5.穢れた身分
瑠璃は教室の端の自分の席に座り込むと、次々に溢れ出る涙をハンカチともいえないボロ布で拭った。
今までは非人――人に非ざる者と言われても、穢れていると言われても、こんな気持ちになることはなかった。
ジュリアからは人にはない特別な力を賜った以上、差別は享受するべきことだと言われていたし、自分やラルム座の皆が認めてくれていればそれでよかった。
自分に身分や名字がないことがこれほど辛くなるとは思ってもみなかった。
そして、瑠璃色の瞳が嫌になる日が来るとは想像したこともなかった。
瑠璃の母は一歳の瑠璃を傷だらけの体で這這の体で孤児院に預け、そのまま息を引き取ったらしい。
その母が「綺麗な瑠璃色の瞳だから瑠璃」なのだという言葉を遺したとジュリアから聞いて、瑠璃は自分の瞳を誇りに思っていた。
でも、この瞳のせいであの子に――ノエル王子に八年間もとんだ勘違いをさせてしまって、無駄な期待を抱かせてしまったのだと知って申し訳なさで消えたくなった。
こんな気持ちでクラスメイトに会いたくないし、転校初日であんな騒ぎを起こしたのだからもう受け入れてはもらえないだろう。
ノエル王子に姿を見せる訳にはいかなくなってしまったし、学院長には申し訳ないけどこのまま学院を辞めよう、と決意して鞄を持って立ち上がったとき、教室の扉が勢いよく開かれた。
「ルリ!」
「…リベル。」
息を切らしたリベルが叫んで、瑠璃の元に駆けつけてきた。
恐らく建物を透視して瑠璃を探してくれたのだろう。
「ルリ、大丈夫か?大変なことに…って、大丈夫じゃないよな。」
顔中涙でぐちゃぐちゃになって鞄を手に持った瑠璃を見て、リベルは瑠璃をぎゅっと抱き締めてくれた。
リベルの体は温かくて、リベルは間違いなく人間だ。
「…私達って、人間よね。どうして…非人…なんて、呼ばれなきゃいけないの?」
リベルに言ってもしょうがないのに、一度口に出したら止まらなくなった。
「私達は何か悪いことをした?誰かに迷惑をかけた?どうして生きているだけでこんなに辛い思いをしなくちゃいけないの?」
リベルは何も言わずに瑠璃の頭を抱き込んだ。
「リベルはこんなに優しいのに、私達は穢れてなんかいないのに、どうして…。」
「ルリ、落ち着け。大丈夫だ。俺はルリの味方だ。ルリの言う通り、ルリは穢れてなんかない。俺達の大切な仲間だ。」
「っ、リベル……ううっ………」
こんなに惨めな思いをするくらいなら、いっそ生まれてこないほうがよかった。
人生で初めて生に絶望して、あの日のノエル王子の気持ちが心からわかった。
しばらくリベルに頭を撫でてもらっていたけど、やがて遠くから足音と話し声が聞こえてきた。
昼休憩が終わる時間なのだろう。
「今日はもう帰れ。辞めるのはいつでもできるから。また後で話そう。」
涙でぐちゃぐちゃになったハンカチもどきのボロ布の代わりに、リベルがポケットから瑠璃のハンカチよりは綺麗なハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう、リベル。また後で。」
瑠璃はハンカチを受け取って再びぎゅっと目を閉じた。
◇◇◇
「出会ったようだね。」
「っ、ジュリア、びっくりした…。」
朝までいたホテルのオンボロの一室に見を移すと、瑠璃のベッドにラルム座の座長のジュリアが腰掛けていた。
「おいで、泣き虫さん。」
今日の未来を見通していたのだろう、泣き腫らした瑠璃を見ても動揺する様子はなく、ぽんぽんと自分の横を叩いた。
瑠璃は素直に従ってジュリアの横に腰掛けた。
「…ジュリア。知っていたのね。」
「人の気持ちは移ろうものだから未来も不確定だが、あの王子はお前を諦めなかったんだね。」
もしかしたらジュリアは三歳の瑠璃を見た時から今日の出来事を見通していたのかもしれないと気づいた。
「誇りを忘れるなと言っただろう?」
ジュリアはそう言って瑠璃の瞳をじっと見つめた。
ジュリアには心を読むことはできないはずだけど、もしかしたら瑠璃色の瞳のせいでこうなる未来が見えていたのかもしれない。
そして今ジュリアの瞳に映っているであろう瑠璃の未来はどうなっているのだろうか、と不安になった。
「誇りを忘れなければ、未来はさほど悪いものじゃないさ。絶望するにはまだ早い。」
ジュリアが瑠璃の手からハンカチをとって、頬から滴っていた涙を拭った。
「…学院を辞めるのはもう少し考えることにする。」
「それがいい。お前がその気になれば王子の目に映らないようにすることなど容易いだろう?」
ジュリアは会話の内容まで明確に見通していたのだと知って驚いたけど、同じように異能を持つジュリアがあの言葉を知っていたことに救われた。
瑠璃は一人じゃない。苦しみをわかってくれる人がいるのだ。
それはとても幸せなことだと思った。
「魔女だもの。只人の目くらい、簡単に誤魔化せるわ。」
「それでこそラルム座の娘だ。」
ジュリアにバンバンと背中を叩かれて、瑠璃はすっかり涙が収まった。
「じゃあ、一稼ぎするか。王都は忙しいよ。覚悟しな。」
「転校する羽目になるかもしれないし、稼がなきゃね。」
瑠璃も心からの笑顔で応えて、興行に向けて支度を整えた。
◇◇◇
これぞ魔法使い、というような真っ黒のローブを纏って、瑠璃はラルム座の興行に必要な道具をこれ見よがしに魔法で浮かせながら王都の道を歩いていた。
瑠璃の前を歩くゼファーは重ねてある大きな机と椅子を見せつけるように片手で持ち上げている。
先頭を行くジュリアは怪しげな紫色のローブを纏い、深くフードを被って、使いもしない水晶玉を片手に掲げていた。
どこからどう見ても怪しい異能者の一座に、王都の民は釘付けになっていた。
ラルム座が王都に来るのは十五年ぶりらしい。
瑠璃は初めて来る王都の都会的な街並みに、先程までの悲しい気持ちは忘れてすっかりワクワクしていた。
噴水のある広場に道具を並べて、最後に魔法で日除けのテントを張ったら興行の準備は整った。
瑠璃は人目を惹くように魔法で花火を打ち上げたり、掌から小鳥を生み出してピヨピヨと鳴かせてみたりと客寄せを始めた。
ラルム座の興行は主にジュリアの占いと、皆の異能による人助けで成り立っている。
力持ちのゼファーは引っ越しから建設現場までありとあらゆるところでその怪力を遺憾無く発揮している。
透視能力のあるリベルは主な稼ぎは裏稼業の賭場だが、表では失くし物を探したり、時には警察の捜査に協力して犯人の居場所を突き止めている。
まだ小学生のレオが持っている、人や物の記憶を読む異能はあちこちに引っ張りだこだ。
迷子の動物の家を探したり、骨董品の歴史を辿って真贋を確かめたり、記憶を失った人の記憶を読んで身元を突き止めたりと依頼が絶えないので、リベルに次ぐ稼ぎ頭だ。
リベルと同じように警察の捜査にも協力している。レオが読む記憶は改ざんができないから、犯人の取り調べに立ち会えば嘘をついたらすぐにわかるのだ。
そして瑠璃はこうして魔法で客寄せをしたり、壊れた道具を魔法で直したり、畑に雨を降らせて水遣りをしたり、わざとらしく箒で空を飛んでお届け物をしたりと魔女らしいことをして日銭と学費を稼いでいた。
「お姉さん、魔女なの?」
「そうだよ。見たい魔法はある?」
「お花をたーくさん出して!私、お花屋さんになりたいの。」
小さな子供は異能者に対する差別もないから、瑠璃にも対等に接してくれる。
その後ろに立つ親は異能者とは関わりたくないというような顔をしているが、瑠璃は子供のお願いを聞くのが好きだった。
「じゃあ、見ててね。ほら!」
瑠璃が両手をぱっと広げると、広場中の街頭に蔦が絡んでたちまち満開の花が咲き誇った。
子供の頭に花冠を載せて、その手に大きな花束を渡せば人助け一丁上がりだ。
先程は嫌そうな顔をしていたけどすっかりご機嫌になった親からチップを受け取って、瑠璃は笑顔で手を振った。
「お姉さん、ありがとう。ばいばい!」
「こちらこそありがとう。また来てね。」
瑠璃が小さな女の子に手を振っていると、クスクスと嘲笑うような声が聞こえて顔を上げた。




