第五節「ルーナ」と「大望」
すみませんまた少し遅れました!
翌朝。
ノームはまだ眠気の残る頭を抱えながら、ルーナの後ろを歩いていた。
王城の廊下には朝の陽光が差し込み、窓の外では使用人達が慌ただしく動き回っている。
だがルーナの足取りは軽かった。
「ふんふふんふふーん」
戦争の話が出た翌日とは思えないほどに。
「なんで俺まで行かないとなんだよ…」
ノームが不満そうに言う。
するとルーナは振り返りもせず答えた。
「見学だよけ、ん、が、く」
「だから何のだよ!」
「軍議のだよ」
「だからなんで俺が」
「ちゃんと知りな。この国の事。もっと真面目に」
「それ、あんたが言うのか…?」
ルーナはけらけらと笑う。
ノームはもう諦めていた。
やがて二人は大きな扉の前へ辿り着く。
左右には槍を持った近衛騎士が聳え立つ。
その空気だけで、この先が特別な場所なのだと分かった。
「緊張してるの?」
ルーナが覗き込んでくる。
「してねぇよ」
「してる顔だなぁ」
「してねぇって」
「ふふっ」
ルーナは扉に手をかけ、思い切りその重々しい扉を開く。
ノームは思わず息を呑んだ。
広い会議室。
中央には巨大な楕円形の机。
壁には王国全土の地図。
そしてその周囲には既に人が集まっていた。
騎士団長ツヴァイツ。
北辺の将軍スピカ。
東辺の将軍ボルキア。
南辺の将軍マキアン。
貴族、文官。
昨日の会った、西辺の将軍ガルディアス。
部屋の中にいる全員が、この国を動かし、この国を愛する人間。
その中をルーナは当たり前のように歩いていく。
「おはよう皆の衆!」
その一言に、あちこちから返事が返る。
「おはようございます、ルーナ様」
「本日はお早いですなぁ」
「おはようございます王女様」
誰も子供扱いしていない。
それがノームには少し不思議だった。
ルーナは国王の隣の席へ腰掛ける。
まるでそこが当然の場所であるかのように。
しばらくして。
国王が立ち上がった。
ざわめきが止む。
「軍議を始める」
静かな声で、どこか勇ましい声だった。
その一言だけで空気が静まり返った。
最初に立ち上がったのはガルディアスだった。
机の中央へ地図が広げられる。
西部国境。
昨日見たものと同じだ。
「ヴェルンティア軍の集結は現在も継続中」
部屋が静まる。
「兵力は推定八万」
「補給部隊の移動も確認済みです。」
「また、国境沿いの砦周辺で偵察活動が増加しておる模様」
ノームにはよく分からない話だった。
だが将軍達の顔を見る限り、深刻なのだろう。
「侵攻時期はいつだ」
国王が問う。
「早ければ…一ヶ月以内かと…」
その答えに数人の貴族が顔を見合わせた。
そして一人の男が立ち上がる。
年配の貴族だった。
「少々、よろしいでしょうか」
「発言を許そう」
国王が頷く。
「私はまだ、早計だと考えます」
部屋の空気が変わる。
「確かに兵は集まっております。が、戦争と断定するには材料が不足している」
「ここで軍を大規模に動かせば財政への影響も大きく、もし起きなかった場合の王国の損失が無視できません」
もっともな意見だった。
何人かの貴族が頷く。
だが将軍達は無言だった。
その時、ルーナが静かに口を開いた。
「ベルトラム卿」
柔らかな声だった。
「はい」
「愚問であるかもしれませんが、一つ質問しても?」
「もちろんです」
ルーナは机上の地図へ目を落とす。
「西部最大の補給拠点から国境の砦まで、物資を運ぶのに何日かかりますか」
貴族は少し考える。
「およそ十日、でしょうか。」
「そうですね」
ルーナは頷いた。
「では砦が落ちた後に準備を始めた場合、十日で間に合いますか?」
貴族が言葉に詰まる。
「それは……」
「…間に合いません」
ルーナは静かに言った。
「戦争は起きてから備えては負け戦」
「起きる前に備えなければいけない。先手必勝、です。」
部屋が静まり返る。
誰も口を挟まない。
ルーナは続ける。
「そ、れ、に」
指先が地図をなぞる。
「私がヴェルンティア王なら攻めます」
その一言に視線が集まる。
「兵力差はほぼ互角」
「収穫期前で、補給線も整備済み」
「こちらが警戒を解く理由はないでしょう」
淡々としていた。
感情論ではない。
ただ状況を並べているだけだ。
だからこそ説得力がある。
「南部への陽動も考えられます」
ルーナが続ける。
「本命は中央」
ガルディアスが頷いた。
「私も同意見です」
「ツヴァイツは?」
国王が問う。
騎士団長は短く答えた。
「異論ありません」
それで十分だった。
部屋の空気が決まる。
国王は全員を見渡した。
「第二警戒態勢への移行を決定する」
異議を唱える者はいない。
文官達が一斉に筆を走らせる。
将軍達もそれぞれ準備を始めていた。
会議はさらに続く。
砦の備蓄、兵站、騎士団の再編、各地への通達。
話題が次々と移っていく。
ノームは途中から理解するのを諦めていた。
だが一つだけ分かったことがある。
ルーナはただ座っているだけではなかった。
誰よりも発言し、誰よりも質問し、誰よりも先を、国を見ていた。
将軍達も文官達も、それを当然のように受け入れている。
気付けばノームはルーナを見ていた。
ルーナは真剣な顔で資料に目を通している。
先程まで見ていた笑顔とは別人のようだった。
やがて数時間後。
長かった軍議も終わりを迎える。
国王が席を立った。
「本日の軍議は以上とする」
参加者達が一斉に立ち上がる。
椅子を引く音。
書類をまとめる音。
会議室に再びざわめきが戻った。
将軍達が部屋を出ていく。
貴族達も去っていく。
しばらくして広い会議室には数人しか残らなくなった。
ルーナは大きく背伸びをする。
「ふぅ、疲れたぁ……」
その一言で空気が全部壊れた。
ノームは思わず吹き出しそうになる。
「さっきまでと別人じゃねぇか」
「仕事終わったから!」
ルーナは椅子から立ち上がる。
そして窓際まで歩いていった。
夕陽が王都を赤く染めていた。
昨日の成人式の飾りがまだ風に揺れている。
ルーナはしばらく街を眺めていたが、不意に口を開く。
「ねぇ、ガルディアス将軍」
「はっ」
「もしヴェルンティアが攻めてきたらどうする?」
「迎え撃ちます」
「勝ったら?」
「国境の安全を確保します」
当然の答えだった。
だがルーナは小さく首を横に振る。
「違うよ、違う」
ガルディアスが目を細める。
「ほう?」
ノームもルーナを見る。
王女は夕陽に照らされながら微笑んだ。
「勝ったら、攻める」
静かな声だった。
「ヴェルンティアを落とす」
誰も口を挟まない。
ルーナは続ける。
「西を取る」
「南を取る」
「東を取る」
そして―――
まるで当然のことを言うように笑った。
「私はこの戦争を足がかりに、この大陸を統一する」
会議室が静まり返る。
夢物語。
妄言。
普通なら笑われるはずだった。
だが、その場にいた誰一人として笑わなかった。
ガルディアスは静かに頭を下げる。
ツヴァイツは薄く笑う。
ノームだけが呆然としていた。
そしてルーナは、そんな空気など気にも留めずに言った。
「だって、その方が面白そうでしょ!」
夕陽の中で笑うその姿は、
王女というより、何かもっと大きなものに見えた。




