14.あの日の真実
瑠璃は顔を伏せたまま扉の中に入って、扉が締まった音がした瞬間、即座に膝をついて床に這いつくばった。
ノエル王子の隣には恐らくウィリアムもいるだろうから、もうこれ以上酷いことを言われたくなかった。
「っ、瑠璃。」
と思ったら慌てたような声が聞こえて瑠璃の肩にそっと手が添えられた。
「二人だけだよ。顔を上げて。」
優しい声がして、瑠璃は恐る恐る顔を上げた。
翡翠色の瞳と目が合うと驚いたように一瞬見開かれて、ぎゅっと抱きしめられた。
「瑠璃、来てくれてありがとう。」
瑠璃は何か返したかったけど、恐れ多さに声が出てこない。
ノエル王子は瑠璃の体の僅かな震えに気づいたのか、落ち着かせるように背中を撫でてくれた。
温かい体温を感じると気持ちが落ち着いてきて、やっと声を取り戻した。
「あ、あの…これはどういう…」
見回すと広い部屋には立派な机と椅子とは別に、とても座ることなどできそうもない豪華なカウチセットが揃っている。
本棚が並ぶ奥の壁には扉があってまだ部屋が続いていそうだった。
他の部屋よりも落ち着いた装飾で、居心地が良さそうな雰囲気が漂っている。
瑠璃は落ち着けないけど、少なくとも一度取り戻した声をまた失うことはなさそうだった。
刑場とはかけ離れた部屋を見てどうやら鞭打ちではなさそうだとは気づいたけど、ならばなぜ呼ばれたのか全くわからない。
そもそも瑠璃は王城に入れるような身分ではないのに、不相応なドレスを着させられて、こんな高貴な部屋に通されてわけがわからない。
「周りを黙らせるにはこうするしかなかったんだ。驚かせたね。」
「はぁ…」
気遣うように頬に手を添えてくれるノエル王子は説明してくれたつもりなのかもしれないけど、残念ながら瑠璃には全く意味がわからなかった。
「手を出すつもりはないから安心して。」
「えっ?は、はい…」
手を出すとは鞭打ちのことだろうか。
何が何だかわからないけど、鞭打ちではないのだと確信したら体の震えは止まった。
落ち着きを取り戻した瑠璃を見て、ノエル王子はくすっと笑った。
「座って。」
手を引かれて先程目に入った豪華なカウチに導かれて瑠璃はまた体が震えてきた。
「どうしたの?」
「私は床に座らせていただきます。このような椅子にはとても…」
「瑠璃、二人きりだよ。気にしないで。さあ、座って。」
戸惑う瑠璃の体をカウチに押し付けるように座らせて、ノエル王子も横に並んだ。
カウチはまるで雲の上に座っているかのようにふかふかの座り心地で、瑠璃は座った気がしなくて身を固くさせた。
「そんなに緊張しないで。瑠璃と話したかったんだ。楽にして。」
「は、はい…。」
楽にしてと言われてもどうすればいいかわからなくて深呼吸を繰り返す瑠璃をノエル王子はまたくすりと笑った。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました。」
「入れ。」
ノエル王子の声で侍女が入室すると、ノエル王子とも瑠璃とも目を合わさないまま茶を入れて茶菓子を取り分けてまた退室していった。
「どうぞ。」
「あ、ありがとうございます…。いただきます。」
やはりノエル王子と目を合わせるべきではないのだとわかって、瑠璃は顔を伏せた。
キラキラと輝く菓子は先程リベルと行った店よりももっと高級そうで、瑠璃が口にしていいような代物ではなさそうだったが、王子様の勧めを断るわけにはいかない。
恐る恐る口にすると、体中に衝撃が走った。
(な、何これ…美味しすぎるわ……)
雑味のない透き通るような上品な甘さが口の中に染み渡り、臭みのないバターの香りが鼻を抜けた。
瑠璃が今まで食べていた物は王城の残飯以下だろう。
二度と現実に戻れなくなりそうな至高の味に瑠璃は身を震わせた。
「っ、そんなに気に入った?」
「申し訳ございません。美味しくて…」
王子様の前だということをすっかり忘れて堪能していたら、顔を覗き込まれてはっとした。
いたずらっぽく細められた翡翠色の瞳を思わず直視してしまって慌てて目を逸らした。
「瑠璃が気に入ってくれてよかった。たくさん食べて。」
「恐れ入ります。ありがとうございます。」
ノエル王子がにこにこと瑠璃を見つめるので気まずくなりながらも、貧乏根性なのか手は止まらなくて、瑠璃は今日二回目のティータイムを満喫してしまった。
「あの夜の私に教えたいよ。君の目の前にいる少女はこんなに可愛らしい女性になるんだって。」
「なっ……」
ケーキを頬張ろうとして口を開けたときに言われて、瑠璃は口を開けたままぼっと赤面した。
「っ、可愛い。どうぞ、食べて。」
「…いただきます。」
頭が真っ白になりながらケーキを食べて、ノエル王子はそれをまたご機嫌な様子で眺めていた。
「あの後、ずっと君を探していたんだ。こうして隣にいてくれるのが信じられないよ。」
お腹いっぱい食べてナプキンで口を拭っているとノエル王子に瑠璃の頭を撫でられて、瑠璃ははっとして姿勢を正した。
「あの日は、あの町にいる最後の日だったんです。ご挨拶もしないまま去ってしまい申し訳ございませんでした。」
瑠璃は王子が自分を探しているなんて聞いたこともなかったけど、手間をかけさせたのが申し訳なくて頭を下げた。
「そうだったのか。君は旅をして回っていると聞いた。どんなことをしているの?」
「ラルム座という一座で魔法を見せたり、皆の異能で人助けをしているんです。座長が三歳の時に私を孤児院から引き出してくれて以来、ずっとそうして暮らしています。」
それからは瑠璃が今までどんな町に行っていたのか、ラルム座の皆がどんな異能を持っているのかについて聞かれるがままに話した。
「…人の記憶を読めるとは驚いた。」
「レオは動物や物の記憶を読むことも出来るんですよ。迷子の動物の家を見つけたり、美術品の歴史を辿ったり、どの町でも大人気なんです。」
「そうか。特別な才を持っているんだね。」
皆のことを褒められると嬉しくて、瑠璃はいつの間にかノエル王子の目を見ながら笑顔で話していた。
「瑠璃が笑顔でいてくれてよかった。異能者は大変な思いをするだろうから、心配していたんだ。」
「ありがとうございます。辛いこともあるけど、私は平気です。」
ノエル王子は気遣わしげに目を細めて瑠璃の頭を撫でた。
高貴な生まれなのに、異能者のことを素直に褒めてくれて、瑠璃のことを心配してくれるノエル王子の優しさが尊くて、嬉しかった。
「私は、殿下が笑顔でいて下さるのが嬉しいです。殿下がお幸せなら私も幸せです。」
瑠璃が言うと、ノエル王子は目を丸くして、今度は瑠璃の頬を優しく撫でた。
「名前を呼んで。」
王城でノエル王子の名前を口にするなど許されるのだろうか、と頭を過ったが、本来は瑠璃がこうして話すことすら許されないだろう。
誰も見てないのだと言い聞かせて口にした。
「ノエル様。」
ノエル王子はにこっと微笑んでくれたけど、なぜかその目は悲しい光を湛えていた。
「…どうされたのですか?」
泣きそうにも見える表情に驚いて、瑠璃は思わずノエル王子の――ノエル様の頬に手を伸ばした。
「瑠璃と出会ったあの日、母が亡くなったんだ。それから、私の名前を呼ぶ人はいなくなった。」
呟くように言われて、瑠璃は目を見開いて固まった。
瑠璃は政治のことは全くわからないけど、王子様のお母君ということは王妃様だ。
王妃様が亡くなられていたことに驚いたし、今も王妃様はいらっしゃるから、今の王妃様はノエル様とは血がつながっていないのだと知って驚いた。
「瑠璃が私の名前を呼んでくれる日が来るなんて、生きていてよかった。私を救ってくれてありがとう。」
瑠璃は記憶もないうちに母を亡くしているから寂しいとは思っても悲しいと思ったことはない。
でもあの時の、十歳の少年が母を失うのは身を引き裂かれるような苦しみだろう。
あの少年の痛みと、目の前で微笑む青年の優しさと寂しさを知って瑠璃の瞳から涙が溢れた。




