第24話 魔王からの招待状
朝、起きたらペルネッタがいなかった。
寝床はたたんである。ロバのつないであった杭に、縄だけが残っていた。鍋のふたの上に書きつけが1枚のっていた。
3日で戻る。粥は鍋。食べたら4枚。
珍しいことだった。
あの子が橋の下を3日もあけるのは、俺が来てから初めてである。行き先も書いていない。仕入れだろうか。情報屋にも仕入れはあるはずだ。
粥を食べた。
借金は568枚になった。本人がいなくても、つけは増える。
ゆうべ、あの子は珍しく怒っていた。
兄さんがピンチになったら、と聞かれた。俺のことはいい、と答えた。よくないよ、と言われた。
何がよくないのか、よく分からなかった。
お助けキャラが自分を助けないのは、当たり前のことである。そう注文したし、女神様にも変えないと言った。
椀を洗っていると、橋の上で足音がした。
足音というより、足音のなさだった。
誰かが下りてくる。それなのに、砂利が鳴らない。
灰色の外套を着た、背の高い女が立っていた。
顔はフードの陰で見えない。その後ろに黒い鎧が6体並んでいた。兜の奥に目がない。関門に来たのと同じ鎧である。
「見つけた」
女の声は静かで丁寧だった。
板が浮かんだ。
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【判定結果】
対象者:なし
補足:ご本人の窮地は対象外です
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知っている。
二重線まで引かせたのだ。
俺は椀を置いた。
体力3である。仮面はない。炎もない。マントもない。相手は魔王軍で、7人いる。
お助けキャラとして、ここでやるべきことは1つだった。
逃げた。
*
橋の下から土手を這い上がった。2回すべった。
逃げているのではない。去っているのだ。そう思うことにした。去り際に2回すべるお助けキャラを、俺は見たことがないが。
後ろを見た。
黒い鎧が6体、きちんと1列になって土手を登ってくる。先頭の1体が、俺のすべった跡を避けて、草を踏まないように歩いていた。
草を、踏まないように。
大通りに出た。朝の市が立っている。人がいる。人がいれば、あいつらは手を出せないはずだ。巻きこまれた誰かがピンチになれば、俺は発動する。
それだ。
誰かがピンチになればいい。
いや、よくない。よくないが、もうなっている人がいれば、それに乗れる。
鍋だ。
あの食堂の鍋は、1日に2回は吹きこぼれる。火が強すぎるのだ。
走った。食堂の戸を開けた。
かまどの上で、大鍋が静かに煮えていた。
泡も立っていない。
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【判定結果】
対象者:鍋
対象者の状況:本日は火加減が適切です
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「何で今日にかぎって!」
「あら、あんたおとといの」
女将さんが顔を出した。
「かまどを積み直したのさ。鍋の人が毎日来るもんだから、さすがに悪くてね。火の回りがよくなったよ」
俺のせいだった。
俺が毎日蓋を取りに来たせいで、鍋が吹きこぼれなくなった。
店の外に黒い鎧が並んだ。
入ってこない。
戸口の前に6体、きちんと整列して待っている。通りがかりの客が入ろうとすると、1体が横にずれて道をあけた。会釈までした。
「何だい、あの人たちは。あんたの連れかい」
「追っ手です」
「行儀のいい追っ手だねえ」
行儀がよかった。
考えてみれば、当たり前である。
あいつらは知っているのだ。誰かが危なくなれば、黒い炎の者が出てくる。だから、誰も危なくしない。皿1枚割らない。草1本踏まない。
世界でいちばん行儀のいい追っ手が、俺を追っていた。
「あんた、顔色悪いよ。食べていきな」
女将さんが椀を出してきた。
煮こみである。
湯気が立っている。
手を伸ばした。
伸びた。
止まらなかった。板も出なかった。
そうか。今の俺は、平時だ。
食べた。
うまかった。
肉がやわらかい。根菜に味がしみている。汁が腹の底まで温かかった。
これを、俺は何回断ったのだろう。初めて鍋を救った日から、毎日。今日こそ食べていきな、と言われるたびに、施しは受けぬ、と。
7回は断っている。
「……うまいです」
「だろ。鍋の人にも食べさせたいんだけどねえ。あの人、がんこでさ」
「がんこですね」
「口も悪いし」
「悪いですね」
「でも、いい人だよ」
匙が止まった。
女将さんは空の椀をさげながら笑っていた。
お代を払おうとしたら、いらないと言われた。顔色の悪い子から取るほど落ちぶれちゃいないよ、と。
裏口から逃げた。
*
猫を探した。
あの猫は、毎日同じ木に登って降りられなくなる。学ばない猫である。
木の下に行った。
猫は地面で寝ていた。
腹を出して、日なたで。
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【判定結果】
対象者:猫
対象者の状況:本日は登っておりません
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男の子が横にしゃがんで猫をなでていた。
「もう登らないんだよ。黒い人に首をつままれたのが、いやだったみたい」
これも、俺のせいだった。
路地の向こうから、黒い鎧が歩いてくる。1体が男の子の頭の上をまたがないように、わざわざ遠回りをしていた。
走った。
石橋に出た。
あの青年がいた。娘と並んで欄干にもたれて、川を見ている。手をつないでいた。親父さんが少し離れた所で、腕を組んで見守っていた。
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【判定結果】
対象者:青年
対象者の状況:順調です
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順調だった。
何よりである。何よりだが、今だけは少し困ってほしかった。
井戸の桶も見た。落ちていなかった。縄が新しくなっていた。
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【判定結果】
対象者:桶
対象者の状況:本日は落ちておりません
補足:以上で、市内の常連はすべてです
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この街には今、困っている人がいない。
いなくなるように、俺がしたのだ。ひと月かけて、鍋の蓋を取り、猫を降ろし、花を届けて。
お助けキャラの仕事がうまくいくと、お助けキャラの出番がなくなる。
当たり前のことに、追われながら気づいた。
息が切れた。体力は1になっていた。走っただけで減る。
もう1つ、手はあった。
自分で、誰かを危なくすればいい。
屋台を倒す。馬を驚かす。瓦を落とす。そうすれば誰かがピンチになって、俺は魔王と同じ強さになれる。
足が止まった。
やらない。
それは、やらない。
わざと人を危ない目にあわせて、自分で助けに入る。前世ではそれを詐欺と呼んだ。
3枚のままでいい。
3枚のまま、逃げる。
*
下町に逃げこんだ。
路地が入り組んでいる。黒い鎧は肩幅があるから、狭い所は通りにくいはずだ。
角を曲がった所で、誰かにぶつかった。
布の束がばさりと落ちた。
「ごめんなさい!」
「いえ、こちらこそ……あ」
栗色の髪を後ろで結んだ娘だった。指先が藍色に染まっている。
染物屋の姉である。
目が合った。
向こうも、俺の顔を覚えていた。
「あなた。あの朝の」
まずい。
ここで会ってはいけない。この人は、俺が3枚と査定されて道に放られる所を見ている。その夜、仮面の俺に助けられている。2つが結びついたら。
「待ってください」
娘は、布の束を拾いもせずに、俺の袖をつかんだ。
「ずっと、探していたんです。言いたいことがあって」
来た。
土下座の順番が、思ったより早く回ってきた。あの朝、払うと言って払えなかった。代わりに売られると言って、売れもしなかった。何の役にも立たなかった。
「すみませんでした。あの時は、何もできなくて」
「銅貨3枚では、ありません」
娘はまっすぐ俺を見て言った。
「え?」
「あの人買いは、あなたに3枚と言いました。間違いです。あの男の目は節穴です」
怒っているのではなかった。
怒っているのだが、俺にではなかった。
「知らない姉妹のために、自分からあの手袋の前に立つ人に、値段なんか付けられません。私はそれを、ずっと言いたかったんです」
言葉が出なかった。
娘は落ちた布の中から、1枚を抜いて、俺の手に押しつけた。
手ぬぐいだった。
藍色である。深くて、澄んでいた。空を煮つめたような色だった。
「うちの藍です。お代はいりません」
受け取れた。
手をすり抜けなかった。
平時の俺が、平時の俺としてもらった物だからだろう。仮面の礼ではない。3枚の男への、手ぬぐいである。
「……ありがとうございます」
路地の入り口に黒い鎧が見えた。
「すみません、追われてるので」
「追われて?」
娘が振り向いた。黒い鎧を見て、顔色が変わった。それから、俺の背中を店の裏口へ押した。
「こっちへ。裏は川に抜けます」
店の中を通った。藍の甕が4つ並んでいた。小さな女の子が糸を巻いていた。俺を見て、手を振った。
看板が見えた。白い布に黒い炎の形が染め抜いてあった。
何の印なのかは、聞く暇がなかった。
黒い鎧は店には入ってこなかった。表で待っていた。染め上がった布に触れないように、1歩下がって。
*
川ぞいの長屋まで来て、行き止まりになった。
前は塀。後ろから、足音のない足音が近づいてくる。
「おじさん!」
上から、声がした。
屋根の上に少年がいた。素顔である。梯子を下ろしてくれていた。
偽者だった、あの子だ。
「こっち!」
登った。1回で登れた。この子の梯子は、いつも登りやすい。
屋根の上で、少年は俺の顔を見て、ぱっと笑った。
「やっぱり、あの時のおじさんだ。半拍ためるの、やってます。効きます」
「……そうか。よかった」
「追われてるんですか」
「そうなんだ」
「じゃあ、屋根づたいに行けます。3軒先まで。僕、道を知ってるので」
先に立って、走りだした。
身が軽い。瓦を1枚も鳴らさない。俺は3歩ごとにすべった。
黒い鎧は屋根に登ってこなかった。瓦を割るからだろう。下の路地を1列になってついてくる。俺がすべるたびに6体そろって足を止め、立ち直るのを待っていた。
追っ手に待ってもらっている。
途中、窓の中に小さな男の子が見えた。寝台の上で、こちらに手を振っていた。隣に白い法衣の女の子が座っている。男の子の手を握っていた。
谷の村の、あの子だ。
なぜここにいるのかは分からなかった。目が合って、向こうが首をかしげた。俺の顔は知らないはずである。仮面しか見ていない。
それでも、ぺこりと頭を下げてくれた。
3軒先で、少年は足を止めた。
「ここから先は、道がないです」
「十分だ。助かった」
「おじさん」
少年は少し迷ってから言った。
「本物は、樽に4回かかるって言ってましたよね」
「言った」
「あれ、どうして知ってたんですか」
答えに詰まった。
「……見てたんだ。近くで」
「そうですか」
少年はそれ以上聞かなかった。
ただ、俺が梯子を下りるのを、上からじっと見ていた。2回すべるのを。
*
結局、鐘楼に追いつめられた。
なぜそこへ逃げたのかは、自分でも分からない。高い所へ行く癖がついているのだ。追われて高い所に登る者は、物語ではたいてい終わる。32年研究したから知っている。
梯子の戸は、今日は開いていた。
考えてみると、この鐘楼に下から登るのは初めてだった。いつもは上に落ちてくる。
登りきった所で、もう逃げ場がなかった。
街が、足元に広がっていた。
食堂の煙突から、細い煙が上がっている。染物屋の干し場に藍の布がはためいている。石橋に、小さな人影が3つ。古着屋の屋根に、梯子。
ひと月、走り回った街だった。
灰色の女が音もなく上がってきた。
黒い鎧は下で待っている。鐘楼の梯子を壊さないように、1体も登ってこなかった。
女は俺の前に立った。
フードの奥から、こちらを見ているのが分かった。
長いこと、見ていた。
「……これか」
ひとり言のようだった。
「誰も危なくない時の、黒い炎の者。王と同じ力を持つ者の、中身」
俺は藍色の手ぬぐいを握っていた。他に握る物がなかった。
「これほど、空だとは」
3枚と言われるのには慣れている。
空だ、と言われたのは初めてだった。
殺される、と思った。
体力1である。指で突かれただけで終わる。
板が浮かんだ。
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【判定結果】
対象者:なし
補足:ご本人の窮地は対象外です
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2枚目が出た。
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【補足】
変更の上限に達しているため、対応できません
申し訳ございません
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謝られた。
女神様に謝られたのは、別の部署の回答が遅れた時以来である。あの時とは、字の感じが違った。
いいんです、と思った。
注文したのは、俺なので。
女は懐に手を入れた。
刃物ではなかった。
封筒だった。
黒い紙に銀の蝋で封がしてある。それを、両手で差し出してきた。
「王より、預かっている」
受け取った。手が震えた。
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【招待状】
黒い炎の者へ
北の城にて待つ
供を連れず、1人で来られたし
期日は3日後の日没
来られぬ場合は、こちらより迎えを差し向ける
その折、貴殿の連れの安全は約束いたしかねる
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連れ。
赤毛の娘が連れだと、もう聞いている。ゆうべ、あの子はそう言われたと話していた。
「なぜ、今ここで殺さない」
声が出た。変換はされなかった。平時の俺は、言いたいとおりに言える。
「王が、会いたいと仰せだ」
女は静かに答えた。
「王には、並ぶ者がない。生まれた時から、1度も。同じ力を持つ者が現れたと聞いて、王は初めて、誰かを待っておられる」
それだけ言って、女は梯子を下りていった。
足音は、最後までしなかった。
*
鐘楼の上に、1人で座った。
招待状を何度も読んだ。
断れば、迎えが来る。次は行儀よくはしないだろう。ペルネッタが戻ってくるのは3日後のはずである。期日と同じ日だ。
あの子を連れていけばいい、と頭のどこかが言った。
連れていけば、あの子は魔王の城で必ず危ない目にあう。危ない目にあえば、俺は発動する。魔王と同じ強さになれる。
吐き気がした。
それは、あの子を盾にするということだ。
わざと瓦を落とすのと、何も変わらない。
誰かを連れていけば、強くなれる。1人で行けば、3枚のままである。
1人で行く。
それしかなかった。
お助けキャラが自分を助けてどうするんですか、と俺は笑って言った。白い部屋で。窓口で、もう1度。
笑って言うことでは、なかったのかもしれない。
ゆうべのあの子の顔を思い出した。
よくないよ、と言った顔を。
あれは、怒っていたのではなかったのだろうか。
鐘が鳴る前に、下りた。
橋の下に戻った。
鍋を洗った。椀を伏せた。寝床をたたんだ。3日で戻る、という書きつけは、そのままにしておいた。
その横に俺も1枚書いた。
書くことは、あまりなかった。行き先を書けば、あの子は追ってくる。追ってくれば、危ない。
粥、うまかった。つけは消さないでくれ。
そこまで書いて、筆が止まった。
消さないでくれ、というのは変な頼みである。借金を消すなと頼む男がどこにいるのか。
けれども、そう書きたかった。
あの帳面に名前がある間は、ここに帰る場所がある気がした。
最後に、ひとこと足した。
すぐ戻る。
藍色の手ぬぐいを首に巻いた。
マントの代わりである。風がないので、なびかなかった。
北へ向かう街道に出た時、板が浮かんだ。
判定でも、補足でも、お知らせでもなかった。
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お気をつけて
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見出しが、なかった。
項目名もない板は初めてだった。
「行ってきます」
空に向かって言った。
高い所もなく、逆光もなく、偉そうな台詞もなく。
常闇に君臨せし孤高の覇者は、体力1で、歩いて魔王の城へ向かった。




