい。
あるいは――本人にとっては、どちらも真実なのかもしれない。
四龍教は民と共に生きる。
それも本当。
しかし、その裏で別の目的を果たす。
それもまた本当。
マリエッタという男は、そういう人間だった。
「ええ、ええ」
マリエッタは何度か頷く。
「しかし、隠し事をしているのは私だけではないでしょう?」
柔らかな声だった。
だが、その言葉には明確な棘があった。
「陛下。くれぐれも――神に逆らわないのが陛下の身のためですよ」
エルガの瞳から、僅かに温度が消えた。
「俺は俺のために動いているのではない」
一拍。
「国のために動いている」
互いの視線がぶつかる。
言葉は少ない。
それでも、その場にいる二人の間には、まるで見えない刃が交差しているかのような緊張が走った。
エルガの瞳。
マリエッタの瞳。
互いに相手の真意を探り、どこまで踏み込めるのかを測っている。
そして――。
「陛下」
緊張を断ち切るように、テフソウが声を上げた。
「他の四文明の方々、及びオラクル教団教皇、クリスタ様がいらっしゃいました」
エルガはマリエッタから視線を外さないまま答えた。
「そうか」
そして僅かに背筋を正す。
「入れてくれ」
間もなく、扉の向こうから複数の足音が聞こえてきた。
いよいよ五文明の首脳が、一堂に会する。
エルガは静かに息を吐いた。
ここからが本番だ。
◇
最初に姿を現したのは、闇文明の代表――闇文明D・M、斬札ウィンだった。
他の文明とは違い、闇文明では政治と軍事、その双方の頂点に協会が君臨している。
その理由は、千数百年前にまで遡る。
かつて大陸全土を巻き込んだ大戦があった。その戦いの中で闇文明は覇王を失い、同時に国そのものも大きな傷を負った。それ以来、闇文明は協会による統治体制へと移行し、今日まで長きにわたって国を維持してきたのである。
だが、戦争が終わったからといって、全てが終わったわけではない。
覇王によってもたらされた損害を償うため、闇文明は現在に至るまで他文明へ莫大な賠償を支払い続けている。金だけではない。食料や農作物、資源までもが他文明へ流れていく。
その結果――かつて大陸で最も豊かだったと言われるエフォロス台地は、見る影もなく枯れ果てた。
広大だった農地には痩せた土地が広がり、作物は十分に実らない。それでも賠償は止まらない。闇文明の民が飢えても、他文明への支払いが優先される。
そのため、闇文明では年間数百万人もの餓死者が出ているとも言われている。
そんな国を、数百年もの長きにわたって治めてきた男が――斬札ウィンだった。
彼はラピスラズリすら霞んで見えるほど美しい青髪を持つ美丈夫であり、何より異様なのは、その外見が何百年経とうともほとんど変わらないことだ。
人間であるはずなのに、老いない。
それだけでも異常だというのに、彼自身の戦闘能力もまた並外れている。
闇文明において、彼は長きにわたり国を導き続けてきた統治者。
そして――《常闇の魔人》と呼ばれる、恐るべきD・Mでもある。
ウィンは何の気負いも感じさせない足取りで部屋へ入る。その表情は穏やかだったが、彼が一歩踏み出すたび、部屋の空気が僅かに重くなるような錯覚さえあった。
そして、その左右斜め後ろには二人の女性が控えている。
一人は、長身の灰色の長髪を持つ美女。
その立ち姿には奇妙な静けさがあった。
そこにいることは確かなのに、意識して見なければ存在そのものを見落としてしまいそうなほど気配が薄い。彼女の周囲だけ、まるで空気が底の見えない暗闇へ吸い込まれているかのようだった。
もう一人は対照的だった。
小柄な身体に、首元ほどまで伸びた赤茶色の髪。外見だけなら十代ほどの少女にしか見えない。
しかし、その少女から放たれる気配は、先ほどの女性とは正反対だった。
明るい。
眩い。
思わず目を奪われてしまうような、強烈な存在感。
同じウィンの側近でありながら、二人はまるで正反対の存在に見えた。
エルガは二人を一瞥する。
――どちらも、見た目だけで判断していい相手ではない。
そう判断し、何も言わずに視線を戻した。
ウィンが席に着く。
そして、次に扉をくぐったのは――火文明皇帝、イスチロス・アニキトス・イチロス八世だった。
小柄な女性だった。
しかし、その存在感は決して小さくない。
黄金の髪が歩みに合わせて揺れ、その美貌は先ほどの二人にも決して劣らない。二十代前半という若さを感じさせる顔立ちでありながら、その瞳には皇帝として国を背負う者特有の鋭さが宿っている。
若き皇帝。
それが、現在のイスチロスだった。
未だ二十代前半という若さでありながら、溢れんばかりの実力とカリスマによって火文明をまとめ上げようとしている。
そして、その武力は一騎当千と称されるほど。
《轟炎の竜皇》。
それが彼女に与えられた異名だった。
その背後には二人の騎士が続いている。
二人とも一見すればただの護衛に見える。
だが、部屋へ入った瞬間に放たれた覇気は、そんな印象を簡単に覆した。
ただ立っているだけで分かる。
――この二人もまた、只者ではない。
イスチロスはそんな視線など気にする様子もなく、自分の席へ向かう。小柄な身体に似合わぬ堂々とした歩みだった。
その次に現れたのは、自然文明を治める長老会の長老たち三人。
いずれも「長老」と呼ばれるにはあまりにも肉体が若々しい。
歳月を重ねていることは間違いない。しかし、肉体は衰えるどころか、未だに鍛え上げられている。歩くたびに衣服の下から覗く身体は力強く、その目には老獪さと共に戦士としての鋭さが宿っていた。
長い年月を生きてきた者だけが持つ経験。
そして、それを裏付けるだけの実力。
彼ら三人が並んで歩く姿は、まさに自然文明そのものを象徴しているかのようだった。
その後ろから続いて現れたのは、オラクル教団の教皇――クリスタ。
自然文明に総本山を置くオラクル教団は、クリーチャーを含むあらゆる生物との融和を掲げる宗教組織である。
その頂点に立つクリスタは、透き通るような白い髪を持つ儚げな美女だった。
自然文明の長老たちが放つ力強さとは対照的に、その姿にはどこか現実離れした静けさがある。
彼女は長老たちの後ろを静かに歩き、何を考えているのか分からない微笑みを浮かべたまま、自らの席へと向かった。
そして――最後に姿を現したのは、水文明の衆議会を代表する最高議員たち三人だった。
水文明は、他の文明とはまた異なる政治体制を取っている。
国民による選挙によって選ばれた議員たちによって衆議会が構成され、その中から投票によって選出された最高議員たちが、水文明の政治を担っている。
現在の最高議員は十人ほど。
その中から今回の会談に派遣されたのが、この三人だった。
一見しただけなら、彼らはここまでに現れた者たちと比べて、あまりにも普通に見える。
豪奢な武具を身につけているわけでもない。
見る者を威圧するような巨躯でもない。
ましてや、異常なほど強大な覇気を放っているわけでもない。
だが――それもまた、水文明らしさなのかもしれない。
彼らもまた、戦士として十分すぎるほどの実力を備えている。
ただの政治家ではない。
国を代表してこの場に立つ以上、必要とあれば自ら戦場へ赴く覚悟を持った者たちだ。
三人は静かに歩み、最後の席へ着いた。
これで――揃った。
闇文明。
火文明。
自然文明。
水文明。
そして、この部屋の主である光文明。
さらに五文明とは別に、四龍教とオラクル教団という巨大な宗教勢力までこの場にいる。
それぞれが異なる政治体制を持ち、異なる思想を抱え、異なる思惑を持っている。
しかし、今だけは同じ目的のために一つの卓を囲んでいた。
――侵略者。
先日報告された、二度目の侵略。
前回とは比較にならない規模の戦いになる可能性が高い。
この場にいる誰もが、その事実を理解している。
だからこそ、軽々しく口を開く者はいなかった。
各文明の代表が席に着いたのを確認すると、エルガはゆっくりと全員を見渡した。
その視線には、一国の皇帝としての威厳があった。
「よし、全員集まったな」
静かだった室内に、エルガのよく通る声が響き渡る。
「ではこれより――五文明による、対侵略者への対策会議を始める」
その言葉を合図に、戦争前の最後の静けさが終わった。




