17.秘密の約束
「おいで。」
ベッドで手を広げるノエル様の腕に飛び込むなど、瑠璃に出来るわけがなかった。
ベッドを見つめたまま固まる瑠璃を見かねて、ノエル様は笑いながらベッドを下りて瑠璃の元へとやってきた。
「大丈夫、何もしないから。…口づけは許してほしいけど。」
瑠璃はより一層顔が赤くなった。
真っ赤になった瑠璃の頭を撫でて、ノエル様は瑠璃の手を引いてベッドへと導いた。
「可愛い。おいで。」
先にベッドに入ったノエル様が、恥ずかしくて立ちすくんでいた瑠璃をぐっと抱き寄せた。
「うわっ……ひゃっ!」
ぼふっと音がして、瑠璃はまた赤くなった。
まるで瑠璃がノエル様を襲っているかのように上から抱きついている体勢になっていた。
「も、申し訳ございませ…んっ……」
今度は頭を引き寄せられて唇を奪われた。
「はぁ……ふ………っん………」
「…瑠璃。」
口づけに夢中になっている間にいつの間にか逆に瑠璃が組み敷かれていて、ノエル様の整った顔が瑠璃を見下ろしていた。
何もしないとは言われたけど、ノエル様の表情に勝手に色気を感じてしまって、恥ずかしくて見ていられなくて顔を手で覆った。
「瑠璃、私を見て。」
少し掠れた、色香に満ちた声で囁かれて、瑠璃が手をずらして覗き見るように見上げると、翡翠の瞳が蕩けそうな熱を持って瑠璃を見つめていた。
「好き。ずっと一緒にいて。」
「…ノエル、私も好き。ずっと一緒に…いたい。」
八年間も忘れられなくて、目を見るだけで心臓を高鳴らせて、胸を痛いほどに締め付けるこの感情は好きの二文字で収めるには大きすぎた。
瑠璃は込み上げる感情を抑えきれなくてぎゅっとノエル様を抱き寄せて、首元に顔を埋めた。
「っ、瑠璃。」
「ノエル?どうしたの?」
苦しそうな声が聞こえて、瑠璃は慌てて体を離した。
ノエル様は何故か顔を赤くして口元を手で覆っていた。
「瑠璃が可愛すぎる。何もしないのは辛いな…。」
「えっ?!」
「冗談だよ。何もしない。約束は守る。」
目の前で呼吸を整え始めたノエル様を見て、なんだか王子様というよりも普通の青年と話しているような気持ちになって笑ってしまった。
「ノエルって意外と普通なのね。」
「それは馬鹿にしてる?」
「褒めてるよ。そっちの方が話しやすい。」
何だか面白くなってしまってお腹を押さえて笑う瑠璃を見て、ノエル様――ノエルもつられたように笑ってくれた。
「瑠璃と話していると調子が狂うよ。子供に戻ったみたいだ。」
「私が子供っぽいってこと?」
瑠璃がむくれて言うと、ノエルはまた笑った。
「違う。立場を忘れさせてくれるっていうこと。」
その言葉で瑠璃自身もひとときの間忘れていた身分の違いを思い出して青ざめた。
そんな瑠璃を見て今度はノエルがお腹を抱えて笑った。
「二人の時はそうしていて。身分も立場も忘れよう。」
「でも…」
「二人だけの秘密。いいでしょう?」
そう言って小指を差し出すノエルの顔があの頃の少年と重なって、瑠璃は抵抗を諦めて自分の小指をそっと絡めた。
夜が更けるまでベッドでたくさん話していたけど、だんだん眠気に抗えなくなってきた。
「瑠璃、今日は来てくれてありがとう。おやすみ。」
「こちらこそ、ありがとう…おやすみ……」
「瑠璃、愛してる。」
最後に耳元で囁かれた言葉に心臓はぎゅんと高鳴ったけど、瑠璃は眠りの世界へと引き込まれていった。
また星月夜の夢を見たけど、出てきたのは少年じゃなくて今のノエルだった。
ノエルとたくさん話してたくさん笑って、そしてたくさん抱きしめ合う、そんな幸せな夢だった。
◇◇◇
柔らかい朝日が注ぎ込んで、瑠璃はそっと目を覚ました。
ふかふかで雲の上で眠ったかのようだ…と考えていたら、自分がどこにいるのか急に思い出して頭が真っ白になった。
「瑠璃、おはよう。」
「ぎゃーっ!……し、失礼しました!」
横から男性の声がして一瞬パニックになったけど、すぐに正体を思い出して瑠璃はその男性を見上げた。
「っ、朝から元気だね。」
「も、も、申し訳ございませんでした……」
ノエル…様は笑いすぎて目の端に涙が滲んでいた。
恐れ多くも王子殿下にあげるような悲鳴ではなかったので瑠璃は恥ずかしくて布団に隠れた。
「瑠璃、朝食を用意したから出ておいで。」
「えっ…あ、ありがとうございます…」
やっぱり貧乏根性が染み付いているのだろうか。
ノエル様の言葉を聞いたら急にお腹が空いてきて、瑠璃は布団から顔を出そうとした。
が、自分の目の前に逞しい胸元があることに気づいてまた顔が赤くなってしまった。
「瑠璃?」
布団の中から見上げると、整いすぎているかっこいいとしか言いようがない顔が朝の気だるげな色気を放って瑠璃を覗き込んでいた。
瑠璃はおかしくなっているのだろうか。
朝から心臓が暴れるように高鳴っていて、とてもまともに話せそうもなかった。
昨日この人を呼び捨てにして、ふざけ合っていたなんて夢だったとしか思えない。
「どうしたの?」
「いえ、あの…ちょっとかっこよくて……あっ、すみません…」
「っ、瑠璃。」
王子様にかっこいいなんて失礼なことをつい言ってしまって、瑠璃は慌てふためいた。
ノエル様はまた目の端を拭いながら笑っている。
「褒めてくれてありがとう。瑠璃も可愛いよ。行こうか。」
「は、はい…」
たじたじになりながらも、これ以上同じ布団にいたら余計におかしくなるからどうにかベッドを下りた。
ノエル様に手を引かれて、瑠璃はもう一つの部屋へと向かった。
「おはようございます、ノエル王子殿下。」
ノエル様が扉を開けたら、部屋にずらりと侍女が並んでいてぎょっとして戦いた。
「瑠璃、じゃあ食べよう。」
ノエル様は気にする様子がないからまさか毎朝こうなのだろうか。
改めて身分の違いを実感して、瑠璃は震えそうになる体を必死に抑えながらいつの間にか用意されていたダイニングテーブルに座った。
侍女に給仕してもらいながらの朝食はとても食べた気がしなかった。
何よりも、侍女達には瑠璃がノエル様と体の関係を持ったと思われていることが恥ずかしくてたまらなかった。
顔を赤くしながら食べる瑠璃をノエル様は時々笑いながら見ていたけど、返す言葉が思いつかなかったのでほとんど喋らないまま朝食を終えた。
「下がれ。」
「失礼いたしました。」
朝食の片付けを終えた侍女達にゆったりとカウチに腰掛けながら命じる姿はやはり王子様だった。
瑠璃はノエル様の隣でぼーっと片付けを眺めていたけど、我に返って頭を下げた。
「あ、あの、美味しい朝食をありがとうございました。」
「味はわかった?緊張していそうだったけど。」
目の前で王子様だということを見せつけられたのに、瑠璃をからかうように笑うノエル様には昨日感じた親しみやすい雰囲気があって、どう接すればいいのかわからなくなった。
「瑠璃。二人きりだから大丈夫。」
にこっと微笑まれて、瑠璃はおずおずと声を出した。
「…ノエル。」
「よく出来ました。」
幼子のように褒められてなんだか恥ずかしくなった。
二人きりのときは立場を忘れる約束だと思い出して、瑠璃は一旦王子様だということは忘れて、言うべきことを言うことにした。
「昨日から、何から何までありがとう。」
「私が呼んだんだから当然だよ。」
「あの、そろそろ帰ろうかなと…」
ニコニコとしていたノエルが急にすっと表情を消した。
「ノエル…?」
「私と暮らすんじゃなかったの?」
「いいとは言ってないわ。むしろ、絶対にだめよ。」
「どうして?」
「あなたを巻き込みたくないの。」
「身分は気にしないでって言っただろう。瑠璃を安全に囲いたいんだ。」
「私が気にしなくても周りは気にするわ。」
「私が黙らせるから気にしないで。」
断っても言い返されて、なんだかレオに駄々をこねられている時のような気持ちになってきた。
瑠璃はノエルの頬を両手でぺしっと挟んだ。
「ノエル。だめなものはだめなの。」
レオを叱るときのように目を見て言うと、ノエルは耐えきれなかったのか表情を戻して吹き出した。
「っ、瑠璃。私は子供じゃない。」
「子供のようなことを言うからじゃない。」
政治をわからない瑠璃にだって一緒に暮らすなんてあり得ないことはわかる。
ノエルはとんでもない我が儘を言っているのだ。
「私にそこまで言えるのは瑠璃だけだよ。」
「私だって普段は言えないわ。でも、我が儘はよくないよ。」
「面白いな。たまには怒られるのも悪くない。」
瑠璃は真剣に言っているのにノエルはあっけらかんとして笑った。
その笑顔はやっぱり少年のように純粋で、瑠璃はなんだか目の前の人を、この国の王子様の笑顔を恐れ多くも守りたいと思った。
だが、実際の瑠璃に王子様を守れる力などない。
現実の瑠璃は身分のない、この世界の最下層で生きる人間だ。
ひとときの夢を終えて、現実に戻らなければならない。




