第六話
私が街へ『お忍び』をするようになったのは、エベンの提案がきっかけ。
六年前。私がまだ九歳の頃。
自立の意思を固めた私だけど、具体的に何をすればいいのか分からず、途方に暮れていた。
そんなとき、エベンがとある人物を紹介してくれると言ってくれたのだ。
「商会長の息子?」
「ええ、そうです。王都でもトップクラスの大きな商会ですよ。グロブルー様がお忍びで街に降りたとき、お世話になってまして。俺とも顔見知りなんです」
私たちの暮らすこの王都は、山の斜面を切り開いて作られている。
一番上が王宮、周りを囲むように貴族が住まう貴族街があり、その下は平民が暮らしている。王都暮らしの民は貴族御用達の店舗を営んでいるものが多く、平民の中でも裕福な生活を送っている者がほとんどだ。
エベンの言った商会は、一部商品は貴族に売買しているが、大半が王都に暮らす平民向けの商いをしているという、一風変わったお店らしい。しかし、規模は王都で五本指に入るほど大きい。王都の住民は貴族と平民が半々だ。ターゲットを平民に絞っても需要は高い。
「私、売れるものは何もないわよ」
「そうですね、今はまだ。ですが、後々売ることになるでしょう」
そう言いながら、エベンは庭を見渡す。
「この庭で、俺たちが作ったものを商会に売るんです。それを自立のための資金に充ててください」
「……でも、そんな売り物になるような物、作れるのかしら」
「物だけじゃないですよ。例えば庶民が入手しにくい植物を育成して、そのデータを売るとか。シズン商会が売買するものは目に見えるものだけじゃない」
「シズン商会、っていうのね」
少しだけ逡巡する。自立するには確かにお金が必要だ。先立つものは多ければ多いほどいい。それに、家を出た後の後ろ盾は多い方がいい。王都で一番大きな商会と顔見知りになっておけば有利に働くだろう。
しかし、そこで大きな問題に気付く。
「どうやって、そのシズン商会まで行けばいいのかしら。これ以上義父様の目に付くような派手なことはできないわよ」
貴族が街に降りることは滅多にない。欲しいものがあれば店主を自宅に呼び、その場で買い付けるからだ。お忍びで街に降りる貴族も居るには居るが、お父様のようにそれを日課にしている者は少ないだろう。
トゥフォン家なぞ、街に降りたことはあるのだろうか、というくらいだ。この家で街に降りたいです、なんて言えば正気を疑われてしまうだろうし、私が言えば絶対反対される。
しかし、エベンは自信たっぷりに胸を張り。
「グロブルー様のお忍びに何度付き合ったと思ってるんです? 俺に任せてください」
あまり自慢にならないようなことを言った。
街へのお忍びは、翌日すんなりと行われた。私の手を引くエベンに導かれるまま、裏庭に空いた穴から抜けだし、裏道を抜けると、あっさりと街に降りることができた。
どう考えても事前に準備していたとしか思えない手際の良さを疑問形でぶつけてみたろころ、「そのうち必要になるかと思いまして」と、なんとも簡潔な答えが返ってきた。
「一体いつから準備してたのよ」
「トゥフォン家に来た翌日からです。俺たちの裏庭に抜け道があったのは偶然でした。さ、ここです」
あっさりと到着したシズン商会は、なるほど確かに王都で五本指に入る大きさを誇る、立派な建物だった。慌てて身だしなみを整える。ちなみに、今着ている服はいつものドレスではなく、庶民が着る洋服だ。こんなものまで準備していたとは、自分の使用人ながらその手際の良さに呆れてしまう。
「正面玄関から入るの?」
「いえ、裏口から入りましょう。従業員用の出入り口があるんです」
懇意にしていたとは言っていたが、そんなプライベートな空間に立ち入ることができるくらいだったとは。お父様のお忍びの頻度は、私が思っているよりも高かったらしい。
大きな正面玄関と比べ、従業員用の出入り口は一般家庭の扉と同じくらいの大きさだった。その扉をコンコン、とノックする。
かちゃり、と鍵を外す音がして、すぐに扉が開かれた。
「はいよ……ん?」
「あ、ちょうど良かった。ラングレーさん、お久しぶりです」
「おお、エベンじゃねぇか! 久し振りだな。半年ぶりくらいか?」
「トゥフォン家に移ってそんくらい経ちますからね、ご無沙汰してすみません」
「ヴェルドさんが寂しがってたぞ」
「あの人はそんなタイプじゃないでしょう」
エベンと随分親し気に話している男性、ラングレーさんは豪快な人物だった。今まで出会ったことのないタイプだ。驚き思わずエベンの背中に隠れてしまう。
しかし、背の高いラングレーさんからは丸見えだった。
「で、そっちのちっこい綺麗な嬢ちゃんは……まさか」
「そうです、そのまさか。グロブルー様のご息女、エカラット様です」
「ど、どうも! 初めまして!」
突然の出来事だったので、いつものような挨拶が出来ずつい素が出てしまった。はっとして、もう一度挨拶をし直そうと顔を上げると、少し驚いた様子のラングレーさんと目が合い、そして盛大に笑われた。
「ははは! 確かにグロブルー様のご息女だ。まったくもって貴族らしくないな!」
「でしょう?」
爆笑するラングレーさんは置いといて、何でエベンはそこで自慢げになるのだ。褒められているのか貶されているのか、多分両方だろう。
少し面白くなくて、唇を尖らせながらもラングレーさんには軽く頭を下げて挨拶をする。
「エベンがお世話になっています、エカラットです」
「ラングレーだ。ここじゃ貴族も庶民も関係ねぇから、堅苦しい形式はナシにさせてもらうぜ、嬢ちゃん」
ラングレーさんが手を差し出したので、笑顔で握り返す。
通常、庶民は貴族に対してこのような言動をしない。たとえ相手が自分より年下だろうと、相手を敬い畏まる。私も今までそのような対応をされてきたので、ラングレーさんの態度は新鮮だった。けれど、普段からエベンがフランクに接してくれているからか、不思議とすぐに受け入れることができた。
「その方が私も気楽です。ラングレーさんはこの商会の従業員の方ですか?」
「おう。ここじゃ古参でな、グロブルー様をシズン商会に連れてきたのは俺なんだぜ」
「そうなのですか?」
「嬢ちゃんが産まれる前だから、もう随分と昔の話だな。フラフラと危なっかしく街中を歩いていたグロブルー様を保護したとも言える」
「グロブルー様のお忍びが日常化したのは、ラングレーさんが手引きしてくれたおかげなんです。お忍びの際は、専らここを拠点にしていました」
初めて聞く話ばかりだ。お父様の知らない一面を知ることができて、なんだかワクワクする。もっと聞かせて欲しいなと思ったけど、それはまたの機会にしよう。長話になって屋敷を抜け出したのがバレてしまっては元も子もない。
ラングレーさんに促され、シズン商会に足を踏み入れる。裏口を入ってすぐは倉庫になってて、遠くでざわめき声が聞こえる。
倉庫をいくつか抜けると、狭い廊下に出た。すぐそばにある階段を上がっていく。シズン商会は三階建で、三階は役員用の個人スペースとオフィスがあるらしい。
「ヴェルドさん、お手隙ですかね? ちょっと時間かかりそうなんですが」
「ちょうど昨日、大きな商談がまとまったんだ。今日は時間空いてるみたいだぜ。エベンが来たって言ったら無くても時間を作るだろうがな」
「そのヴェルドさん、って方が、エベンの言ってた商会の息子さん?」
「そうです。俺の六つ上で、付き合いも長いから兄貴って感じですね。今はこの商会を継ぐために修行中らしいです」
「二十歳で親父を会長の座から追い出してやる、って息巻いてたぜ。あと二年しかねぇが、どうなるんだか」
「ラングレーさんはどう思います?」
「俺から見りゃまだまだガキだが、まあ頑張ってる方だな。さ、着いたぜ」
階段を上がってすぐ右手、『ヴェルド・ナナリア』と書かれた表札の扉をノックする。すぐに「何だ」と部屋の中から返事が聞こえた。低くて不愛想な声だ。
「ラングレーです。エベンとお連れ様が、ヴェルドさんにお話があると」
「エベンが? ……入れ」
扉を開ける。その部屋は多くの書簡で埋まっていて、窓際に置かれた机にかろうじて作業スペースがある程度だった。
その机の主がこちらに顔を向ける。プラチナブロンドの髪に銀の瞳は、全体的に冷たそうな印象を与える。その色合いと纏う雰囲気に圧倒されると同時に、初対面のはずなのにふと「どこかで見たことがある」と思った。
切れ長の銀の瞳がエベンに向けられ、次いで私に向けられる。すると少し驚いた表情を浮かべ、椅子から立ち上がった。
「ご無沙汰してます、ヴェルドさん」
「ああ、本当にご無沙汰だなエベン。しばらく見ない間に背が伸びたな。……で、そちらのお嬢さんはまさかとは思うが」
「グロブルー様のご息女、エカラット様です」
「初めましてヴェルドさん、エカラット・ラル・トゥフォンです。父がお世話になっていたそうで」
ラングレーさんにしたように軽く頭を下げると、ヴェルドさんが慌てて「頭を上げてください」と言った。
エベンの六つ上、二十歳まであと二年と言っていたから今は十八歳か。私が頭を下げて慌てている姿は、そこら辺に居る普通の青年だ。先程の冷たい印象から一転、大分親しみやすい雰囲気になった。
「ヴェルド・ナナリアです。エカラット様のお話はかねがね。グロブルー様にはこちらこそお世話になりました。……遅くなりましたが、お悔やみ申し上げます」
ヴェルドさんが浮かべた沈痛な表情は、作りものじゃないとすぐに分かった。第一印象で損をするタイプのようだが、話してみると感情豊かな表情を見せてくれる。
ここにもお父様を忘れないでいてくれる人が居たことに、私は嬉しくなって笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。墓前に伝えておきます」
「ええ、よろしくお願いします。……おいエベン、半年も顔を見せなかったと思ったら、グロブルー様のご息女を連れて再登場か」
「すいません、連絡する暇なくて」
「それでも来る前に一報入れるくらいはできるだろう? あのな、『この場では貴族も庶民も関係ない』と決めたのは確かにグロブルー様だ。けど、体面ってもんがあるだろ。貴族のご令嬢をこんな汚い部屋に招くなんて、普通だったらあり得ないぞ」
「いつも綺麗にしてればいいじゃないですか」
「ああ言えばこう言う! 背が伸びただけで全く変わってないな、お前は!」
ヴェルドさんが目を吊り上げて怒る様子に、エベンは謝りながらも口の端が上がっている。二人の仲の良さが窺い知れるやり取りだ。
「私は気にしませんよ、ヴェルドさん。いきなりお邪魔してしまい申し訳ございません」
「いえこちらこそ! ラングレー、茶を持ってきてくれ」
「置く場所あります?」
「今から僕が、大急ぎで作るんだよ!」
ラングレーさんが「畏まりました」と笑いながら部屋を出て行く。この商会の息子というのに、先程から扱いが軽い。なんだかエベンと私の関係性を見ているようで、勝手に親近感が湧いてしまった。
書簡で埋まっていた来客用の机と椅子を、なんとか使える程度に片付けてから座る。ヴェルドさん一人では片付けが大変そうだったので手伝ったらとても申し訳なさそうな様子だったが、止めることはしないでくれた。これもお父様の影響だろう。
席に座り、ようやくひと段落着いたとお茶を飲む。上等な葉だ、貴族向けのものだろうか。ということは、高価なもので用意する方も大変だろう。今後は急な来訪は控えよう、と密かに決めた。
「それで、グロブルー様の大切なご息女をわざわざ連れてきて。一体何の用だ?」
「単刀直入に言いますと、エカラット様の独り立ちにご協力願おうと」
「独り立ち?」
「エベン、私が説明するわ」
掻い摘んで、これまでの経緯を話す。トゥフォン家の私の扱いは大分オブラートに包んで伝えたが、ヴェルドさんの眉間のシワは終始刻まれたままだった。しかし、こうして改めて話してみると、我ながら酷い扱いを受けていると思う。
「……それで、十六歳を目途に家を出ようと考えてます」
「成る程。貴族と言えど、家を出るとなると先立つものが必要です。しかし、今の状況ではトゥフォン家からの積極的な支援は望めないでしょう。それでうちの商会にお越し頂いたと」
「ええ、そうです」
「……あなたの父君にはご恩があります。そのご息女が困っているなら協力したいとは思いますが、シズン商会は慈善事業でここまで大きくなった訳じゃない。そして僕は商人です。……まだ幼いあなたを相手に、何が得られるかを頭の中で計算している。そんな僕をもう一押しする要素を、ご提示頂けますか?」
ヴェルドさんの言葉はごもっともだ。権力を笠にタダで協力しろ、なんて私が最も嫌う貴族の在り方だ。
エベンを見る。自分でも不安げな顔だとは思うが、隣に座る彼はこくりと頷き返してくれた。「エカラット様を信じてます」。そんな顔をしている。
「私は、個人で庭園を持っています。と言っても、まだ造っている最中ですが。貴族の庭園でしか出来ないことをあなたに提供します。例えば貴族向けの茶葉の育成データ、この情報をお金に換えることはできませんか?」
「……出来ないこともないですが、大きなお金にはなりません。新しく茶畑を始める農家向けに、格安で情報提供をするくらいですかね。貴族向けの茶葉は限られた場所でしか作られていない。新規参入の機会は多くないし、情報を手に入れようと思えばそこまで難易度は高くないです」
「では畑の連作障害はどうでしょう?」
エベンに言われて、シズン商会に辿り着くまでに考えたプランだ。思い付き程度の内容なので穴だらけのプラン内容だが、ヴェルドさんの興味を引くことには成功した。
「連作障害ですか。その歳で随分難しいことを知ってらっしゃる」
「物心ついたときから畑弄りをしたましたので。同じ作物を育てると、畑の状態が悪くなることがありますよね? 普通は四年ほど畑を休ませて他の場所で作物を育てますが、土地に余裕のない農家には頭の痛い問題です。そこで、私の庭です」
考えながら物を話すのは苦手じゃない。ヴェルドさんに話しながら、自分の中で方針が固まってきた。我ながら行き当たりばったりだが、仕方ない。
本当に十六歳で独り立ちするなら、すぐに成果を上げなければならないのだ。時間が惜しい。
「栽培目的ではない、実験用の畑を作ります。課題は連作障害の早期改善です。その実験データと成果を、ヴェルドさんに提供します。もちろんタダじゃないですよ」
やることは決まった。ヴェルドさんは少し考える様子を見せ、そして笑みを浮かべる。まだ十八歳という若さだが、その笑みは商人の顔だった。
「まだ成果のない話なので、将来への投資、という形になりますが。価値は十分でしょう。実験用の畑という試みは、この国では積極的に行われていない。上手くいけば農業全体の進歩になる。その話、乗りました」
「ありがとうございます!」
やった! と心の中でガッツポーズを作った。ここ数日、最悪の状況に陥っていた心が浮足立つ。目指す形が決まれば、あとはそれに向かって進むだけだ。
隣に座るエベンも、満面の笑顔を浮かべている。やりましたね、エカラット様。そんな声が聞こえてきそうだ。
「それと、薬草園も作ろうと思っています。こちらはまだはっきりと決まっていませんが……ヴェルドさん、何か良い案ありますか?」
「薬草園ですか。そうですね、個人的に作って欲しいものがいくつかあります。こちらは賃借という形で、僕が月々の支払いをしましょう。新規発見があればその成果も買い取ります」
「いいんですか?」
つまり、薬草園の設備が整えばすぐにお金が入ってくることになる。私としては願ったり叶ったりの提案だが、ヴェルドさんの負担が大きいのではないだろうか。
「薬草は利益に繋がりやすい商品です。シズン商会で契約している薬草園はありますが、なんせ数が少ない。それに、僕個人の薬草園が欲しいと思っていたところなんです」
「そうなのですか……薬草の市場価値は正確には分からないので、ヴェルドさんに頼りっきりになってしまいますが」
「それはこれから学んでいけばいい事です。エカラット様は頭がいい。新しい知識は、あなたの独り立ちを後押しする武器になるでしょう」
ヴェルドさんのその言葉は、今の私には何よりも嬉しいものだった。商人の顔は引っ込んで、今は年上の青年の顔になっている。
私は世間知らずの貴族の令嬢だ。『民の苦労を理解したい』と思いながらも、薬草の価値も知らないただの小娘。そんな私と対等に話してくれるヴェルドさんは、私という存在が一人の人間として認められているような気がする。
これからもっと勉強しよう。そして、本当に民の苦労を理解できる存在になりたい。
私は再び頭を下げ、ありがとうございます、と言う。今度はヴェルドさんも止めはせず、ただ笑顔で受け入れてくれた。
六年前のヴェルドさんとの出会いは、私の人生の転機だった。引き合わせてくれたエベンには感謝の念しかない。
六年前から続くシズン商会とのやり取りはもちろん家には内緒だ。最大限の注意を払い、六年間ここへ通い続けている。
ヴェルドさんとの付き合いも六年になるのかと思うと、なんだか感慨深いものがある。薬草園がしっかりとした形になったのはヴェルドさんの存在が大きい。彼が居なければ完成はもっと遅れていただろう。
畑の連作障害の改善とデータは順調に進んでいて、つい先日新しい発見があった。この成果を伝えるために今日のお忍びを計画していたのだが、残念な報せが付いてきてしまった。この六年で随分気安い仲になったヴェルドさんは、絶対文句を言うだろう。
見慣れた裏道を通り、見慣れた商会の扉をエベンがノックする。私はその横で、小さく溜息を吐いた。
「ブルーロワ学園に入学? しかも一年後に? おい冗談はよせエカラット! 僕の薬草園はどうするんだ!」
……しかし、これは改めて考えると気安くなりすぎではないだろうか。
響く怒声に私は思わず耳を塞いだ。
今年で二十四歳になるヴェルドさんは、二年前に無事シズン商会の長になった。
しかし六年前と変わらず散らかりっぱなしの部屋で、変わらない姿で私に文句を言いながら頭を抱えた。




