第二十七話
我が家の扉を壊す勢いで叩いていたのはちょっと懐かしい人物で、私は驚き目を見開いた。
「ヴェルドさん!? え、何で!?」
「久々だなエカラット。と、今は再会の挨拶をしている暇はない。エベンは居るか?」
少し息を切らしているようで、慌ててここまで来たのが分かった。けれど、何故彼がここに?
「エカラット様、誰ですか……ヴェルドさん!? 何でここに!?」
「主従揃って同じリアクションをどうも。とりあえず中に入れてくれ」
ヴェルドさんの勢いに、自然と体を横にずらす。銀の瞳は相変わらずキツいけれど、今日はいつもより増して厳しい目をしている。
その目を見て、嫌な予感がした。この再会は彼にとっても私達にとっても予期せぬ事で、そして歓迎される事ではない。
「エベン、お茶を淹れてくれる?」
「分かりました」
「いや、茶を飲んでる暇は」
「とりあえず落ち着いて下さい。なんの用件かは分かりませんが、手紙を寄越すより自分が来た方が早いと判断して、ここに来たんですよね? なら、尚更落ち着いた方が良いと思います。まずは座って、一息入れてください」
「……そうだな、そうさせてもらう」
リビングスペースに案内して、ヴェルドさんを座らせた。相当急いで来たようで、濃い疲労の色が見える。
彼が居るはずの王都からモーヴ領まで、馬車で三日かかる距離だ。道中ろくに寝てないのだろう、目の下に薄っすらとクマが浮かんでいた。
「どうぞ、濃い目のお茶です。疲れも眠気も吹っ飛びますよ」
「相変わらず気配りができる男だな。ありがたく頂こう……いや、これは流石に濃すぎないか?」
「きつけですよ。ヴェルドさんが徹夜明けに飲むお茶よりは薄いと思います。あと、俺とエカラット様の平和な朝を一気に騒々しくしたお礼です」
「おい、後半」
一口飲んで盛大に眉を顰めたヴェルドさんに、エベンがしれっと返す。変わらない二人のやり取りを見ると、ここが見慣れたシズン商会の部屋に見えてきて気が抜けてしまう。
けれど、ここはヴェルドさんの部屋では無いし、彼がここに来た理由を聞かなければならない。
「エベン、ありがとう。ヴェルドさんはもう落ち着きました? 要件をお伺いしたいのですが」
「ああ、そうだ。……明後日は何の日か覚えてるか?」
「明後日? ええと……あ、アイさんとお茶会する予定だったわね、エベン」
「……エカラット様。実はそのお茶会、ささやかながら貴女の誕生祝いも兼ねていたんですが、ヴェルドさんの様子を見るにそれどころではないかもしれません」
「あら、そうなの? サプライズってやつね? 凄く嬉しいのだけど、ネタバラシして良かったのかしら?」
「そうだ、お前の誕生日だ。そしてお茶会とやらは中止にしておけ。それどころでは無いんだエカラット! お前は自分が置かれている状況を分かっているのか!」
ガチャンと乱暴にカップを置く音に飛び上がってしまった。私は驚き呆けた顔をしているけれど、ヴェルドさんは苛立ちが隠せない様子だ。
彼に怒られた経験は数え切れないけれど、こんな風に怒られるのは初めてで戸惑う。
「まったく! 変わらないと思っていたが、モーヴ領ののんびりした空気にすっかり馴染んだなお前は! 僕が夜通し馬を走らせてきた理由が、まさかお前の誕生日を祝うためだとは思ってないだろうな!?」
「す、すみません……」
「ヴェルドさん、落ち着いてください。エカラット様を驚かさないでくださいよ。ほら、お茶をもう一杯」
「表面張力ギリギリまで注ぐな飲めないだろう! まったく……あのな、お前は明後日の誕生日で、晴れて成人となる訳だ」
「ええ、十六歳になります」
「成人後、お前は正式に書類上からも勘当される。サプライズのお茶会などやってる暇は無いんだ。分かるか?」
「……書類上の手続きは、宰相様が請け負ってくださると聞いてますが」
私が勘当されるに当たり、面倒事を一手に引き受けてくれたのはアジュール宰相だ。義父様との取引までしてくれた。その事を思い出すと、王都に足を向けて眠れなくなる。
「そう、そのはずだった。が、ここにきてトゥフォン侯爵がゴネ始めた」
「義父様が?」
「『我が家の面倒事を、全て宰相殿に背負わせるのは申し訳ない』とか何とか。それで、わざわざ手続きのためだけに、トゥフォン家の者が明後日ここに来る」
「えっ!?」
思わず椅子から立ち上がってしまった。
王都から離れて数十日。もうあの日の出来事は遠い過去のように感じていて、他人事のように思っていた。
だけど、そうじゃない。問題はまだ全部片付いていなかったし、ヴェルドさんの言う通り、私は平和ボケしていた。
「……手続きのためだけに、わざわざここへ?」
「そうだ。お前の詳しい居場所はギリギリまで隠していたんだが……どこから漏れたのか。トゥフォン家の者だけでここに来るらしい」
「私の居場所は、遅かれ早かれ知られてましたし……だけど、わざわざ調べたって事ですよね」
「待ってください、つまりそれって……ただの嫌がらせじゃないですか!」
そう、エベンの言う通りだ。
アジュール宰相は私の勘当に際して、私本人に直接会う必要が無いように進めてくれていた。
なのに、ここにきてそんな必要の無い事をするというのは。
「……誰が来るんですか?」
「それが問題なんだ。……お前の妹、コライユ様が来る」
「コライユが……?」
何で、と叫びたくなった。
これは無意味な嫌がらせだ、なんて事は状況を見ればすぐ分かる。
それを、私の妹が。
「……そこまで、恨まれているんですか」
「エカラット様……」
「確かに、私は妹をあの家に一人、置いてきてしまいました。だけどあの子は私なんかより上手くやっていた! 私が居なくなったところで何の問題も……」
「無いと言い切れるか? それはお前の希望的観測だろう。僕はあの家の事を詳しく知っている訳ではないが、あの義理の父親だぞ? お前が知らなかっただけで、コライユ様も悩みを抱えていた可能性はある」
「……」
「……それにしても、これはやり過ぎだと思うがな」
ヴェルドさんが溜息を吐き、私は椅子に力なく座った。
何か言おうと思ったけれど、今口を開いたら喋ったら泣いてしまいそうだ。溢れてしまわないよう、顔を覆う。
あの日、家を出た時と同じ感情が、胸の奥でぐるぐると回っている。そんな私の代わりに、エベンが口を開いてくれた。
「……それを伝えるために、来てくれたんですね」
「ああ。手紙を出していたら間に合わなかったし……それに、エカラットが書類上からも正式に勘当された瞬間から、こいつは貴族でなくなる。その隙をついて、相手が何がしてくる可能性はゼロじゃない」
「成る程。貴族に対する無礼罪、とか何とかですね」
コライユはそんな事する子じゃないわ。そう言いたかった。
……本当に? 本当に、あの子はそんな事しない?
あの子の顔を思い出す。浮かんできたのは、幼い頃のあの日。
私が裏庭でドレスを汚して、義父様に叱られたあの日。私を見下すような、冷たい赤銅色の瞳だ。
……コライユの目は、あの日から変わってなかった? 『上手くやっていた』のは義父様の前だけじゃなくて、私の前でも、だったの?
「エカラット様」
のろのろと、顔を上げる。涙で滲んだ視界に映ったのは、今日まで変わらない空色の瞳だった。
「エカラット様。起きてしまった事は、もうどうしようもありません。なら、最善手を尽くすしかない」
「……最善手なんて、何も無いわ」
「あります。まず、相手は貴族です。失礼の無い対応が出来るよう、出来る範囲で準備しましょう。あとは身の安全の確保、ルー伯爵に報せます。……ヴェルドさん、この事に対して宰相様は何と?」
「家族の問題だと、トゥフォン侯爵に切り捨てられたらしい。が、全て承知の上だ。コライユ様が来る事も知っている」
「……分かりました。それで、ヴェルドさん。まさかこんな報せを持ってきてとんぼ返りなんて事、しませんよね?」
「当たり前だ。全て見届けて宰相様に伝える。……しかし、僕とお前達の関係は内密だ。同席は無理だぞ」
「ええ、それで十分です。でも、諸々の準備は手伝ってくださいよ? 俺、貴族への失礼の無い対応って知らないんです。今までもこれからも、エカラット様だけの従者なので」
そっと、私の手の上に暖かいものが触れた。
いつの間に握りしめていたのだろう。私の固く閉じた手を、エベンがそっと包み込んでくれた。
「エカラット様、大丈夫です。俺が居ます」
「……エベン」
「俺が隣に居ます。何を言われようと、俺は貴女の隣に居る。それは絶対変わらない。貴女が貴族でなくなっても」
「……」
「それに俺、少しだけ武術の心得があるんです。今まで隠してきましたけど。相手が手を出してきたら、その場で叩きのめしてやりますよ。……あと、そうですね。最悪ここに居られなくなったら、二人で旅に出ましょうか。実は俺、サバイバルの心得もあるんですよ。どうです? こんな有能な従者が隣に居て、まだ不安ですか?」
エベンの瞳が、柔らかく笑みの形になる。
物心ついた時から見慣れた、いつも変わらないあの瞳だ。
「……不安よ。とても不安なの」
「……エカラット様」
「でも、そうね。貴方が居るなら、きっと大丈夫よ。ええ、貴族様を出迎える準備のついでに、旅の支度もしておくわ。……手伝ってくれる?」
まだ滲んだままの視界で、何とか笑顔を作る。
エベンは、分かりましたと笑いながら言って、私の手を強く握りしめた。




