第七話
「ヴェルドさん、『僕の薬草園』って言ってますけどね。あれは私の作った庭ですよ」
一通り怒鳴り散らして落ち着いたのか、ヴェルドさんはドスンと乱雑な音を立てながら椅子に腰を下ろした。私は塞いでいた耳から手を離し、呆れの溜息を吐く。
しかし返ってきたのは意地の悪い笑み。六年間で見慣れてしまった、商人の顔だ。
「残念だったな、所有権に関してはこちらの契約書通りだ」
「ぐっ……未成年者の契約は保護者同意で自由に破棄できます!」
「その保護者とやらを連れてこれるのか? 上手くいってないからブルーロワ学園なんぞにぶち込まれるんだろ!」
「うぐぐっ……」
「俺でも言いにくいことをここまでハッキリと」
エベンがいつも通り散らかりっぱなしの椅子と机を手早く片付けて、ラングレーさんがいつも通りお茶を運んできてくれた。現在彼はヴェルドさんの右腕的な存在で、シズン商会になくてはならない人物となっている。
そんなラングレーさんがまぁまぁ、とヴェルドさんを宥めながら紅茶を差し出す。頭から湯気が出そうなくらい怒っていたヴェルドさんだったが、お茶を一口、二口飲むと段々普段の冷静さが戻ってきた。商会長が落ち着いたのを見計らい、ラングレーさんは一礼して通常勤務に戻る。
これが、シズン商会の日常風景だ。
「それで、本当なのかエカラット」
「残念ながら……。私の庭に関しては、維持は可能ですが研究は打ち止めです」
「他の使用人を使えないのか?」
「そこからヴェルドさんとの繋がりが漏れてしまう可能性を考えると、得策ではないですね」
「……エベンを置いてお前だけ行くのは」
「嫌です」
「俺だって嫌です。エカラット様が居ない屋敷で三年間過ごしたら、胃に穴が開いてそのうち死にます」
「相変わらず仲のいいことで」
「ヴェルドさん、潔く諦めてください。私にはどうすることも出来ない問題なんです」
未だ未練たらたらの様子のヴェルドさんに、私は呆れながら言う。プラチナブロンドの前髪の間から覗く銀の瞳は鋭く、彼の人となりを知っていなければ委縮してしまうだろう。
ヴェルドさんは商人の鏡のような人だが、悪い人じゃない。この六年間でそれは充分に分かった。大人気ない言動も、おもちゃを取り上げられた子供のような駄々こねだ。
……自分の好きにできる薬草園が突然取り上げられるのだから、あながち間違いではない。
「……仕方ない。あと一年はあるんだろ? その間にこちらも調節する」
「ありがとうございます」
「で、今日ここに来たのは、僕の気分を悪くさせる報せを持ってきただけじゃないよな? もしそうだったらお前の口座を凍結してやる」
六年前、私の不明確な未来への投資に、ヴェルドさんは商会名義で口座を作ってくれた。貴族が庶民向けの口座を持つことはできない。けれど、私の稼いだお金はトゥフォン家から隠しつつ、なおかつ安全な場所に保管しておく必要がある。そこで、ヴェルドさんが商会の名義を一つ貸してくれたのだ。
も私は彼を信用して二つ返事で商会名義の口座を作ったのだが、ヴェルドさんはそんな私の態度を諌めた。
まだ十歳の私に「あなたは人を信用しすぎる」と言い、商会名義の口座に関する契約書を作成してくれた。内容を要約すると、名義はシズン商会だが私以外の人間は利用できないというものだ。
……そういえば、まだあの頃は私のことを「あなた」とか「エカラット様」とか呼んでて、口調も丁寧だったなぁと思いだす。
「口座の解約はとても困るので、朗報を一つ。つい先日新しい発見をしたのでそのご報告をさせて頂きます」
もちろん、口座の凍結云々は上記の理由でたとえヴェルドさんでも不可能だ。彼なりのジョークであるが、機嫌を損ねるのは本意ではない。
エベンが腰に巻いたポシェットから小さな袋を取り出す。
中身はとある植物の種。焦げ茶色で、親指の爪ほどの大きさだ。
ヴェルドさんが首を傾げる。
「何の種だ?」
「インティの種です」
「インティ? そこらへんに生えてる雑草か?」
その通り、インティはそこらへんに生えている雑草の一種だ。初夏にかけて薄紅色の花を咲かせるが、観賞用にするには平凡でありきたり。わざわざ育成するほどのものでもない。
この王国内での認識はその程度だ。
……今は、まだ。
「そこらへんに生えてるありきたりな植物だから、見落としてたんです。インティの種って、絞ればかなり良質の油が取れるんですよ」
「ほう」
「それに加え、根は味気ないですが食用可能です。二つとも実験済みですのでご安心を。そして一番の肝は葉っぱです! 凄く苦いので食用には向きませんが、栄養は豊富に含まれてます。これ、畑の連作障害の改善に使えるんじゃないかと」
きっかけは些細なことだった。
あれは二年前だったか、珍しく家族全員で別荘を訪れたとある日。
旅行や遠出の際、私は何かと理由を付けて置いてかれるか、自分から辞退することが多いのだが、この日は別荘地で他貴族との交流もあったので渋々着いて行った。義父様も、私が着いてくるのを仕方ないといった様子だったと記憶している。
それはともかく、その別荘地というのが自然豊かな場所にあった。
近くに牧場があると小耳に挟んだので、私は息苦しい別荘から一人でこっそり抜け出して見学……というか盗み見をしに行った。
そのとき、牧草地で羊たちが食べていた植物。それがインティだった。
「その牧場の羊たち、凄い毛並みが良かったんです。後から聞いたら、そこで刈り取った毛は貴族御用達の店舗に卸されてました。それで、何で毛並みが良いのかなって考えて色々調べてみたところ、あの土地はインティの群生地という事が判明したんです」
「成る程……豊富な栄養が羊の毛並みの良さに繋がっていたと。よく発見したな」
「偶然ですけどね。根と葉っぱはエベンに食べてもらって立証済みです。実験中のエベン、肌も髪もツヤツヤになったので美容効果もあるんじゃないかと」
「……おいエベン、嫌なら嫌と断っていいんだぞ?」
「エカラット様の無茶ぶりにはもう慣れました……」
エベンが遠い目をする。
無茶ぶりとは失礼な、実験前にちゃんと毒性がないことは確認済みだし、私も実際に食べてみたというのに。
しかし、あの苦い葉を毎日食べてくれたエベンには感謝だ。私には絶対無理。
「それで、インティを栽培している農家ってないですよね? これ、新規参入できるんじゃないですか?」
「そうだな……本当に連作障害の改善が可能なら、農業界に激震走る、だ。植物油の方は、商品化するなら大きな土地が必要だろう。種1kgに対して油はどれだけ採れる?」
「20mlくらいですね」
「少ないな」
「でも、食用油として使えますし、臭いもほとんどないので灯りにも使えます。あとこちらは実験中なのですが、ヘアオイルとスキンケアオイルにも。花の香りを混ぜたらご婦人にも喜ばれますよ」
「凡庸性は高いな。ちなみにその実験は」
「二週間後のエベンをお楽しみにしていてください。王国中のご婦人の嫉妬を集めるでしょう」
「俺、齢十八にして美容に目覚めそうです」
「……エベン、そっちの道は止めておけ。よく分からないが、多分修羅の道だぞ」
「そうです、美容は修羅の道。私はあまり興味がないのですが、社交界で盛り上がる話題の一つです。安定した供給には広大な土地が必要になりますが、インティの栽培は簡単ですし、初期投資もほとんどかからない。原価は抑えられるので、庶民向けの美容商品として売り出せるかと」
「そこで貴族向け、にしないのがお前らしいな。分かった、土地の件は考えておこう」
貴族向けの美容ラインは新規参入が難しい。現在は二つの店舗がほぼ独占状態を維持している。どちらの店舗も老舗で、更には根っからの貴族恭順主義。シズン商会が割り込んだら不要な顰蹙を買うだけだ。
私は独り立ちのためにお金が必要だが、ヴェルドさんに迷惑を掛けたいわけじゃない。それに、私の成果は庶民に還元されてほしい。
私が持っているのはその程度の考えなのだが、ニヤニヤと笑みを浮かべるヴェルドさんが何となく気に入らなくて、無言で睨み付けた。
「そんな目をするな。お前らしいというのは、良い意味でだ。エカラットのような貴族が増えてくれれば、この王国も少しはマシになるだろう」
「そうですね……最近の王宮は、あまり居心地が良くないみたいです」
「使用人たちの耳にも入ってくるレベルですよ。大丈夫ですかね、この国」
「他人事みたいに言わないでちょうだい」
私たちの住む国、グラス王国は、ビリジアン大陸の真ん中に位置する。周辺には小さな国がいくつかあり、これを取り込もうという動きがここ数年活発化していた。
上手くいけば和平条約の締結に留まるが、最悪の場合は戦争になるだろう。
国内ではこの動きに対する反対派の意見が根強い。その筆頭が宰相のアジュール・レトルドレ・ラル・ナナリア様。目の前で難しい顔をしているヴェルドさんと似た色の髪と眼を持っている。
六年前、ヴェルドさんと初めて会ったときに「どこかで見たことがある」と思ったのは、アジュール宰相の面影が見えたからだ。ヴェルドさんの家名はナナリア。つまり二人は遠い親戚ということになる。
ヴェルドさんの祖父に当たる方が貴族位から抜け、シズン商会を立ち上げたのが始まりだという。貴族と庶民という越えられない高い壁はあるが、アジュール宰相とヴェルドさんは多少の交流があるらしい。
「宰相殿の胃に穴が開かないことを祈ってるよ」
「アジュール様の鋼鉄の胃に穴を開ける自体になったら、本当にこの国はおしまいですよ。……そうだ、今日は別件で頼みたいことがあるんです」
「何だ?」
「ブルーロワ学園の試験制度についてです。アジュール様が監督を務めているんですよね? 試験問題の傾向とか、ヴェルドさん分かりません?」
「……その情報を流したら、お前が一年後には居なくなる可能性が高まるわけだが」
まだ根に持っているらしい。アジュール宰相と同じ色の瞳で睨み付けられるが、彼ほどの威力はない。
私は苦笑いを浮かべ、三年経ったら帰ってきますから、と宥めた。
「……はあ、仕方ない。宰相殿からの情報じゃないが、二年前の試験の過去問ならあるぞ」
「えっ?」
思わず驚き目を見開く。
そんな私の反応を見て、不服そうに睨み付けていた瞳が一転、意地の悪い形に変わる。
「うちに出入りしている情報屋が、二年前に身分を偽って試験を受けた。その時の出題内容をまとめたものがうちにある。あいつの記憶力はバケモノ並だからな、ほぼ全て丸写しの完璧な過去問だ」
「……突っ込みどころが何個かありますが、随分とアクティブな情報屋ですね。普通だったら捕まって不敬罪ですよ」
「その時、宰相殿に口利きをしたのが僕だ。分家とは言えナナリアの家名を持っているし、王都で五本指に入る商会の長だから発言力はある。宰相殿にはそれ以来気にかけてもらっているから結果オーライだったが、そいつには謝礼として問題集をタダで譲ってもらった」
「うわ、セコイですね」
私が思っていることが口に出たかと焦ったが、隣に座るエベンが変わりに言ってくれたらしい。彼は時々口が滑りやすくなる。
エベンを睨み付け、「商売上手と言え」「いやそれって脅しじゃないですか?」「相手も納得した上でのやり取りだ」……といったやり取りをしていたヴェルドさんが、勿体ぶるかのようにゆっくりと私に視線を戻し……極上の笑みを浮かべる。
「それで、いくら払える?」
「タダ同然の情報にそれって詐欺じゃないですか!?」
「詐欺とは失礼な。あの宰相殿の冷たい目で睨み付けられた僕の心労を察して欲しい」
「鏡見てきてください」
再びエベンから突っ込みが入るが、今度は無視してニヤニヤ笑いのままだ。
この状態に入ったヴェルドさんは、彼が納得する条件を出すまで動かない。このニヤニヤ笑いは意地の悪い商人の笑みだ。
「……二万ルアで」
「おいおい冗談だろエカラット。僕直伝の経済学の教育が全く身に付いていないと見える。そんなんじゃブルーロワ学園合格は夢のまた夢だな」
「私が入学したいのではなく、妹を合格させるのが第一目標です! 五万ルアでどうですか!」
「よし売った。……いやいや、待て。どういうことだ?」
怪訝な顔を見せるヴェルドさんに、そう言えば事のあらましを説明していなかったなと思い直す。我ながら聞いていて面白くもない話だが、彼には報せておかなければ。
そして事情を説明して行くうちに、ヴェルドさんの眉間にシワが寄っていく。
「そんなくだらない理由で、僕の薬草園を取り上げるのか」
「よし分かりました。一年後、私が入学する前に再契約しましょう。薬草園の所有権について改めてお話があります」
「エカラット様、勝ち目のない戦いは止めておきましょう」
「その問題は一年後に持ち越しだ。……エカラット、お前はそれでいいのか?」
眉間にシワを寄せたまま、けれど銀の瞳の奥には私を気遣うような色が見える。
今となっては、私をただの一個人としてまともに扱ってくれるのは、エベンとこの商会の人たちだけだ。
その気持ちだけで、私はこの六年間生きてこれた。
「……正直、良くはないですよ。研究も軌道に乗ったところですし、何より義父様の命令通りにしなければいけないのが不服です」
「独り立ちが可能なまでには金も溜まってる。暫くの間なら僕が面倒を見てやってもいい」
「ここで強行突破したら、間違いなく義父様の不興を買うでしょう。シズン商会を危険に晒したくないです」
「……まあ、トゥフォン侯爵に睨まれたら面倒ではあるが。しかしシズン商会はそう簡単には潰れないぞ」
「私の理想は、事を荒立てることなく静かにあの家を去ることです。周りに迷惑をかけず、上手く事を進める。それが出来たら、私は本当の意味で独り立ちできるんです」
もちろん、ただ単純にお世話になっている人たちに迷惑を掛けたくないという気持ちもある。しかし、あの家から抜け出すことは簡単じゃない。そんな難題をクリア出来なければ、独り立ちなんて到底不可能だろう。
「……逞しく育ったなぁ。僕も歳を取るわけだ」
「まだ二十四歳でしょう、何言ってるんですか。これからも末永くお世話になる予定なので、一年後は笑って見送ってください」
「そうだな。この一年でトゥフォン侯爵の気が変わることを祈っとく」
まだ諦めきれないらしいヴェルドさんの言葉に、私は苦笑いを返すしかできなかった。




