第四節「導火線」と「ルーナ」
すみません!遅れました!
ルーナが文官達に捕まり、半ば強引に執務室へ連れて行かれてから一時間ほどが過ぎていた。
ノームは暇だった。
城の中を勝手に歩き回る気にもなれず、かといって部屋へ戻る気にもならない。
結局、王城の中庭へ続く回廊の窓際に腰を下ろし、ぼんやりと外を眺めていた。
色鮮やかな旗が風に靡く。
広場の絢爛豪華な飾り付け。
行き交う人々の楽しそうな声。
王都は平和そのものだった。
だが、今日聞いていた話を思い出す。
『ヴェルンティア王国が西部国境で八万の兵と物資を輸送中』
正直、よく分かっていない。
けれど、あの部屋にいた全員が重い顔をしていた。
それだけで十分だった。
きっと大変なことなのだろう。
「こんな所にいたのか」
低く耳の奥に響く声に振り返る。
ガルディアス将軍だった。
大柄な身体は近くで見ると圧迫感がある。鎧は脱いでいたが、それでも歴戦の軍人らしい威圧感は消えていない。
将軍はノームの隣までは来ず、少し離れた窓際へ立った。
視線は城下へ向いている。
「ルーナ様はどうした」
「仕事」
ノームが即答する。
するとガルディアスは少しだけ口元を緩めた。
「そうか」
短い沈黙が落ちる。
遠くから鐘の音が聞こえた。
昼過ぎを知らせる鐘だろう。
王都の人々は気にも留めていない。
平和な音だった。
「…変な奴だな」
不意にノームが呟く。
ガルディアスの眉が僅かに動いた。
「ルーナ様のことか?」
「ああ」
将軍は何も言わない。
だからノームは続けた。
「王女なのに偉そうじゃねぇだろ?」
「そうだな」
「笑ってばっかだろ?」
「そうだな」
「でも急に別人みたいになるよな。あいつって」
今度は返事がなかった。
代わりに小さな笑い声が聞こえた。
ガルディアスが笑ったのだ。
それも意外そうな顔ではなく、どこか懐かしむような笑い方だった。
「その感想は、初めて聞いた」
「そうなのか?」
「大抵はもっと違うんだ」
将軍は腕を組む。
しばらく何かを考えていた。
「天才だとか、化け物だとか、怪物だとか」
淡々と並べられる言葉にノームは疑いの眼差しを向ける。
だが冗談ではないらしい。
ノームは顔をしかめた。
「王女に言うことなのか?それ」
「本人の前では言わん」
「そりゃそうだろ」
少しだけ空気が和らぐ。
ガルディアスは窓の外へ目を向けた。
その横顔は、先程の応接室で見たものよりずっと柔らかい。
「私はルーナ様が十歳の頃から知っている」
「十歳?」
「ああ。今とは違う幼くて可愛らしい女子の顔をしていた」
ノームは黙って聞く。
将軍は話すつもりらしかった。
「当時、西部で反乱が起きた」
「反乱?」
「貴族共が欲を出したのだ。下劣だろう」
将軍は鼻を鳴らす。
「まあ、よくある話だ」
よくあるのか。
ノームにはよく分からない。
「王城で軍議が開かれた。国王陛下も、将軍も、文官もできるだけ集めに集めて皆で反乱軍の狙いを考えた」
そこまで話してガルディアスは少し笑う。
「だが誰も分からなかったんだ」
「へぇ、大人が沢山いるのにか」
「今思えば、情けない話だがな」
その時の光景を思い出しているのだろう。
将軍の目が遠くなる。
「そこへルーナ様が来たんだ」
「は?まだ十祭だったんだろ?」
「あぁ。そうだ」
ノームは思わず吹き出しそうになった。
軍議だぞ。
そんな場所へ子供が来るのか。
「当然、皆追い返そうとする」
「まぁ、そりゃそうだろうな」
「だが国王陛下が止めたんだ」
そして、ガルディアスは小さく息を吐く。
「ルーナ様は地図を見て言ったんだ」
そこで一度言葉を切った。
まるでその瞬間を今でも鮮明に覚えているように。
「敵はここを狙っている。そう淀みなくな」
「へぇ、それで?当たったのか?」
「あぁ。当たった。全部がその通りにな」
即答だった。
「しかも完璧にな」
ノームは黙る。
冗談を言っているようには見えなかった。
「一度だけなら偶然で済むだろう」
ガルディアスは続ける。
「二度でも運が良かったと言っていた」
そこで少し笑った。
「だが、三度目からは誰も何も言わなくなる。いや、言えなくなる。」
「……」
「気付けば皆がルーナ様の意見を聞くようになっていたのだ」
風が吹く。
中庭の木々が揺れた。
ノームはしばらく何も言えなかった。
あのルーナからは想像できない話だった。
訓練場で笑っていた少女。
城の廊下でくだらない話をしていた王女。
それと同じ人物とは思えない。
「でもさ」
ノームが口を開く。
「なんか、変わってるのか?普通だろ、あいつは」
ガルディアスは少し驚いたような顔をした。
「普通?」
「いや、変だけど」
「変なのか?」
「変だろあいつは…」
即答だった。
将軍が吹き出す。
今度ははっきりと笑った。
それを見てノームは少しだけ驚く。
この人も笑うのか。
「…なるほど」
ガルディアスは頷いた。
「…それは良いことだな」
「何が?」
「ルーナ様を普通の人間として見ている」
ノームには意味が分からなかった。
だが将軍はそれ以上説明しない。
代わりに窓の外へ目を向ける。
しばらく沈黙が続いた。
やがてガルディアスがぽつりと呟く。
「ルーナ様は昔から変わらんのだ」
「そうなんだな」
「ああ。そうだ」
将軍は頷く。
「ルーナ様は…誰よりもお国のことをお考えになって、誰よりも先に動く。そして、誰よりも無茶をする」
その言葉だけは少し苦かった。
ノームは何となく察する。
きっと今まで何度も危険なことがあったのだろう。
「だから周りが守らなきゃならん」
ガルディアスは静かに言った。
「俺達はそのためにいる」
ノームは窓の外を見る。
王都は平和だった。
子供達が走り回り、商人達が声を張り上げている。
誰も知らない。
西で戦争の影が近付いていることなど。
「おじさん」
「なんだ」
「戦争になるとおじさんは思う?」
ガルディアスは少しだけ考えた。
そして首を横に振る。
「分からん…が、でも来るかもしれない」
「そっか」
短い返事だった。
だが重い。
将軍は腕を組み直す。
「だから準備をする」
「来なかったら?」
「その時は、こっちから攻め込んでやろう!」
その答えはルーナと同じだった。
ノームは小さく鼻を鳴らす。
「…似てるな。」
長く一緒にいると似るのだろうか。
そんな時、遠くから聞き覚えのある声が響いた。
「ガルディアスしょーぐーん!」
元気な声だった。
二人が同時に振り返る。
廊下の向こうからルーナが走ってきていた。
手には大量の書類。
なぜか嬉しそうな顔をしている。
「助けて!」
第一声がそれだった。
ガルディアスは深々とため息を吐く。
ノームは思わず吹き出した。
王国の未来を背負う王女。
天才だの、怪物だの、化け物だの。
色々な呼ばれ方をしているらしい。
だが、今の姿を見る限り、ただ仕事から逃げ出してきた少女にしか見えなかった。




