第十五夜 謀略
例え道を違おうとも、僕は僕の道を行く。
誰に否定されようと、何を失おうと、それだけは決して変わらない。
夜空に瞬く星々を見上げるたび、胸の奥で静かに燃える願いがある。
誰かに理解されなくてもいい。
綺麗事だと笑われても構わない。
僕はただ、この命を捧げるに値するもののために歩き続けるだけだ。
――全ては、永遠なる星の繁栄のために。
◇
待ちに待った、というほどではない。
けれど、それなりには楽しみにしていた奴隷市の日が、ようやくやってきた。
もっとも、その日が近づくにつれて妙に熱が冷めていったのも事実だった。
最初は「どんなものがあるんだろう」と少し胸を躍らせていたのに、時間が経つにつれて興味は薄れ、気づけば半分くらい忘れかけていた。
それに加えて、アガピの機嫌が日に日に悪くなっていったのも大きい。
奴隷市の話題を出すたび、彼女の空気が微妙に冷える。露骨に怒るわけではないが、視線や返事の端々に棘が混じるのだ。
だから最近では、その話題そのものを避けるようになっていた。
それでも約束は約束だ。
俺は軽く背伸びをしながら、空気を変えるように声を上げた。
「よし、じゃあ行くか!」
するとベッドに寝転がっていたアガピが、露骨に嫌そうな顔を向けてくる。
「えー、行くの? 行ってもいいことないでしょ。時間の無駄だよ」
窓から差し込む昼の光が、彼女の赤い髪をぼんやり照らしていた。
その表情は完全に乗り気ではない。むしろ「できれば行きたくない」が本音なのだろう。
「いや、せっかく誘われたんだし、顔ぐらいは出しておきたいじゃん?」
「ふーん……別にいいけどね。私も顔出しぐらいはするけど、途中で帰るよ?」
「分かってる、分かってるって。別に無理にとは言わないよ。でも何かあるかもしれないじゃん?」
「その“何か”が大体ろくでもないんだよね、君の場合」
呆れたようにため息を吐くアガピ。
その言葉に苦笑しながら、俺は適当に誤魔化した。
実際、否定できないのが困る。
そんなこんなで、なんとかアガピを宥めつつ奴隷市へ向かったのだが――。
「うわ……」
思わず声が漏れた。
聞いていた以上の盛況ぶりだった。
まだ開場して一時間も経っていないというのに、通りは既に人で溢れ返っている。
怒号、笑い声、客引きの声。
焼けた肉の匂い、酒の匂い、獣の臭気、汗の臭い。
様々な音と匂いが入り混じり、熱気となって空気を満たしていた。
檻の中には召使い用の奴隷、肉体労働向けの大柄な奴隷、戦闘奴隷、さらには露出の多い衣装を着せられた商品まで並べられている。
その周囲には露店も大量に並び、まるで祭りのような騒がしさだった。
「まさにお祭りって感じだな」
そう呟くと、隣から冷えた声が返ってくる。
「いい気分じゃないけどね」
アガピは周囲を睨むように見渡していた。
普段なら多少の冗談は返してくるのに、今はそれすらない。
歩けば歩くほど、彼女の口数は減っていく。
そしてその代わりに、短い言葉の一つ一つに刺々しさが増していった。
周囲の光景が気に食わないのだろう。
まあ、気持ちは分かる。
俺自身、完全に割り切れているわけではない。
そんな微妙な空気のまま歩き続け、教えてもらっていた建物へと辿り着いた。
「おはようございます、来ましたよ」
「おはようございます」
先日助けた奴隷商――本人曰く“専門ではない”らしいが――に、ぜひ礼をしたいと言われていたのだ。
正直なところ、そんなに礼をしたいなら金でもくれれば早いんじゃないかと思わなくもない。
だが、こういう世界では恩を繋ぐこと自体に意味があるのだろう。
俺たちの声に反応し、奥にいた男が振り返る。
商人特有の、愛想の良い笑みを浮かべていた。
「おお、来てくださったんですね! 先日は本当にありがとうございました。さあさあ、ご案内しますよ」
男は大袈裟なほど嬉しそうに手を広げ、そのまま建物の中へと俺たちを導いた。
中には多くの奴隷たちが並べられていた。
鎖に繋がれた者、俯いている者、無気力に座り込む者。
視線を合わせようとしない者もいれば、逆に値踏みするような目を向けてくる者もいる。
だが、それ以上に気になったのは別のことだった。
床の下から、妙に騒がしい声が聞こえてくる。
歓声。
ざわめき。
そして、何かを競り落とすような熱気。
俺は床を軽く見下ろした。
「? 地下でもあるのか?」
すると奴隷商は、どこか得意げに笑った。
「鋭いですね。地下では御得意様向けの高級奴隷オークションが行われているらしいです」
“らしい”と言いながら、絶対知ってる顔だなこれ。
「最近は特に珍しい奴隷が入ってきているらしくて……まあ噂ですが、人間の姿をしたクリーチャーだとか、混血だとか言われていますね」
「へえ……」
「さすがに噂でしょうけどね。もし本当なら、四龍教とオラクル教の両方を敵に回しますから」
男は肩を竦めながら笑った。
「変な噂が流れてるんだなあ」
軽く流すように返しつつも、内心では警戒心が強まっていた。
混血はともかく、人間に化ける存在なら十分あり得る。
実際、言葉を喋る奴もいた。
そして、そういう存在は大抵、とんでもなく危険だ。
俺は意識を内側へ向けた。
(おい、モルト)
すると頭の奥で、気怠げな声が返ってくる。
「『久しぶりに呼ばれた気がするぜ、イェネロス』」
(そりゃそうだ。危ない時以外は呼ばないからな。まあ、それはいいんだ)
「『分かってるよ。……つーかさ、クリーチャーって呼ぶのやめにしないか?』」
(は?)
「『お前ら、なんでもかんでもクリーチャーって一括りにするだろ? それって俺とそこらの獣を一緒にしてるようなもんじゃねえか』」
脳内で不満げにぼやくモルト。
「『そんなこと言ったら味噌も糞も一緒だろ。それに俺から見りゃ、お前らだって十分クリーチャーだぜ?』」
(何が言いたいんだ?)
「『感じ悪いから呼び方変えようぜって話だよ。そうだな……これからは“超獣”って呼べ』」
(急にダサくなったな)
「『うるせえ! それで、その超獣の話だが……いることにはいる。まあ珍しいけどな』」
モルトの声色が少し真面目になる。
「『だが、そういうのが一人だけってのは妙だ。自然発生って感じじゃねえ。怪しい匂いがプンプンする』」
(だよな……)
嫌な予感が胸に沈殿していく。
何かがいる。
しかも、多分かなり危険な何かだ。
俺が思考に没頭していると、不意にアガピが口を開いた。
「すいません、私はちょっと用事があるので先に帰ります」
「あ、そうですか。いえいえ、謝らないでください。本日は来てくださりありがとうございました」
しまった。
二人を完全に放置して、自分の世界に入っていた。
「着いてきてくれてありがと。また後で」
そう声をかけると、アガピは一瞬だけこちらを見た。
だがすぐに視線を逸らし、そのまま足早に去っていく。
どこか怒っているようにも、傷ついているようにも見えて、胸の奥が少し重くなった。
「すいません。ここには主に俺が興味あって来ただけで、アガピは付き添いみたいなものなんです」
「いえいえ。女性の方は特に、このような場所を好まない方が多いですから。不思議ではありませんよ」
奴隷商は慣れた口調で返した後、少し声を潜めた。
「一応、商売の話をしましょうか。でもお客様は特にお困りではありませんよね。アッチの方とか」
「……生々しい話はしたくないんですけど」
思わず苦笑する。
「ちょっと良くない事件がありまして。その日から性欲が湧かないんですよね」
口にした瞬間、胸の奥が鈍く軋んだ。
忘れたつもりでも、言葉にすると傷はまだ生々しい。
「アガピに我慢させてるって考えると、苦しいですけど」
「『そうだったんだな。強く生きろよ。不能治せよ』」
(うるさい)
モルトの茶化しを無視する。
奴隷商は気まずそうに目を伏せた。
「それは……申し訳ありません。まさかそういう事情とは知らず……。他のタイプの奴隷も必要ありませんよね?」
「そうですね。アガピは治癒もできますし、特に困ってないんですよ」
少し間を置き、俺は肩を竦めた。
「もし恩を返したいなら、また別の機会にお願いします」
「…………そう、ですね。分かりました。ではまた」
男は一瞬だけ何か考えるような顔をした後、そのまま去っていった。
静かになった空間の中で、モルトが低く呟く。
「『おい、大丈夫なのか?』」
(ああ。残念ながら言質は取れなかったが、間違いない。危険な匂いがする)
肌が粟立つ。
地下から漂う熱気。
隠そうとしている空気。
そして、妙な噂。
全部が繋がっている気がした。
だが同時に理解していた。
これは多分、個人が首を突っ込んでいい話じゃない。
もっと大きな組織。
もっと深い闇。
そんなものが裏にいる。
(ひとまずここを出よう。あいつらが危険なだけで、今すぐ何かを起こすとは限らない。協会には知らせた方がいいな)
そう考えた――その瞬間だった。
ガッシャアアアン!!!!!!
耳を裂くような爆音。
建物全体が激しく揺れ、天井から砂埃が降り注ぐ。
周囲の悲鳴。
何かが崩れる音。
怒号。
空気が一瞬で張り詰めた。
そして響く、男と女の声。
「一体全体これはどういうことなんだ、ライオネル!」
怒りを押し殺した声。
それに対して返ってきたのは、妙に静かな声だった。
「何、簡単な話だよ」
その声には、狂気にも似た確信が滲んでいた。
「――全ては、星の望むがままに」




