『早かったってよ』前編
陸上部の練習前、
海斗は校門の前でスパイク袋を肩にかけ直した。
下校ラッシュの生徒たちがわらわら歩いていく。
自転車のブレーキ音、部活帰りの笑い声、
その全部が夕日に伸びる影と一緒に混ざっている。
ふと、校門の外を見た。
黒いジャケットの男が、電柱にもたれかかって立っていた。
顔はうつむいていて見えない。
海斗と目が合ったわけでもない。
ただ、そこに“いた”。
(……誰やねんあれ)
特に気にすることもなく、
海斗はグラウンドへ向かって早足になった。
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放課後のグラウンドは、
オレンジ色の光で全部が長く伸びていた。
海斗はスパイクを履き、軽くストレッチをしながら翔太に話しかける。
「なあ翔太、今日先生めっちゃ機嫌ワルない?
明日雨やから練習減らしたいんちゃう?」
「知らん。海斗がフライングしまくるから説教伸びただけやろ」
「いやおれじゃないし」
「絶対おまえやって」
しゃべりながら笑っていると、
海斗の足元から影が細く伸びていく。
(影って……すごいな。夕方ってだけで体二つあるみたい)
そんな感想を胸の奥で言いながら、
スタブロの前に立った。
後ろから夕日が落ちてきて、
海斗の影がトラックに長く伸びる。
深く構えた瞬間だった。
影が、海斗より先に“前へ跳ねた”。
海斗はまだ合図も聞いてない。
身体は沈んだまま。
けど、影が――
ふわっと揺れて、
自分の一歩目を“先にやった”ように見えた。
(……あれ?)
姿勢を戻し、影を見た。
もう元通りでそこにいた。
「海斗ー?何してんの、寝とん?」
「いや、影が……いや、なんもない」
結局言えず、立ち上がる。
歩くたびに影が揺れる。
試しに軽く拳を振ってみた。
影の拳だけ“先に”振り切れているように見えた。
ほんの一瞬。
まばたきしなければ気づかないほど。
(……気のせい、気のせい。疲れとるだけ)
海斗は大げさに首を回して誤魔化した。
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練習が終わり、
スパイクを脱いで荷物を持つ頃にはすっかり夕方だった。
海斗は校門へ向かう。
影は背中から伸びて、海斗を追いかけるように長い。
校門横の街灯がまだついていない。
門の手前で、
海斗は何気なく振り返った。
その瞬間。
海斗より先に、
自分の影が“校門へ向かっていた”。
海斗は1ミリも動いていない。
なのに影だけが――
勝手に先に歩き始めている。
海斗は固まった。
「……おい。
おれより早く行くなや……」
影はそのまま門の外へ滑り抜け、
夕日の中に消えていった。
海斗は喉をごくりと鳴らし、
ゆっくり歩き出した。
校門を出る手前、
フェンス越しに視線を向けると――
フェンスの向こう側に、
“海斗の影だけ”が立っていた。
海斗の影は、
本人より先に目的地に立っていて、
ゆっくりと、
海斗のほうへ角度を変えようとしていた。




