第三節「予勘」と「導火線」
木剣が弾かれた。
鈍い音を立てて宙を舞い、そのまま砂の上へ転がる。ノームは思わず手を伸ばしたが、当然届くはずもなかった。
訓練場のあちこちから笑い声が上がる。
「惜しいなぁ!」
「いや、惜しくはないだろ!」
「でも根性はあるぞあいつ!」
好き勝手なことを言いやがる。
ノームは舌打ちしながら落ちた木剣を拾い上げた。肩で息をしている自分とは対照的に、目の前の男は平然としている。
ツヴァイツ。
王国騎士団長。
その顔は余裕で満ちていた。
ここまで何度打ち込んだかも覚えていない。だが一度として剣は届かなかった。
避けられ、いなされ、叩き落とされる。
その繰り返しだった。
悔しい。どうしようもなく悔しい。
ノームは木剣を握り直した。
「まだやるのか。」
ツヴァイツが尋ねる。
声色は変わらない。
見下しているわけでもなければ励ましている訳でもない。
「当たり前、だ」
言い終わるより早く地面を蹴った。
今度こそ。
そう思った瞬間には視界がぶれた。
ツヴァイツの足払いで気付けば身体が宙に浮いている。
次の瞬間には背中から砂の上へ叩きつけられ、首元に木刀の先端を当てられる。
「ぐっ……!」
肺の空気が押し出される。
立ち上がろうとして腕に力を込めるが、思うように動かない。
その時だった。
「そこまでー!」
よく通る高い声が訓練場に響く。
観覧席から身を乗り出していたルーナが、大きく手を振っていた。
「終わり終わりー!それ以上やったら本当に立てなくなっちゃう」
「いや、俺は…まだやれる…!」
「腕が震えてる君が言っても信用できないなぁ?」
ノームは反射的に腕を見る。
確かに震えていた。
ルーナが吹き出す。
「あっははっ」
「わ、笑うな!」
「ごめんごめん。でも面白くてさぁ」
ノームが睨むと、ルーナは肩をすくめる。
「まあ、ツヴァイツ相手にここまでやれたなら十分じゃない?」
「一発も入ってねぇよ…」
「入るわけがないだろう」
初めてツヴァイツが口を挟んだ。
その一言に周囲の兵士達が頷く。
ノームだけが納得していなかった。
そんな様子を見ていたツヴァイツは僅かに目を細める。
「だが、お前は諦めないな」
「諦めたら終わりだし…」
「……そうか」
短いやり取りだった。
だがツヴァイツの表情には、昨日までにはなかったものが混じっていた。
興味。
あるいは期待。
ほんの僅かだが、そんな感情だった。
もっとも、ノームは気付いていなかったが。
訓練が終わると、ルーナはさっさと観覧席から飛び降りた。
「じゃあ行こっか!」
「は?どこに」
「お城の案内!」
「別に興味ねぇよ…」
「そんなこと言わないの」
ルーナは当然のようにノームの背中を押す。
訓練場からルーナはノームを押し出す。廊下はやけに広かった。
磨き上げられた床に、高い天井。窓から差し込む陽光が白い壁を照らしている。
ノームは落ち着かないといった様子で廊下をキョロキョロと見ていた。
路地裏育ちの自分には、こういう場所はどうにも馴染まない。
「昨日の成人の儀、すごかったなぁ」
ルーナが窓の外を見ながら言う。
広場にはまだ儀式の名残が残っていた。
飾り付けも旗もそのままだ。
「俺には、関係ねぇな」
「ひねくれてるなぁ」
ルーナは笑う。
昨日と変わらない笑顔だった。
ルーナはそれから城の内部を隈なくノームに紹介して回っていく。
まるで迷路の様な城の中は長年生活しているルーナでも迷うほど広大だった。
案内は次期に終わり、始めた時の廊下まで戻ってきた。
その時だった。
「ルーナ様!伝令!伝令!至急でございます!」
廊下の向こうから兵士が駆けてくる。
かなり急いできたのだろう。額には汗が浮かんでいた。
ルーナの笑顔が消える。
ほんの一瞬だった。
だがノームは見逃さなかった。
「どうしたの?」
「西部防衛ラインより将軍様自らお話があると!」
兵士の言葉に周囲の空気が変わる。
近衛兵達の表情が引き締まった。
ルーナは少しだけ考え込む。
「ガルディアス将軍?」
「はい」
「分かった。応接室だね」
「既にお待ちです」
兵士は一礼して去っていく。
ルーナは小さく息を吐いた。
「ごめん。案内は中断」
「別にいい」
「じゃあ来る?」
「なんで」
「君、一人で歩いたら迷うだろうし」
「別に……迷わねぇよ」
「迷うね」
「迷わねぇ」
「迷うよ。だって私今でも迷うし」
数秒の沈黙。
先に吹き出したのはルーナだった。
「ふふっ。じゃあおいで」
結局ノームも付いていくことになる。
急ぎ足で応接室まで行き、扉を開く。
中には一人の男が立っていた。
年は五十を越えているだろうか。
日に焼けた肌。
無数の古傷。
背筋は真っ直ぐに伸び、その姿には長年戦場を渡り歩いてきた者だけが持つ重みがあった。
男はルーナを見るなり頭を下げる。
「ルーナ様!」
「久しぶりだね、ガルディアス」
ルーナは笑った。
だがガルディアスは笑わなかった。
その表情を見た瞬間、ルーナの笑みも消える。
「……良くない話みたいだね」
「ええ。」
将軍は地図を広げた。
机いっぱいに広がる西部国境。
その上には赤い印がいくつも記されている。
ルーナの視線が鋭くなる。
「ヴェルンティアか」
「ご明察です」
「数は?」
「先鋒に聞いたところ凡そ八万との事」
ノームは思わず将軍を見る。
八万。
どれほどの数なのか想像もつかなかった。
だが軽い数字ではないことだけは分かる。
「兵糧は?」
ルーナが尋ねる。
「大規模な輸送を確認しております」
「なるほど」
将軍は続けた。
「当初は演習と判断しておりましたが、補給部隊の動きが不自然です。攻勢準備と考えるのが妥当かと」
ルーナは黙ったまま地図を見つめる。
部屋に沈黙が落ちた。
やがて彼女は国境線を指でなぞる。
「もし私が向こうなら、ここを使う」
指が止まったのは西部中央。
最も守りが厚いはずの場所だった。
ガルド将軍の眉が動く。
「私も同意見です」
「南に陽動を布いて、こっちの兵を分散させる気だろうね」
「おそらく」
「だったら来るよ。私だったらそうだな、準備が整い次第だから…」
ルーナが答えを導き出す。自分だったらこうする、と。
「夜襲はない。明後日の日没前。」
その一言で部屋の空気がさらに重くなる。
昨日まで成人式で賑わっていた王都。
だが西では違う。
兵が動き、物資が運ばれ、戦の準備が進んでいる。
ルーナは窓の外へ目を向けた。
昨日の名残で揺れる祝祭の旗が見える。
それを数秒見つめた後、再びガルディアスへ向き直った。
「第二警戒態勢へ移行」
「はっ」
「西部の備蓄を増やして。補給線も見直す。中央軍にも準備だけは始めさせて」
「承知しました」
「最悪を想定して動こう」
その声は静かだった。
だが誰一人として逆らおうとは思わない。
十八歳の王女。
本来なら昨日、成人を祝われたばかりの少女。
それなのに、この場にいる誰よりも先に戦争の形を見抜いていた。
ガルディアスは深く頭を下げる。
「御意」
ノームは黙ってその光景を見ていた。
訓練場で笑っていたルーナとは別人だった。
その横顔には、不思議なほどの迫力があった。
戦争の導火線は刻々と短くなっていく。




