9.透明人間
その後も休憩時間の度に飽きることなく続けられた瑠璃への罵倒をやり過ごして、ようやく昼休憩になった。
瑠璃は席に座ったまま教室から皆がいなくなるのを待っていた。
「ルリ。」
誰もいなくなった教室でケイルに声をかけられた。
「…ケイル、さっきはありがとう。本当に嬉しかった。」
誰にも見られていないから声を出すと、ケイルは瑠璃の前の席に座って目線を合わせてくれた。
「ルリ、殿下と結婚の約束ってどういうこと?」
「何かの間違いよ。」
なんとなくだけどあの日の話は二人だけの思い出にしておきたかった。
瑠璃が顔を伏せるとケイルがぼそっと呟いた。
「…殿下に魔法をかけたのか?」
ケイルまで魔法を悪く言うのだと悲しくなったけど、魔女に対する世間の認識はそんなものだろう。
「かける気もないし、私は人に対して魔法をかけてはいけないの。魔法使いの掟で決まっているから。」
魔法使いの知り合いがいない瑠璃に魔法を教えてくれる人はいなかったけど、ジュリアがそれだけは教えてくれた。
人に魔法をかけられたとしても王子様を洗脳するなんて、即刻打首になるようなことを出来るほどの胆力は瑠璃にはない。
「そうか。変なことを聞いてごめん。」
ケイルが瑠璃の頭にそっと手を伸ばして、優しく撫でてくれた。
瑠璃に触れてくれたのが嬉しくてケイルに微笑んだ。
「女子達の言うことは気にするな。君に嫉妬しているんだ。殿下は派閥を問わず人気だから。」
「ありがとう。ああいうのには慣れているから大丈夫よ。
それよりも、ケイル、私に構っているとあなたまで巻き込まれるわ。初めてできた…友達…だから、あなたには辛い思いをしてほしくないの。私のことはいないものだと思って。」
誰もいないうちに言っておかなければ、と思ってケイルの目を見て伝えた。
「そんなことはできない。昨日、初めて君を見た時から守りたいと思ったんだ。なのに守れなくてごめん。」
「気持ちだけで嬉しいよ。」
ケイルも貴族だと知ったから、こうして目を見て話してもらえるだけで奇跡だとわかっていた。
瑠璃にとっては今話しているだけでも救われているのだ。
「僕の前では身分は気にしないで。僕は本当に気にしていないから。」
「ケイル…、ありがとう。」
「昼食に行こうか。一緒に食べよう。」
驚いて目を丸くしてケイルを見つめた。
リベル以外で瑠璃を誘ってくれた人なんて初めてだ。
嬉しかったけど、瑠璃はケイルと食べるわけにはいかない。
「あの、ケイル。私、食堂では姿を消すから、いつも通り他の人と食べて。」
「姿を消す?どういうこと?」
「魔法で皆から姿を見えなくするの。そうすれば殿下の目に映らなくて済むから。」
瑠璃が説明するとケイルはなぜか吹き出した。
「っ、魔法ってそんなこともできるんだ。わかった。じゃあ、またあとでね。」
「本当にありがとう。またね。」
ケイルが教室を出て、瑠璃は先程までのいじめも忘れてすっかり温かい気持ちで満たされていた。
初めて出来た友達は優しくて、本当に身分なんて関係ないような気がした。
でも、王子様の前では違う。勘違いして思い上がってはだめだ。
瑠璃はぎゅっと目を瞑って姿を消して、誰もいない廊下を誰にも見られずに歩いた。
◇◇◇
食堂に入って、瑠璃は端の席にリベル達を見つけて駆け寄った。
リベルは魔法を透視できるので瑠璃の姿を視て手招きしてくれた。
「皆、ルリが来たよ。」
「…本当にいるのか?」
リベル以外の皆が瑠璃が立っているのとはまるで違う方向の空中を見つめていたので笑ってしまった。
「こっちよ。」
瑠璃が手のひらだけ魔法を解いてひらひらとさせるとやはりリベル以外の皆がぎょっとした顔で瑠璃の手を見た。
「びっくりした。魔女って何でもできるんだな。」
笑いながら言うエデンを見て、昨日の騒ぎのせいでリベルの友人を失わせることにならなかったようだとほっと息をついた。
「ルリ、これがお前のだ。殿下が来る前に食べた方がいい。」
「リベル、ありがとう。」
リベルの隣、窓側の一番端の席に誰も手をつけていない食事が置かれていた。
昨日と違って誰にも見られていないから堪能できる、と思っていたけど、前に座る二人が笑いながら瑠璃の手元を見ている。
「…浮いてる。本当にいるんだな。」
エデンの横に座っていたリベルの友人、アランが言った。
そういえば瑠璃の姿は消したけど、カトラリーや料理はそのままにしていた。
消そうと思えば消せるけど、透明だと食べた気がしないのだ。
皆の目からはナイフやフォークが宙を舞っているように見えているんだろうと気づいて瑠璃も笑ってしまった。
「そうか、見えていないのか。」
「リベルには見えるのか?」
「俺は透視できるから。こいつの下着までバッチリだ。」
「ちょっと、リベル!」
瑠璃にだって恥じらいはある。
リベルに見られるだけならまだしも、エデン達の前で言われるのは許せない。
瑠璃は恥ずかしくてたまらなかったけど、幸か不幸か誰も瑠璃の下着には興味がなさそうで、リベルをまじまじと見て目を丸くしていた。
「透視って、まさか本当に透けて視えるのか?」
「ああ。あ、殿下がいらっしゃったぞ。」
リベルが誰もいない入口を見て言った。
エデンが不思議そうに首を傾げた。
「誰もいないけど…」
「あと一分ってとこだな。」
リベルは食堂の壁を透かしてノエル王子の姿を見つけたんだろう。
瑠璃は急いで食べ終えた食器の上にナイフとフォークを置いて、いよいよ本物の透明人間になった。
「ほんとだ……」
食堂の入口にノエル王子と茶髪の青年の姿が見えて、エデンが驚愕の表情を浮かべてから顔を伏せた。
見えていないからいいだろうと思って顔を上げたままノエル王子を眺めていると、瑠璃の姿は見えていないはずのノエル王子となぜか目が合ったような気がした。
気のせいではなかったのか、ノエル王子は確信を持ったようにこちらに向かってまっすぐ歩いてきた。
慌てて自分を確認したが、やはり何もいないように透けている。
「リベル、瑠璃はどこだ。」
瑠璃の横で顔を伏せているリベルに向かってノエル王子が聞いた。
先程急に消えたから怒らせてしまったのだろう。
王族を怒らせるなんて、見つかったら鞭打ちでは済まないかもしれない。
震える瑠璃の横でリベルもビクッと震えて、瑠璃の方をちらりと見た。
(知らないって言って!)
瑠璃が口をパクパクさせていると、ノエル王子が瑠璃の方に目を向けた。
「ここにいたのか?」
ノエル王子は瑠璃の目の前にある食器に目を向けた後、やはりなぜか瑠璃と目が合っているかのようにじっと瑠璃のいる空中を見つめた。
「殿下、ルリは殿下の尊い御目に映していただけるような身分ではございません。」
リベルが答える代わりにエデンが答えてくれた。
エデンもケイルと同じように、本当にそう思っているわけではなく、庇ってくれているのだと思えた。
でもノエル王子はエデンを無視して、空中の瑠璃に呼びかけた。
「瑠璃、いるなら返事をしてくれ。君がいないと困るんだ。」
処罰する相手がいなくて困るのだろうか、とガクガクと体が震え始めた。
リベルが気づいて机の下で手を瑠璃の膝に置いてくれた。
リベルの手の温かさに集中して呼吸を整えていると、ふとノエル王子が手を空中に伸ばした。
と思ったら、見えていないはずの瑠璃の頬にぴったりとその手が添えられた。
「瑠璃。」
途端に優しくなった声になぜか涙が出そうになって堪えた。
やはり瑠璃の姿はリベル以外には見えていないのだろう。
エデン達は顔を上げて驚いた表情でノエル王子を見ていた。
周りの生徒達も空中で手を止めて呼びかけるノエル王子を訝しそうに見ているから、このままだとノエル王子がおかしな人になってしまうと思って瑠璃は慌てて魔法を解いた。
突然姿を現した瑠璃に、食堂は大きくざわめいた。




