16.寵姫
「瑠璃、今日君をここに呼んだのは瑠璃は私の寵姫だと示したかったからなんだ。寵姫ならばここで暮らす資格がある。」
「ちょうき…?」
高貴な方が使う言葉は意味がわからない。瑠璃が首を傾げると、ノエル様は何が面白いのかクスクスと笑った。
「瑠璃が私の寵愛を受けているということだよ。私が瑠璃を好きだと、今日で城の者は皆そう認識した。」
「はいっ?!」
とんでもないことになっていることを知って瑠璃はノエル様から飛び退いて床に落ちた。
「大丈夫?」
ノエル様が笑いながら瑠璃に手を差し伸べた。
ノエル様が、この国の王子様が身分のない異能者を好きだなんて、皆に知られたら何を言われるのだろうか。
「…殿下、なりません。私は非人です。あなた様に想っていただく資格などございません。」
瑠璃は床に這いつくばったまま翡翠の瞳をまっすぐ見つめて伝えた。
「名前。」
「えっ?」
「殿下じゃないでしょう。名前を呼んで。」
瑠璃は真剣に話しているのに、ノエル様は翡翠の瞳を細めて瑠璃に微笑みかけた。
瑠璃の手を引いて再びカウチに座らせると、もう飛び降りないようにするためか手をぎゅっと握られた。
「…ノエル。」
「瑠璃。私は君が好きなんだ。私の名前を呼んでくれる、大切な人だ。身分は関係ないよ。
私は王子だからね、その気になれば君を貴族にすることだってできるし。」
「それは…」
たしかに王族が望めば瑠璃を叙爵することだってできるのだろうが、この国の秩序をひっくり返すような真似をしては暴動が起きてもおかしくない。
「君は望まないだろうからそんなことはしない。でも、本当はそうしたいくらい君を離したくない。
私の寵姫ならば陰口を叩いたら不敬で罰することもできる。
もし何か言われたら遠慮なく言ってくれ。」
「…はい。」
ノエル様は瑠璃がどんないじめを受けてきたかご存じない。
もし今までされたようなことがこれからも続くのなら、尊いお耳に入れるようなことはとてもできない。
でも、そこまで瑠璃を想ってくださる御心を無碍にすることなどできなかった。
「瑠璃、見て。」
瑠璃が考え込んで俯いていると、ノエル様が窓を指した。
つられて窓に目を向けると、澄んだ空に美しい星空が広がっていて、地上には王都の夜景がきらきらと輝いていた。
王都の星空は満天の星とは言えなかったけど、星屑が散らばっているような地上の光と合わさると息を飲むほど綺麗だった。
「あの日の魔法を、また見せて。」
はっとしてノエル様を振り返ると、何度見ても美しい翡翠の瞳が瑠璃をまっすぐ捉えていた。
「…騒ぎになるかもしれません。」
あの夜は周りに誰もいなかったけど、王都には人がたくさんいる。
流れ星を降らせたら大騒ぎになる気がした。
「ラルム座の名が広まるんじゃない?星を降らせる魔女がいるって。」
ノエル様はクスクスとからかうように笑った。
そんな異名は欲していないが、ノエル様が見たいというなら断るのも気が引けた。
「…少しだけよ。」
「楽しみだな。」
幼子の願いを聞いてあげるようなつもりで瑠璃が言うと、ノエル様は嬉しそうに目を細めた。
ノエル様は瑠璃の手を引いて窓辺へと導いてくれた。
瑠璃は窓の外に向かって手を翳した。
ぐっと魔力を込めて、まずは夜空をあの時のような満天の星空に変えた。
隣ではっと息を飲む音が聞こえて、瑠璃はあの少年が横にいるのを感じて嬉しくなった。
再び魔力を込めて、今度は満天の星空から王都に向かって無数の流れ星を降らせた。
空から降り注ぐ本物の星屑が地上の光と合わさって、王城から見下ろすと街が光の帯のように見えた。
「綺麗だ…。」
あの時と同じ声が隣から聞こえて、瑠璃はノエル様を見上げた。
瑠璃が作り出した景色を食い入るように見つめるノエル様の横顔に、あの日の少年の面影を感じて嬉しくなった。
「喜んでくれてよかった。」
瑠璃がノエル様に微笑むと、ノエル様も瑠璃に目を向けた。
あの時は黙って横で一緒に見ているだけだったけど、大人になった二人の唇は自然と引かれ合った。
「……っ、ノエル……好、き……」
「瑠璃、愛してる。」
時間を惜しむように口づけの合間に囁き合って、また互いを求めた。
幸せな時間には終わりがある。あの時と一緒だ。
時間が止まる魔法があればいいのにと思いながら、瑠璃は何度も繰り返される幸せな口づけを記憶に刻み込んだ。
あまり長い時間星を降らせていても本当に大騒ぎになりそうなので、瑠璃は再び手を翳して元の空に戻した。
「魔法は美しいんだね。」
「そうよ。美しい魔法がたくさんあるの。また死にたくなったら見せてあげる。」
瑠璃はあの時の少年に言うように軽口を叩いた。
ノエル様も楽しそうに笑った後、瑠璃の頭を撫でた。
そして、翡翠の瞳が再び瑠璃を捉えた。
「いつか、君が自由に魔法を使える世界を作る。」
決意の秘められた瞳に捉えられて今度は瑠璃が息を飲んだ。
「瑠璃だけじゃない。ラルム座の者だって、皆素晴らしい力を持っている。本来は国の宝だ。
異能を持つ者が評価され、自由に生きられる世界を私が作る。」
ノエル様は――王位継承順位第一位の王子様は、本当に世界を作ることができる力を持っている。
もしかしたら、異能者にも身分が与えられる時代が来るのかもしれない。
ノエル様の言葉の意味をちゃんと理解した時、瑠璃の瞳からまた涙が溢れた。
「ノエル…ありがとう……」
「それまでは辛い思いをさせるだろう。私が守るから、瑠璃は我慢しないで。」
ノエル様の決意が尊くて、実際に叶わなくとも言ってくれるだけで有難かった。
辛い思いなんていくらでもする。
こんなに尊い方が瑠璃達に心を寄せてくれるなら、何を言われても耐えられる。
今までの悲惨な人生が報われたような気がして、涙が止めどなく溢れた。
「大丈夫。今度は私が瑠璃を守る。」
「ノエル…っ、ありがとう…本当にありがとう……」
嗚咽して涙が止まらない瑠璃を、ノエル様は優しく抱き締めてくれた。
散々泣いてやっと涙が枯れた頃、ノエル様は瑠璃の体を離して、頬にまだ伝っていた涙を拭ってくれた。
「そろそろ寝ようか。」
ノエル様の言葉で瑠璃は残っていた涙が引っ込んだ。
「っ、手は出さないよ。」
「す、すみません。」
瑠璃の顔を見てノエル様はお腹を抱えて笑った。
そんな酷い顔をしていただろうか、と頬に手を触れていると、その手を優しく取られた。
ノエル様が部屋の奥にあった扉の方に進んだから、あの扉の奥に寝所があるのだと知った。
手は出さないと言われても内心は心臓をバクバクさせながらノエル様の手を握った。
万に一つでもノエル様と子を為すようなことがあってはならないから、何かあることなど絶対にあり得ない。
というよりも、そもそも泊まる気はなくて帰ろうと思っていたので、泊まることになっていて驚愕していた。
瑠璃は思考がぐちゃぐちゃなままノエル様についていった。
ノエル様が奥の扉を開けたから、パニックを起こした瑠璃の目に大きなベッドが飛び込んできた。
「ひっ…」
「そんなに怯えなくても。」
思わず変な声が出た瑠璃をノエル様はまた笑った。
「私はあちらで寝るから、瑠璃がここで寝て。」
「えっ?!」
ノエル様が元いた部屋を指差した。
思ってもみない提案に瑠璃は慌てふためいた。
「そ、そんな、なりません。私が床で寝ます。殿下はこちらで…」
「床って。そんなわけにはいかないよ。私が勝手に呼んだんだし、気にしないで。」
「こちらこそ、そんなわけにはいきません!この絨毯は普段寝ているベッドよりも柔らかいので、私は床で十分です。」
恥を忍んで瑠璃が言うとノエル様が目を丸くしたから本当に恥ずかしくて消えたくなった。
「…やっぱりここで暮らそう。」
「いえ、それもなりません!今日は私が床で寝させていただきます。」
瑠璃を気遣うように抱き締めたノエル様にきっぱりと言い切った。
ノエル様が何と言おうと、ノエル様をベッドで寝かせないわけにはいかないし、瑠璃がここで暮らすなんて以ての外だ。
「じゃあ一緒に寝ようか。」
「へ?!」
瑠璃は瞬時に耳まで赤くなった。
「それならいいでしょう?」
「えっと……」
消え入りそうな声で言い淀む瑠璃をクスッと笑うと、ノエル様は自分の部屋だから当たり前だけど、慣れた様子でベッドに入った。
本当にノエル様のベッドなのだと実感して瑠璃の思考はまた停止した。




