11.天地の差
ウィリアムと共に部屋を出ると、食堂を出てきた生徒の視線を一身に浴びた。
「やっぱりあいつよ。恐れ多くも殿下と過ごすなんて不相応にもほどがあるわ。」
「また殿下を洗脳していたのかしら。」
「控えよ。この者への侮辱は殿下への侮辱とみなす。」
ウィリアムが無表情で冷たい声で言い放つと、廊下はしんと静まり返った。
瑠璃はひっと息を飲みかけてどうにか平静を装ったが、皆の視線が痛くて顔を伏せた。
ウィリアムの先導で教室に向かっていたが、ふと教室ではない方向に廊下を曲がった。
黙ってついていくと、ウィリアムは扉が開きっぱなしになっていた空き教室に入ったので瑠璃も従った。
「閉めてくれ。」
「はい。」
瑠璃は言われた通り扉を閉めて顔を伏せた。
「殿下から話は聞いた。かつて殿下のお命を助けたことがあるそうだな。」
「…はい。」
「殿下のお命を救ってくれたことには感謝する。」
「いえ…。」
感謝しているとは思えない冷えきった声を聞いて、今度は何を言われるのだろうかと身構えた。
「ノエル王子殿下は王位継承順位第一位の王子殿下であられる。お前が関わっていいような御方ではない。身分を弁えよ。」
瑠璃の体が勝手にビクッと震えた。
王位だなんて、瑠璃のような者は口にするのも恐れ多い話だ。
あの少年は、ノエル王子は、瑠璃の想像よりもずっと重い枷を抱えていたのだと知って言葉を失った。
「相応の金は出す。この学院を去れ。」
ウィリアムの言葉に驚いて顔を上げた。
失せろとは言われたけど、学院を辞めろとまで言われるとは思ってもいなかった。
自分はこの学院にいることさえ許されない人間なのだと知って、先程感じていた幸せは夢だったかのように霧散した。
「そもそもこの学院は貴族や騎士の子女のために作られた上流階級のための学校だ。
なぜお前のような者が入り込めたのか知らないが、お前がこの制服を纏うのは不相応だ。」
勝手に転入を決められたから瑠璃はこの学院のことを何一つ知らなかったけど、ウィリアムの説明を聞いて納得した。
着たこともない上等な制服や、城のように絢爛豪華な校舎だけでなく、生徒の雰囲気も持ち物も何もかも今まで通っていた学校とは違う。
瑠璃がこの学院に見合わない身分なことはわかっていたけど、いざ言われると自分がこの制服を着ていることが恥ずかしくて消えたくなった。
「殿下は難しいお立場にあられる。お前のような者が殿下に関わっては殿下の将来にも関わってくる。頼むから殿下に関わらないでくれ。」
ウィリアムは瑠璃に頭を下げた。
いっそ失せろと言われたほうがまだマシだった。
貴族であるウィリアムが瑠璃のような底辺の人間に頭下げるほど殿下の前に存在してはならない存在なのだ。
同じ人間なのに、という思いはあったけど、王族と瑠璃はもはや同じ人間ですらないのかもしれない。
元々、分不相応な夢だったのだ。
地面に這いつくばって生きてきた自分と天上人である王子様は交わるべき運命ではなかった。
それに瑠璃は政治のことなど全くわからない。
ノエル王子がどんな立場にいらっしゃるのかなんて知る由もない。
身分云々ではなく、そんなこともわからない時点で結婚のけの字も口にするべきではないのだろう。
「代わりの学校は手配する。二度と殿下の前に顔を出すな。わかったか。」
瑠璃は震えるばかりで声が出なかった。
はい、と答えた方がいいのは頭では分かっているが、返事をしてしまったら心が壊れてしまいそうな気がした。
「わからぬとは言わせない。二度と殿下に近づくな。」
言い淀む瑠璃にウィリアムが詰め寄ってきて、瑠璃は恐ろしくてその場にへたりこんで膝をついた。
このまま胸ぐらを掴まれるのではないかと覚悟した時、教室の扉が開かれる音がした。
「ルリに何をするんだ。」
怖くて顔を上げられなかったけど、この声はリベルだ。
建物を透視して瑠璃を追ってくれたのだろう。
リベルが駆け寄ってくる音がして、ウィリアムから守るように瑠璃の体を包み込んでくれた。
「…考えておけ。長くは待たない。」
ウィリアムは瑠璃に言い放つとさっと背を向けて教室を出ていった。
「ルリ、大丈夫か?」
「…リベル。」
瑠璃の震える背中を優しく撫でられて、自分が呼吸を止めていたことに気づいた。
安心したら急に呼吸の仕方を思い出したけど、同時に先程言われた言葉が一気に襲ってきてパニックになった。
「大丈夫、俺が守るから。落ち着いて。」
「っ、リ、ベル…、私……」
泣きながらはぁはぁと浅い呼吸を繰り返す瑠璃に、リベルは自分も深呼吸をしながら一緒に呼吸を整えてくれた。
「何を言われたのかはわからないけど想像はつく。ルリ、耐えろ。偉い奴に屈してはだめだ。」
瑠璃だって本当は屈したくない。
でも、学院に通い始めてからずっと否定され続けた心は弱っていた。
「どうして、こうなのかな。」
好きで魔力を持って生まれたわけではないのに、どうしていつも身分のせいでここまで言われなければならないのだろう。
ノエル王子は瑠璃のいる世界は美しいと言ってくれたけど、瑠璃から見える世界は知れば知るほど汚れきっている。
でも、散々言われてきた瑠璃の心は、どこかで自分は卑しい存在なのだと納得してしまっていて、それが悔しかった。
「私達は幸せになってはいけないの?」
リベルを見上げて言うと、リベルの澄んだ瞳が歪められた。
リベルだって身分はないけど、こんなに綺麗な瞳を持っていてこんなに優しい一人の人間だ。
「ルリ、そんなことはない。俺達は幸せになる権利がある。」
リベルが瑠璃の顎を掴んだ。
「ルリ、俺がお前を…」
リベルが何かを言いかけたとき、ゴーンと鐘の音が聞こえた。
授業開始の鐘だ。
辞めると言っても学院長に話さないといけないだろうし、荷物もあるから今日は教室に戻るしかない。
「ごめん、リベル、ありがとう。とりあえず今日は授業を受けるわ。」
「…ああ。無理するなよ。」
リベルと途中まで廊下を一緒に歩いたけど、話の続きが切り出されることはなかった。
瑠璃の心もそれどころではなくて、何も話さないまま階段で別れて二年生の教室へと戻った。
◇◇◇
ウィリアムのおかげなのか誰にも何も言われずに迎えた放課後、瑠璃はホテルで制服を脱ぎながらため息をついた。
「不相応なんて、言われなくても分かってるわよ。」
このボロ宿に不釣り合いなベージュの上品な制服をハンガーに掛けながら、罪のない制服に当てつけのように文句を言った。
リベルの前で一通り泣いたから瑠璃の心は平静を取り戻したけど、どんよりとした気持ちは晴れなかった。
真新しい制服がもうすぐで役目を終えようとしているのかもしれないと思うと学院長にも申し訳ないと思いながら、瑠璃はいつもの興行用の真っ黒なローブを羽織った。
「ルリー!」
「うわ!何?!」
そのとき、先程はしんみりと別れたリベルが瑠璃の部屋の扉を勢いよく開けた。
「着替え中よ?!ノックぐらいしてよ!」
「お前の着替えなんて見てもこれっぽっちも興奮しないから安心しろ。」
「興奮されても困るけど、失礼極まりないわ。」
制服から賭場に行くための変装用の私服に着替えてすっかりいつも通りになったリベルを見てなんだか気が抜けた。
思えば人に馬鹿にされるのはいつものことだ。
そもそもウィリアムに言われなくても、昨日は自分で学院を辞めようとしていたのだ。
過呼吸を起こすほど泣くことでもなかったような気がしてきた。
「王都の興行はどうだ?稼げそうか?」
「昨日はまずまずだったわ。週末はあんたやレオもいるから上々かもね。」
リベルの透視能力やレオの記憶を読む能力はどこに行っても引っ張りだこだから、明日からの週末は忙しくなりそうだ。
「そういえば、勉強は大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわ。だけど…」
授業には全くついていけていなかったが、学院を辞めるのならそれも関係ないだろう。
瑠璃が口ごもった理由がわかったのか、リベルはぽんぽんと瑠璃の頭を撫でた。
「明日、興行の前に一緒に勉強するか。王都の店も見てみたいし。」
「いいの?」
「ああ、ちゃんと起きろよ。」
「起きるわよ。勝手に部屋に入らないでね。」
瑠璃も王都の街を歩いてみたかったので、内心は浮き足立っていた。
でもリベルと遊びに行くのに浮かれるのも癪なので強がった。
「デートだな。お洒落してこいよ。」
リベルがにやりと笑った。
王子様とデートなら持っている中で一番マシな服を選ぶところだが、リベルが相手ならボロ布で十分だ。
「じゃああんたの奢りね。」
「勉強を教えるんだからお前の奢りだろ。」
「…まぁいいわ。」
リベルとこうしてしょうもない話をしていると、学院での二日間の出来事が夢だったかのように感じる。
瑠璃はリベルの変装を手伝って、自分は昨日と同じように興行へと向かった。




