第九話
そこから一年間は、穏やかな時間だったと思う。
勉強は大変だったけれど、コライユはさぼりもせずきちんと学んでいた。私の入学後に薬草園を停止させるための準備は粗方終わり、インティの研究も順調に進んだ。
大量収穫に向けて動き出したいけれど、土地をどうするか、という私の問いにヴェルドさんは「いい考えがある」と言った。
ブルーロワ学園入学のための勉強を始めて半年ほど過ぎた、秋の深まりの事だった。
「いい考え?」
「隣国との国境線沿いに広大な土地を確保できた。気候は温暖、雨も程よく降る」
「隣国……ヘリオストロープ国ですか?」
「そうだ。あの国はうちとは比較的良好な仲を保っているから安全だろう」
ヘリオストロープ国は、このビリジアン大陸でグラス王国に次ぐ歴史の長さを持っている。過去に王国と争っていたらしいが、古文書で漸く確認できるほど昔の話だ。現在は友好国として交流も多い。
しかし、国境線沿いとなると辺鄙な土地が多くなるのは仕方のない事だろう。この国は王都に住まう貴族を中心に動いている。なので、中心から離れるほど手付かずの場所も多くなる。ヴェルドさんが提案したのはそんな土地だ。
「その土地は誰が所有しているんですか?」
「ルー・カクス伯爵だ。辺境伯で、王都にはあまり顔を出さない変わり者だ」
「ああ、聞いたことがあります。確か、叔父が何度かお世話になったと」
数える程度しか会った事のない叔父だが、彼の話には、ルー・デュアンケヒト・モーヴ・カクス伯爵がよく登場した。ヴェルドさんが言うように王都にはあまり顔を出さない、というか彼が治めているモーヴ領が遠すぎて顔を出せないため、私は直接の面識がない。
「叔父は彼のことを『赤い羊』と呼んでいました」
「何だそれは?」
「さあ、私にもよく分からないのですが……。それより、辺境伯とは言ってもどうやってその土地を確保したのですか?」
「直接確保したのは、僕じゃなくて宰相様だ」
「アジュール宰相? 今その名前を聞くと頭が痛いんですが」
ここ半年、私の頭を悩ませている宰相様の試験問題を思い出し、頭を抱える。コライユの勉強は思ったよりも進まなくて、最近少し焦っているのだ。
「お前が頭を悩ませているブルーロワ学園だがな、最初は王都じゃなくモーヴ領に建設しようって話だったんだ」
「あんな遠い所に?」
「それが計画が中止になった理由だ。宰相様はモーヴ領に学園を建設するつもりだったんだが、いざ計画を勧めようとしたときに他の貴族から「遠すぎる」とか「国境線沿いは危険」だとか色々言われたらしい。あの人手際良いだろ? 建設予定地の開拓は既に終わってて、結果土地だけが余ってしまったらしい」
「先に言えって話ですよね」
ヴェルドさんの部屋の片付けをしていたエベンが、呆れた表情を浮かべながら私の隣に腰掛ける。ラングレーさんが手を離せない時はエベンがお茶出しと部屋の片付けをやってくれる。
私とヴェルドさんも手伝おうとするのだが、私に対しては「怪我したら危ないですから」という理由で、ヴェルドさんは「あなたに手伝わせたら仕事が増える」という理由でさっさと終わらせてしまうのだ。
この六年間で向上した彼の家事スキルは、主にヴェルドさんのおかげというか、ヴェルドさんのせいというか。
「全くだ。報告、連絡、相談もままならんのか貴族という奴は」
「俺の隣に座ってる方も、一応貴族なんですけど」
「一応って何よ、一応って」
「こいつは別だ。貴族全員がお前みたいだったら、うちの商会ももう少し積極的に貴族向けの商品展開をしている」
シズン商会の客の大多数が庶民だ。貴族向けの商品もあるが、数は少ない。
貴族向けのラインは、売り上げがほとんどないとヴェルドさんがぼやいていたのを思い出す。
「まあおかげで土地が確保できたんだがな。僕が新しい事業を行うために土地を欲しがっていると、それとなく宰相様に伝えてみたんだ。ああ、もちろんお前の名前は隠してある」
「ありがとうございます。しかし……ヴェルドさん、度胸ありますね」
「見た目は怖いが、貴族の中ではお前の次に話が通じる方だぞ? 機会があれば一度話してみるといい。そしたら、モーヴ領を紹介してくれた。宰相様も一度手を付けた土地を放置しているのは、ずっと気になってたらしい。その土地がどのようにして生まれたか、愚痴付きで使用許可が下りた」
「災難でしたね……」
「ただし、条件付きだ。インティの育成と栽培は、レトルドレ学園の生徒にやらせること、だそうだ」
「レトルドレ学園?」
聞いたことのない名前だ。首を傾げると、「庶民向けの学園だ」と返された。
「学園とは言っても、余った土地をどうにかしようと宰相様が応急処置で作った場所だ。まだしっかりとした学園の形にはなっていない」
「インティの育成と栽培を、授業の一環に取り組むというわけですか」
「その通り。学園に通う庶民は農家の子供も多い。育成の難易度は高くないし、学生に任せても問題ないだろう」
「分かりました。レトルドレ学園の皆さんにお任せしましょう」
「普通、貴族ならここは『庶民に任せるなど言語道断』って言うんだろうな……」
「私、面白おかしいバストン伯爵の娘なので。トゥフォン家は、私の名前の一番後ろにくっ付いてるだけの看板です」
「お前と付き合っていると僕の感覚まで麻痺しそうだよ」
「分かりますヴェルドさん。自分をしっかり保ってください」
エベンが失礼極まりない相槌を打つので、机の下で軽く脛を蹴ってやった。
私は確かに貴族らしくない貴族だけど、それは良い意味だと思っている。お父様から受け継いだバストン家の誇りを忘れず、今日までなんとか生きてきた。
私が独り立ちしたら、この誇りを隠さずに堂々と生きていける。それが私の夢だ。ブルーロワ学園への入学はちょっとした寄り道になるが、三年間を無駄にする気はない。
「長期休暇中は帰ってこれるので、報告はその時にしましょう。インティの件はヴェルドさんに全てお任せします」
「任せろ。お前が返ってくる頃にはきっちり研究結果を出しておいてやる。そしたらお前の手助けも必要なくなるからな。権利の売却についてしっかり学んで来い」
「ヴェルドさん……。……ちょっと待ってください。私物凄く感動してたんですが、最後の台詞って実質経営乗っ取り宣言ですよね」
「貴族から平民への権利売却は前例が無い。参考文献も無いし法令で特に定められても居ない。という事は、つまり僕の自由にしていいって事だな!」
「ヴェルドさんまだ薬草園のこと根に持ってますね!? 三年間くらい我慢してくださいよ!」
「ええい煩い! 薬草園の停止でうちの商会の売り上げにどんだけ影響が出ると思っているんだ! 帰ってきたら覚えてろよ、損失分きっちり働かせてやるからな!」
「鬼!」
「ナナリアの血って鬼の家系か何かですか」
この半年、鬼宰相様の作った問題に四苦八苦している様子を間近で見ているエベンが、呆れた様子で呟いた。
「未成年に対する詐欺行為……」
「学園を卒業する頃には、もう立派な成人ですよ」
「う、うぐ……なら不当な履行!」
「どうせエカラット様は首を縦に振るんでしょ。それを不当な履行とは言いません」
帰宅後。いつもの温室で一休みしながら、何とかヴェルドさんの計画を頓挫させようと頭を悩ます私に、エベンから冷静な突っ込みが入る。
「法令関係でヴェルドさんに勝とうと思ったら、それこそ学園でしっかり学ぶべきです。入学してからの目標が出来ましたよ、良かったですね」
「良くないわよ!」
何が悲しくて、学生の身空でそんな法令を学ばなければならないのか。しょっぱすぎるそんな青春。それに、みっちり勉強したとしてもヴェルドさんに勝てる気がしない。
いっその事、アジュール宰相様にチクってやろうか。そんな無意味な事を考えていると、エベンがこちらを心配そうに見つめているのに気付いた。
「そうしたの、ジロジロ見て」
「いや、今日のエカラット様はどことなく変だったので」
「本当に失礼な使用人ね。ブルーロワ学園でその根性叩き直してもらいなさい」
「使用人は授業を受けられませんから。そうではなく、いつもだったらヴェルドさんの揶揄いなんて軽く流すでしょう。何かありましたか?」
流石、十年以上私の使用人を勤めているだけのことはある。エベンは、私の些細な変化も見逃さない。
つまり、彼に隠し事は出来ない。小さく溜息を吐き、重い口を開いた。
「コライユの勉強が、思ったより進まないの」
「ああ、それで」
「一ヶ月に一度模擬試験をしてるんだけど、結果が芳しくなくて。……まあ、教師でもない私が作った問題だから、あの子の学力を正確に量るのは難しいんだけど」
今日の私がいつも以上に荒れていたのは、それが原因だ。決して、いつも万事、あんな調子ではない。
コライユはさぼらないできちんと学んでいる。けれど、それがどうも結果に反映されていない気がするのだ。恐らく半年前と比べ学力は上がっているだろうが、それがきちんと身に付いているかどうかは、怪しい。
アジュール宰相の作る試験問題は、解答を丸暗記すればクリアできる、なんて簡単なものじゃない。
……このままではコライユの合格は、危ういかもしれない。
「もっと危機感を持たせればいいのかしら」
「そんなところまでエカラット様が面倒を見る必要があるんですか?」
「ううん……そうね、でも……」
少し悩む。真面目に取り組んでいるコライユに、ネガティブな発破はかけたくない。本人のやる気を削いでしまうかもしれないからだ。
せめて、どのくらいのラインで合格なのか、はっきり分かればやりようがあるのに。あと数年もしたらブルーロワ学園の試験制度に関する情報も充分な量になるだろうが、今の私の手元には二年前の過去問しかない。
情報屋が丸暗記したというこの情報。真偽のほどは何度もヴェルドさんに確認した。彼はその度に呆れた様子で「そこに書かれているのは本当の事だ。俺の財産の半分を賭けてもいい」と言ってきたので、信用はしている。
けれど、せめてあと二年分くらい過去問があればな、と思わずにはいられない。
「……情報屋がもう一度試験を受けてくれればいいのに」
「そんな事したら今度こそ不敬罪ですよ」
「まあ、ないものねだりは時間の無駄ね。とにかく今は勉強よ、勉強」
「そして俺は庭弄りですね」
二人で顔を合わせて、笑う。
エベンに話したら少しすっきりした。コライユの勉強の仕方は、これから考えていこう。大丈夫、些細な問題だ。
そう、思っていた。




