番外編 とある勇者の物語4
「クソ……ッ! クソォォッ!
どいつもこいつも、大義ヲ理解セン害虫ドモガアアアア!!!」
少女の絶叫は、もはや声というより呪詛だった。
喉は裂け、血が滲み、呼吸をするたびに胸の奥が焼けるように痛む。それでも彼女は前へ進む。砕けた肋骨が内側から肉を刺し、毒に蝕まれた身体が限界を訴えているというのに、足だけは決して止まらない。
止まれない。
止まってしまえば、きっと心の方が先に折れてしまうからだ。
闇に染まった空気が、彼女の周囲だけ異様に歪んでいる。黒い瘴気が皮膚の隙間から滲み出し、少女の身体を覆い、その輪郭すら曖昧なものへと変えていく。
少女――いや。
少女の形を借りていた“化け物”が、ついに仮面を剥ぎ捨てたのだ。
裂けた皮膚の奥から溢れ出す黒い瘴気。
それはただのマナではない。
憎悪そのものが形を持ち、蠢いている。
そしてその姿こそ、彼女自身が最も憎み、最も恐れ、何よりも否定したかった――“本当の自分”だった。
「行クゾ……◯◯◯◯……!」
かつての相棒へ向けた声は、震えていた。
怒りではない。
恐怖でもない。
――孤独だった。
けれど、その震える声に返ってきたのは、彼女が求めていた言葉ではなかった。
「ダメだ! 正気を取り戻せ、◯◯◯◯◯◯!
それは本当に……我らが主人の望んだ未来なのか?
違うはずだ!」
「ウルサイ……ッ! ゴホッ……ゴホッ……!
わかっている……わかっているとも……!」
少女は胸を押さえながら、それでも睨み返した。
「彼はもう死んだ!
私たちには“理想”だけが残ったんだ……!
彼の望んだ世界のために、どれだけ犠牲を払ってきたと思っている……!
ここまで……ゴホッ……ここまで来たんだ……!
それなのに――お前まで私を否定するのか!?」
黒い瘴気が、彼女の背後で膨れ上がる。
「例え主人の相棒であったお前でも容赦はせん!
私たちノ道ニ立チ塞ガルモノハ……コトゴトク、ブッコワシテヤル!!!」
毒はすでに全身を蝕んでいた。
皮膚は紫に変色し、呼吸はひゅうひゅうと不気味な音を立てている。それでも、その瞳だけは死んでいなかった。
燃え盛る炎のように強く、狂おしいほどに輝いている。
彼女は、そう――彼女は。
「マケルワケニハ……イカナイノダァァァ!!!」
その咆哮を遮るように、闇の中から一人の隻腕の男が歩み出た。
かつて優しかった瞳は、今や深い絶望に沈み、光を失っている。
それでも、その奥底には、しつこく残る執念があった。
――いや、執着だ。
そして以前と変わらず、自分ならできると信じて疑わない傲慢さが、そこには残っていた。
……いや、違う。
彼はもう、信じるしかなかったのだ。
信じなければ、きっと自分自身が崩れてしまう。
「俺たちは屑だ」
男は静かに言った。
「いつだって傲慢で、憤怒に囚われ、怠惰に沈み、暴食に溺れ、嫉妬に焼かれ、強欲と色欲にまみれている。
俺たちの悪意は、無関係な者すら巻き込み、討ち滅ぼす。
……でも、もうどうしようもないんだ。
こうするしかない。
俺たちには、こんなことしかできない」
隻腕の男は、自分の失われた腕へ視線を落とした。
「俺はもう、“正義”なんて都合のいい言葉で自分をごまかしたりしない。
ただ――強い方が相手を滅ぼす。それだけだ」
その言葉に、少女が僅かに目を見開く。
「そんな俺たちが、お前たちに一つだけ願いを押し付ける」
男はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、もはや迷いなどなかった。
あるのは、絶望と、それでもなお前へ進もうとする歪んだ意志だけ。
「俺たちのために――死んでくれ」
その瞬間だった。
男の身体に、偶然にして必然なる“奇跡”が宿る。
遥かなる大王の力が、短時間とはいえ、弱りきった少女に対抗し得るほどに彼の存在そのものを押し上げていく。
絶望の中で、それでも立ち上がるための力。
それは奇跡と呼ぶにはあまりにも残酷で、必然と呼ぶにはあまりにも都合がよかった。
「俺の名は、火文明副D・M――◯◯◯◯◯・◯◯◯◯◯」
「私ノ名ハ……◯◯デモ、◯◯◯◯◯◯デモナイ」
少女の身体から、黒い瘴気が噴き上がる。
「《絶望の始まり ◯◯・◯◯◯◯◯◯》」
二人は互いを睨み――そして、同時に口を開いた。
「「貴様を殺すものだ」」
◇
「死ね」
その一言は、呪いでも祈りでもなかった。
ただの事実だった。
鬼丸が踏み込んだ瞬間、地面が爆ぜ、空気そのものが悲鳴を上げて裂ける。
その速度は、もはや人間の視覚が捉えられる領域を超えていた。
大剣が振り下ろされる。
斬撃は一筋の光となって大地を走り、まるで世界そのものを二つに割るかのような破壊力をもって、カツキングの身体を縦に裂いた。
肉が裂け、骨が砕け、臓腑が飛び散る。
鬼丸は、それを見ても何の感情も浮かべなかった。
ただ、処理する。
(終わりだ。次へ行く)
そう判断した――その直後。
「……ああ、イイ。イイなぁ、お前は」
真っ二つになった肉塊が、ずるり、と蠢いた。
骨が笑うように軋み、肉が喜ぶように寄り合い、皮膚が甘えるように縫い合わされていく。
やがて二つに分かれていた身体は、何事もなかったかのように一つへと戻った。
それは再生というより、生命そのものが「まだ死ねない」と駄々をこねているような、不気味な光景だった。
否。
生命ではない。
そこにあるのは、ただの“執着”だ。
「怠惰をその身に宿しながら、それでも勤勉であろうとするその心」
カツキングは、自分の身体を確かめるように腕を回しながら笑った。
「人間離れした肉体と精神。流石だよ、やはり俺の見込んだ通りだ!」
その声は、歓喜で震えていた。
「俺の名はカツキング! 鬼丸よ、満ち足りるまで闘おう!」
鬼丸は剣を構え直す。
「黙れ。俺はお前ほど暇じゃない」
そして、冷たい目を向ける。
「喜べ。お前はこれから俺に殺される」
二人の姿が、同時に消えた。
次の瞬間には轟音が弾け、その直後には別の場所で大地が爆ぜる。
鬼丸の剣圧が地面を抉り、カツキングの拳が空気そのものを殴り飛ばす。
残像すら追いつけない速度。
殺意と狂気が、互いの存在を食い潰すように激突していく。
鬼丸の動きは、まるで死そのものだった。
一切の無駄がなく、ただ相手を殺すためだけに最短を選び続ける。
対してカツキングの動きは――死を愛する怪物そのもの。
殺されるたびに笑い、傷つくほどに昂り、死の淵に立つほど生を実感している。
技量は拮抗していた。
だが――実力そのものは、圧倒的だった。
「消し飛べ」
鬼丸の渾身の一撃が、空間ごとカツキングを抹消する。
大地が裂け、衝撃波が周囲の瓦礫を粉砕し、砂塵が天へと舞い上がった。
(遅れた。急いで合流――)
鬼丸が踵を返そうとした、その瞬間。
背後に、粘つくような気配が立った。
反射的に鬼丸が跳躍する。
直後、先ほどまで彼の首があった場所を、鋭い斬撃が通り過ぎた。
鬼丸は空中で身体を捻り、そのまま着地する。
振り返る。
そこには――。
「happy birthday、俺」
血と砂塵の向こうで、カツキングが笑っていた。
「《無敵剣 カツキングMAX》登場!」
先ほどまでとは、明らかに違う。
濃密な殺意。
そして、生きていることそのものに酔いしれているような狂気。
それらを全身に纏いながら、カツキングは嬉しそうに笑っていた。
◇
「さっきまで調子に乗っていたけど、この程度なのかい? 君たちは」
テスタロッサの声は、耳の奥をくすぐるような不快な響きを持っていた。
彼の足元には、二人の仲間が倒れ伏している。
ただ倒れているのではない。
まるで玩具を壊した後のように雑に、無造作に、そして何より――もう興味を失ったかのように転がされていた。
テスタロッサは、その身体を靴先で軽くつつく。
「……動かないね」
まるで壊れた玩具を確認する子供のような声音だった。
その仕草は妙に柔らかく、妙に楽しげで――だからこそ、妙に気持ちが悪い。
「笑わせるね」
テスタロッサは二人を見下ろしたまま、口元だけで笑った。
「それとも――あの男頼りなのかな?」
その瞳は濁った飴色をしている。
人間の形をした何かが、こちら側を覗き込んでいる。
そんな錯覚すら覚える目だった。
けれど、その男の不気味さは、単純な殺意にあるのではない。
彼はまだ、本気ではない。
目の前にいる二人を、本気を出す必要すらない相手だと思っている。
だからこそ、笑っている。
敵を侮辱しているのではない。
敵が壊れていく、その過程そのものを――楽しんでいる。
「さあ、どうする?」
テスタロッサは、まるで次に壊す玩具を選ぶように二人を見た。
「もう少しだけ、僕を楽しませてくれるんだろう?」




