第八話
ヴェルドさんから購入したブルーロワ学園の過去問は、そのまま問題用紙として出してもいいと思えるくらいの精度だった。
「こんな膨大な問題を、よくここまで正確に覚えられたわね……一体何者なのかしら、件の情報屋って」
「ヴェルドさんとは個人的な繋がりがあるみたいですし、そのうち会う機会があるかもしれませんね」
裏庭の元サンルーム、現温室。庶民の変装からいつものドレスに着替えた私に、こちらも使用人のお仕着せに着替えたエベンがお茶を出してくれた。
普通なら使用人はお茶を出したら主人の後ろへ下がるが、エベンは当たり前のように私の向かいに座る。ここに他の誰かが居たらエベンもそうしていたが、二人きりの時はラフにしてくれる。そうせがんだのは私なのだが。
この温室は、外から見えないようにグリーンカーテンを付けている。裏庭は私たちのテリトリーだが、あくまでトゥフォン邸宅内だ。いつ誰が来てもおかしくない。そんな中で、他人の目を気にせずエベンとリラックスして話せるこの温室は、私たちの秘密基地みたいなものだ。
「ともかく、過去問が手に入ったならもう合格は確実じゃないですか? エカラット様の負担もこれで少しは……」
「何言ってるのよエベン。問題を解くだけなら猿でも出来るわ」
「……どうやら俺は猿以下みたいです」
「訂正するわ。問題を解くだけなら……そうね、誰でも出来るの」
「有り難くも何ともないフォローありがとうございます」
「もう、いちいち突っかからないで。……それで、今年の試験にこの問題がそっくりそのまま出るとは限らないでしょう? ただ、どんな問題が出るかの傾向は分かるわ」
「アジュール宰相監督なら、同じ問題を出すなんて生温い事しなさそうですね」
「やっぱりそう思うわよね。それに……ぱっと見ただけでも応用問題が多いの」
「それはつまり?」
「解答丸暗記じゃ落とすぞ、ってこと」
「宰相様は勉学の鬼ですか……」
エベンの意見にはほぼ同意だ。そして、義父様の言葉は嘘ではないと分かった。
この問題の向こうから、アジュール宰相があの冷たい銀の瞳でこちらを見ているような錯覚がする。この問題は全員落とす事を目的としているくらいの難問だ。
他の貴族のご子息、ご息女がこの問題を半分も解けるのか疑問だ。しかし毎年一定数の合格者が出ているのには違いない。予想以上のハードルの高さに、私は大きな溜息を吐いた。
「これじゃ、私も合格できるか分からないわ」
「そりゃいい。ヴェルドさんが喜びますよ」
「馬鹿ね。忘れているようだけど、私はコライユを合格させなきゃいけないのよ。教える側がそんなんじゃ意味ないじゃない」
「ああ、そうでしたね。……エカラット様、コライユ様って正直どうです?」
「どう、とは?」
「この難問に合格できるかどうか、って話です。これから一年、エカラット様の貴重な時間をかけるに値しますか?」
エベンの中では、コライユの評価は大分厳しい。時々、義父様より辛辣な態度を見せる。もちろん本人の前ではそれを隠しているが。曰く「エカラット様の一番近くに居るのに手を差し伸べない」のが気に食わないらしい。全く、私は良い従者を持ったものだ。
けれど、私にとっては可愛い妹だ。
年々、義父様の望むような淑女に育っている彼女だが、私にとっては血を分けた存在。鏡を見ているかのように私と瓜二つの彼女が、ただ幸せそうに笑っていればそれでいい。
「……コライユは頭のいい子よ」
「姉馬鹿を抜きにして」
「本当よ。コライユがやる気を出して本気で取り組めば、合格も夢じゃないでしょう」
姉馬鹿と言われるのは仕方ないとして、コライユは頭がいい、というのは本当だ。淑女としての教育を貪欲に学び、身に付けた今の姿からそれは分かる。
彼女が本気になれば、この鬼のような問題も解けるだろう。
「本気で、ねぇ」
「何よ。今日は随分と絡むわね」
「……外から見ていた方が分かることってのもあるんですよ」
エベンが視線をカップに落とす。
その碧眼には、若干の不安の色が見て取れた。
宰相様の見た目をそのまま映したかのような問題は、傾向を読み取るのにもかなり苦労した。
ヴェルドさんから過去問を買った三日後、私なりの試験対策準備が出来たので、改めてコライユに教える。義父様が用意した教師たちは流石のレベルだったが、彼等の教え方はトゥフォン侯爵家令嬢の前に遠慮が見て取れる。このままの調子で一年間勉強を続けても、しっかり身に付けるのは難しいだろう。
なので、一切遠慮する必要のない私が、一日の終わりにコライユ向けの特別授業を設ける事にした。
「お姉様、この問題は少し難しすぎよ」
「言ったでしょ、アジュール宰相が監督役をしているの。今年はもっと難しくなるかもしれないわよ」
アジュール宰相、という言葉にコライユは眉を顰める。義父様の教育は完璧のようで、彼女もまた義父様と同じように宰相様を嫌っている。
「私、あの方の指導は受けたくないわ」
「宰相様が教鞭を取ることはないわよ。お忙しい方だし」
「どうせ何か企んでいらっしゃるのよ。あの方は正室様の一派と聞くわ」
憎々し気に言うコライユに、私は小さく溜息を吐いた。
周辺諸国を取り込む動きが活発化したのは、正室様と側室様の争いが発端だ。簡単に言えば、正室様は戦争反対派で現状維持を望んでおり、側室様はグラス王国の領土を広めたいと考えている。
王宮内が悪い意味で賑やかなのは、この二人の争いに乗っかり、自身の利益を得ようとする輩のせいだ。陰謀渦巻く王宮には暫く近寄りたくない。命がいくらあっても足りなさそうなので。
「コライユは戦争に賛成なの?」
「それは……いえ。争いは土地を汚すわ。この国にも軍隊はあるけれど、もう三十年以上戦ってないし」
コライユの言う三十年前の戦いも、隣国が不当に国境を犯したのを防衛しただけだ。戦争は三ヶ月にも満たず、我が国は圧倒的な国力で勝利をおさめた。
隣国は小さく、国王は野心家だったと聞く。身の丈に合わない野望を持った彼は、あっけなくその命を散らしていった。
王が居なければ国は成り立たない。隣国はあっという間にグラス王国へ吸収されてしまった。
……思えば、その頃から国土拡大の考えが出始めたように思う。私はまだ産まれていないので、あくまで記録上から読み取った推測だが。
「私も戦争は嫌よ。……だからと言って、どちらに付くという話ではないけれど」
「それは……そうね、軽率だったわ。お姉様、今のは忘れて頂戴ね」
一転、コライユは眉を下げしおらしくなる。
義父様の好む淑女に育ってはいるが、彼女の芯は変わらない。コライユはそこら辺の噂好きの令嬢ではない。大局を見る目がある。
……まあ、昔と比べ少し過激になっているのは気になるが、ここら辺は義父様の悪い影響だ。
この一年、コライユに勉強を教えるという名目が出来た。わざわざ理由を付けてコライユに会う必要もない。
六年間で離れてしまった距離を縮めるチャンスだ。出来れば義父様の悪い影響を改善したい。第一目標は勉学だが、一年もあれば何かしら結果は出せるだろう。
さて、と手を叩いて気を取り直し、私はコライユのための勉強会を再開した。




