23.ひとときの夢
「殿下、恐れ入りますがお手を…」
教室の入口から絶対零度の殺気を感じて、瑠璃は赤くなった頬を必死で落ち着かせた。
「瑠璃は可愛いんだから、ちゃんと私の物だとわかるようにしておかないと。」
「なっ……」
また赤くなりかけたが、ノエル様の横を浮かれた顔で歩いたらそれこそ笑い者になる。
合流したウィリアムの体の芯まで凍てつきそうな冷たい視線と生徒からの好奇と侮蔑の視線で自分の頬の熱を冷ましながら、どうにか玄関まで辿り着いた。
玄関の真正面に二頭立ての、それこそおとぎ話に出てきそうな豪奢な馬車が止まっていた。
「…まさかこれに乗るの?」
気を引き締めようと誓った決意もどこかに飛んでいって、瑠璃は思わず言葉が口をついて出た。
「そうだよ。さあ、どうぞ。」
ノエル様がまるで絵本で見た貴族のように美しく手を差し出す姿が絵になって赤面したけど、貴族どころか王族だったと思い出して青ざめた。
動き方をすっかり忘れていたが、後ろにいたウィリアムに足元を小突かれて、はっと動きを取り戻した。
「あ、ありがとうございます…。失礼いたします。」
夢でも見ているんじゃないかと思いながら瑠璃の隣に座ったノエル様を見ると、翡翠色の瞳が嬉しそうに細められていた。
「こうして瑠璃と帰れるなんて夢みたいだ。」
「私も夢なんじゃないかと思っていました。」
「今は二人きりだよ。」
「えっと…」
確かに馬車の中には二人きりだが、外に立つウィリアムは車窓越しに鬼のように瑠璃を睨みつけていた。
余計なことはするな、とっとと離れろとでも言いたそうな視線を送るウィリアムを残して馬車が出発すると、瑠璃はようやく息をついて言った。
「…ノエル、あなたって本当に王子様なのね。」
「っ、そうだよ。瑠璃は面白いことを言うね。」
「こんな豪華な馬車、おとぎ話の中だけの話かと思っていたわ。」
「それを言ったら瑠璃だっておとぎ話の魔女みたいだよ。空を飛べるし、天気だって変えられる。」
「きっと魔法使いなら誰でも出来るわ。」
ノエル様は瑠璃に優しいからそう言ってくれるが、王室魔法使いの魔法に比べたら瑠璃の魔法なんて子どもの遊びのようなものだろう。
「そんなことないよ。ジョセフと話してみるといい。君には才能がある。」
「⋯恐れ入ります。ノエル王子殿下。」
庶民ならともかく、尊い身分の方に魔法を褒められたことなんてないので瑠璃はたじたじになった。
そんな瑠璃をノエル様は少年のように笑い飛ばした。
◇◇◇
王城に到着すると、前も瑠璃を世話してくれた侍女達に連れられて湯に入れられて、前に着たような上等なドレスに着替えさせられた。
なぜここまでされるのかわからないが、侍女から時々感じる冷たい視線が瑠璃の世話を喜んでしているわけではないのだと痛感させたから何も聞けなかった。
「瑠璃、手間をかけさせて悪いね。」
「いえ、とんでもないです。私なんかのためにありがとうございます。」
支度を終えて侍女に案内してもらったのはこの前も来たノエル様の私室だった。
困惑が表情に出てしまっていたのか、ノエル様に気遣うような視線を向けられたので慌てて頭を下げた。
「そなたらは外で控えよ。」
「承知いたしました。」
侍女達が退出して、瑠璃はちらりと顔を上げた。
「こちらにおいで。」
ノエル様と目が合ってしまって、ノエル様は笑いながら腕を広げた。
おずおずと近づいたけどその腕に飛び込む勇気がなくて手前で踏み止まっていると、ぎゅっと体を抱き込まれた。
「瑠璃を抱き締めたくてたまらなかった。」
耳元で囁かれて、ぼっと耳まで赤くなるのがわかった。
「…私も、一週間ノエル様のことを思って過ごしていました。」
「っ、瑠璃。」
「んっ……ふぁ…っ……」
一週間ぶりの口づけは足が立たなくなりそうなくらい熱くて、すぐに息が上がった。
「名前を呼んで。」
「…ノエル、好き…っ……ぁ…ふぁ……んっ……」
このまま溶けてしまいそうだったけど、そういえば今日は手を出さないとは言われてないことを急に思い出して我に返った。
「ノ、ノエル様…なりません!」
「ん?どうしたの?名前を呼んで。」
「ノエル、だめ!」
何がだめとは恥ずかしすぎて言えなくて子供に注意するみたいになってしまった。
それを見透かされたのか、ノエル様――ノエルがふふっと吹き出した。
「何がだめなの?口付け?」
「そ、それはいいけど…」
「じゃあこれ?」
瑠璃の背中に回されていた手が優しく首筋に当てられて、つーっと撫でられた。
「っ、それ、は…ギリギリ……」
「じゃあ何?」
その手がだんだんと下に降りてきて胸元を妖しくなぞったから再び耳まで赤くなった。
「…だ、め………んっ……」
「瑠璃が可愛くて我慢できないな。」
「っ、ノエル!」
それ以上触られたら瑠璃まで変な気を起こしてしまいそうだった。
でも流されて体を許してしまって、瑠璃のような者との間に万が一にでも子供が出来てしまったら、ノエルやその子まで悲惨な人生を歩ませることになってしまう。
渾身の理性を働かせてノエルの手を止めると、大人の色気をこれでもかと発したノエルがクスッと笑った。
「大丈夫、手は出さないよ。いつかね。」
「…っ……」
やっぱり瑠璃が言いたいことをわかっていてからかっていたのだと知ってノエルを睨みつけた。
「そんなに嫌がらなくても。」
「だめなものはだめよ。」
「瑠璃は厳しいな。」
瑠璃は睨んでいるのになぜか笑うノエルを見ていると、警戒しているのも馬鹿らしくなって瑠璃も笑みが漏れた。
「そうだ、魔法を見せてくれるんでしょう?楽しみにしていたんだ。」
そういえば週の初めにそんな話をしていたのを思い出した。
魔法で空を飛ぶ話をしたらウィリアムに睨みつけられたのだ。
「どんな魔法が見たいの?空を飛ぶのはウィリアム様に怒られるからだめよ。」
「ウィルのことは気にしなくていいよ。本当に箒で空を飛べるの?」
「あなたはいいでしょうけど、私は気にするのよ。長柄の箒なら二人でも飛べるわ。興行ではよくリベルと一緒に飛んでいるの。」
瑠璃が説明すると、なぜかノエルの顔が曇った。
「思っていたんだけど、リベルとはどういう仲なんだ?」
「旅仲間よ。あと幼馴染ね。物心がついた頃には一緒にいたから。」
ノエルはなぜか瑠璃をぎゅっと抱き寄せた。
苦しいくらいの力で抱きしめられたので、瑠璃は呼吸を確保しながらどうにか口を開いた。
「ノ、ノエル、苦しいわ。急にどうしたの?」
「っ、ごめん。」
体を離されて呼吸を整えてからノエルを見上げると、翡翠色の瞳が歪めてふーっと深く息をついた。
「どうしてそんな顔をしているの?」
「私の知らない瑠璃を知っていると思うと腹が立ってね。」
まさか…と思って顔を覗き込むと、瑠璃と目が合った瞬間に頬がさっと染まって目を逸らされた。
「まさか…リベルに嫉妬…しているの?」
「まさかも何もないよ。あんなに仲がいいと嫉妬もする。」
不貞腐れたように言うノエルが可愛くて、胸を鷲掴みにされたように高鳴った。
「え、えっと…リベルとは本当に何もないから。安心して?」
「…なるべくリベルに触れられないようにしてほしい。瑠璃に触れていいのは私だけだ。」
「き、気をつけるわ。」
触れるのはともかく、毎朝下着を見られていることは絶対に黙っていこうと思った。
「リベルが瑠璃と空を飛んだのなら、私も飛んでみたい。」
「ウィリアム様のご許可がないとだめよ。」
「ウィルは私の部下だ。私がいいと言えばいいだろう。」
「ノエル、我が儘はだめ。」
また駄々っ子のようになってしまったノエル様の頬を笑いながら両手で挟んだ。
「瑠璃。本当にウィルのことは気にしなくていい。昔から過保護なんだ。」
うんざりしたような顔で話すノエルを見ていると、ウィリアムはノエルを思う一心で瑠璃に冷たく当たっているのだとよくわかった。
根は悪い人じゃないのだろうから、ウィリアムを怒らせるようなことはしたくなかった。
「空は飛べないけど、一緒に好きな場所に行くことはできるわ。どこか行きたいところはない?」
「まさかどこでも行けるって言うのか?」
「そうよ。さすがに行ったことがないところにはいけないけど、この国なら大体回ったからどこでも行けるわ。」
ノエルは目を丸くして瑠璃を見て、何かを考えるように黙り込んだ。




