21.あるべき自分
「聞いたことがないな。少なくとも私は見たことがない。」
「えっ?!」
予想もしなかった答えが返ってきて驚いて目を丸くした。
「瑠璃は魔法を誰に習ったんだ?」
「私は誰にも教わったことがないんです。自分で色々試してみたり、おとぎ話の魔法を真似したりして身につけました。」
今度はノエル様が目を丸くした。
「誰にも教わらずに魔法を使いこなしているというのか?」
「私には魔法使いの知り合いが一人もいないんです。両親のどちらかは魔法使いだったのだと思いますが、母を赤子のときに亡くしてしまって、父は元々いないので、魔法を教えてくれる人がいなくて…。」
ノエル様は驚愕の表情を浮かべているが、異能者は迫害されるから瑠璃のように天涯孤独の者も少なくない。
リベルだってどこかに親戚はいるらしいけど両親はいないし、レオも同じようなものだ。
逆に自分と同じ異能を持つ者が近くにいる方が少数派で恵まれているのではないか。
「そうか…。驚いたよ。ジョセフに聞かせたら君を大慌てで囲うかもしれないね。」
「いえ、そんなことは…」
ありふれた魔法しか使えない瑠璃には王室魔法使いに囲われるような才能などない。
だが、ニコニコと嬉しそうに微笑むノエル様にそれを言うのも気が引けて、瑠璃は再び食事に集中することで誤魔化した。
「瑠璃は他にどんな魔法が使えるの?」
「大した魔法ではないです。実用的なのは、雨を降らせたり、晴れさせたり…」
「天気を変えられるのか?」
「星の魔法と一緒です。見える範囲だけですが…」
「瑠璃、それはすごい才能だよ。」
ノエル様が身を乗り出したので瑠璃は驚いて逆に仰け反った。
そんなに魔法に興味を持ってもらえるとは思っても見なかったし、自分の魔法をこんなに褒めてもらえたことはかつてない。
「今度見せてね。」
「はい。…もしよろしければ、一緒に空を飛んでみますか?」
そんなに興味を持ってもらえるのなら、と軽い気持ちで聞いたらノエル様はこれ以上ないほど目を丸くして、ノエル様の横に座るウィリアムからはこれ以上ないほどの殺気を放たれた。
二人の顔を見て、とんでもなく不相応で失礼なことを口にしてしまったのだと気づいて慌てて頭を下げた。
「し、失礼しました。私の分際で…」
「そんなことができるのか?」
ノエル様が瑠璃の手を握ったので思わず顔を上げた。
翡翠色の瞳をキラキラと輝かせた少年のような表情を見たらなんだかほっとして笑ってしまった。
「長柄の箒なら二人で乗っても大丈夫ですし、箒じゃなくても飛ばそうと思えば馬車とか…」
「魔女の箒や空飛ぶ馬車なんて本当におとぎ話の世界の話だな。空を飛べるなんて夢みたいだ。」
「殿下、なりません。魔女と戯れているところを見られては…」
「じゃあ透明人間にしてもらおうかな。瑠璃がしていたみたいに。」
ウィリアムが険しい顔で瑠璃を睨みつけながら凍りついた声で言ったが、ノエル様はやはり少年のように笑った。
「い、いつかしましょう…。」
「週末にでもね。」
すっかりご機嫌なノエル様を見て、瑠璃も、そして瑠璃を呪い殺しそうなウィリアムも何も言わなかった。
◇◇◇
昼食を食べ終えてウィリアムと共に二年生の教室に向かう途中に、瑠璃はまた空き教室に連れて行かれた。
「一体どういうことだ。近づくなと言ったのがわからなかったのか。」
ウィリアムは今や瑠璃に掴みかかりそうな勢いだった。
「…突然騎士に呼び出されたのです。ノエル様にお会いできるとも知らずに……」
「お前の分際で名前を口にするでない。身分を弁えよ。」
「…申し訳ございません。」
城に行くことになったのも、あんな場面をウィリアムに見られたのも瑠璃の意思ではなかったが、ノエル様と話せることを嬉しく思って甘んじて受け入れているのは瑠璃だ。
分不相応なのは重々わかっていたけど、この夢に浸っていたいと思う自分がいるのだ。
瑠璃が悪いので謝ることしかできない。
「殿下に魔法をかけるなど断じて許さぬ。」
「…はい。」
正確には空を飛ぶ魔法は人間ではなく物にかけるのだが、そういう話ではないだろうと思って黙っておいた。
「殿下のご寵姫様となった以上、私の口から近づくなとはいえない。だが、殿下が周りから何を言われるのか、どのような目で見られるのか、それくらいはお前でも考えればわかるだろう。」
ウィリアムが今度は悔しくてたまらないという表情で瑠璃を睨みつけるから、瑠璃は胸がズキッと痛んだ。
ウィリアムはノエル様を思うが故に瑠璃に厳しく言ってくれているのだ。
瑠璃よりもよっぽどノエル様のことを長く支えてきたのだから、ウィリアムの言う通りにするべきだろう。
「わかっています。今だけです。いずれ、私は元の…あるべき自分に戻ります。
殿下の将来を妨げるような真似はしませんので、ご安心下さい。」
瑠璃は床に這いつくばることはしなかったが、深く深く頭を下げた。
ウィリアムはそんな瑠璃を苦々しく睨みつけて、空き教室を出ていった。
ウィリアムが先に行ってしまったので瑠璃が一人で廊下を歩いていると、同じクラスの女子生徒が瑠璃の横を笑いながら駆けていった。
瑠璃は何をされるのかなんとなく予想がついて深いため息をついた。
わかってはいても、教室に戻らないわけにはいかない。
瑠璃は自分に魔法をかけてから、覚悟を決めて教室の扉を開いた。
「きゃーっ!」
「きったない!床が水浸しだわ。」
「なんて汚い魔法なの?魔法で汚物を撒き散らすなんて信じられないわ。」
扉に小細工がしてあったのだろう。
瑠璃が扉を開くとどこからかバケツが降ってきて、瑠璃の上に茶色く濁った水がばしゃっと思いっきり降り注いだ。
「何をしているんだ!ルリ、大丈夫?」
すぐにケイルが駆け寄ってくれたけど、瑠璃は黙って首を振った。
こんな思いをするのは瑠璃だけでいいのだ。
瑠璃に話しかけてはケイルまで巻き込んでしまう。
「ケイル、近づかない方がいいわ。そんな汚い水を浴びたら体調を崩しそうだわ。」
「君達がやったんだろう。これは酷いよ。」
女子生徒がケイルの腕に絡みついて止めるが、ケイルは女子生徒を押しやって瑠璃の元へ来て、ハンカチを差し出してくれた。
「…ケイル、大丈夫。魔女だから、自分で片付けるわ。」
瑠璃はケイルを安心させたくて、床に手を翳して広がっていた水を乾かした。
自分には防水をしていたので、水が滴っているように見えても少し叩けば乾く。
いじめる人にはこうしてずぶ濡れになったような姿を見せれば満足するのだ。
「ルリ…。」
「私に触れない方がいいわ。声をかけてくれてありがとう。」
瑠璃はケイルに微笑んでから踵を返して教室を出て、来た方向に戻った。
すれ違う男子生徒はずぶ濡れの瑠璃を見て心配そうな表情を浮かべていたが、女子生徒はほとんどがコソコソ話しながら嘲笑うかのように通り過ぎていった。
瑠璃は先程の空き教室に入って自分の体をぱんぱんと叩き、髪をぶるぶると震わせた。
滴っていた水は蒸発したように消えてなくなり、瑠璃は忽ち元の自分へと戻った。
「ついに始まったわね。」
防水はできるけど水の冷たさは体に堪える。
今日はどこからか汚水を汲み上げてきたみたいだからそれほど冷たくなくて助かった。
これが瑠璃のあるべき姿なのだ。
皆に嘲笑され、いじめられ、尊厳などないかのように罵倒される。
こんな瑠璃がご寵姫様など笑える話だ、と自分で自分を嘲笑いたくなる。
瑠璃が一人でため息をついていると、教室の扉が静かに開かれた。
「ルリ…。」
「リベル、視ていたのね。」
リベルは瑠璃へのいじめの気配に敏感で、こういう時は建物を透視してどこからか見守ってくれている。
「あんなにあからさまな態度だからわかっていたよな。
どうしてわかっていたのに何もしなかったんだ。
魔法でどうとでもできただろ?」
確かに防ごうと思えばバケツの水を空にしておくとか、扉を通らず教室に転移するとかいくらでも方法はある。
「私をいじめることで殿下へ悪意が向かないのならそれでいいの。」
でも、瑠璃が水浸しになっておけば瑠璃が悪者でいられるのだ。
馬鹿にされるのは瑠璃だけでいい。
全てを諦めてリベルに微笑むと、リベルはなぜか悲しそうに眉を下げた。
「俺は悲しいよ。大切なルリが悪く思われて。ルリは何も悪くないのに。殿下が勝手に…」
「殿下のことを悪く言わないで。私が悪いの。分不相応なのはわかっているのに殿下のお気持ちを受け入れてしまっているから。」
受け入れるどころか喜んでいるのだから罪深い。
瑠璃がピシャリと言うと、リベルはより一層悲壮感に満ちた表情を浮かべた。
「リベル、いつものことじゃない。そんなに気にしないで。」
「ルリ、そんなに…」
またリベルが何か言いかけたところで授業開始の鐘の音が鳴り響いた。
「大丈夫だから。リベル、ありがとう。」
瑠璃はリベルの背中を押して、空き教室から無理矢理押し出した。
リベルはやっぱり何か言いたそうな顔をしていたけど、ただでさえ悲惨なのに授業に遅れても良いことはない。
瑠璃は何も聞かずに自分の教室へと向かった。




