第二十八話
その後、ヴェルドさんは二杯目のお茶を豪快に一気に飲み干して、ルー伯爵の邸宅に行くと席を立った。
「少し休んで行った方がいいのでは?」
「今休んだら即寝落ちする。エベンのお茶で頭がしゃっきりしている間に出来る事は全て済ませておきたい。休むのはその後だ。それに……」
「それに?」
「……お前の背後から『せっかくいい雰囲気なんだから空気読んでちょっと席を外してください』的なオーラが見えるからな」
「?」
「ヴェルドさん、ポット一杯お茶のおかわりはどうです?」
「頭からぶっかけるつもりだろ、遠慮する。……また後でこちらに戻るから、お前達は少し落ち着いて休んどけ」
そう言いながら、頭をポンと軽く叩かれた。銀の瞳が柔らかく細められる。
「突然の訪問でこんな報せを持ってきて、すまなかった」
「……いいえ。ヴェルドさんが来てくれなかったら、酷い事になっていました」
「頼もしいな。さっきまで泣きそうな顔をしていたのに」
「くよくよしても何も始まらないですし。それに……ヴェルドさんが居てくれるなら、心強いです」
「そうか。……あー、その言葉はお前の後ろに居る奴にも言ってくれ」
「後ろ?」
先程までの優しい表情とは一変、苦い顔で指をさす方に顔を向けると、何故かふくれっ面のエベンが居た。
「エベン? どうしたの、そんな顔して」
「……何でもありません」
「眉間にそのまま刻まれそうなシワ作っておいて、何でもないって事はないじゃない。何なのよ、一体」
「……あー。取り敢えず僕はいったんルー伯爵のところに行ってくるからな。クラーフォンセにも会っておきたいし」
「ああ、お二人は友達ですもんね」
「友達というにはまた違う感じなんだが……まあ、とりあえず行ってくる。そろそろエベンがポットを僕の頭に投げてきそうだからな」
それじゃ、とヴェルドさんは片手を挙げて我が家を後にした。
……夜通し馬で駆け抜けてきた、と言っていたが、途中で倒れたりしないだろうか。少し心配だ。
「エカラット様」
呼ばれて振り向くと、未だ膨れっ面のエベンが後ろに立っていた。
「なあに?」
「……俺よりヴェルドさんの方がいいんですか」
「いい? それはどういう意味よ」
「……頼りになるとか、そんな感じです」
ふい、と顔を逸らしてみせるエベン。これは今まで見たことのないものだ。物珍しさに少し困惑しながら、私は苦笑いを浮かべそんな事はないわ、と言う。
「あのね、私がこの世で一番頼りにしているのはエベンなのよ?」
「……本当ですか?」
「本当よ。そうじゃなければ、右も左も分からない辺境の地に連れてこないわよ」
「……エカラット様は聡明でいらっしゃる。お一人でも十分に暮らしていけたでしょう」
「無理よ。それは、生きていくだけならできるかもしれないけれど。でも、そんなの意味がないの。私が私の意地を通すには、一人じゃ到底無理。他の誰でもない、エベンの力が必要なのよ」
「……そうでしょうか」
「そうよ。それに……」
少し言い淀む。従者としてのエベンは完璧だ。……主人に対する態度は置いといて。
でも、今この世界で私のことを一万大切に想ってくれているのは、間違いなくエベンだ。これは確信を持って言える。
「隣にエベンが居ない人生なんて、考えられないのよ。物心ついた時から、私と一緒に居てくれた貴方だから。貴方以外の人なんて考えられないわ」
……これは私の正直な気持ちだけど、改めて口にすると、何故か少し恥ずかしい。
思わず俯いて頬に集まった熱を誤魔化していると、頭上の空気が一転、喜色に染まったものに変化した。
「……へえ、成る程。俺が貴方の隣に居るのが当たり前。そう言ってくださるんですね?」
「そうよ。……あ、でも貴方に良い人ができたら、それはまた別だから」
「……いや、あー。それは……。まあ、その予定は今後絶対あり得ないので安心してください」
「安心? 貴方、生涯独身を貫くつもり?」
「いやいや、そういう意味では。えーと、あのですね……」
「何? はっきり言いなさいよ」
頬に集まった熱はまだ引かないけれど、顔を上げてエベンを真っ直ぐ見据える。
すると、今度は彼の顔がみるみる赤く染まって、ふいっと視線を逸らされてしまった。
「いつか、ちゃんと言います。きちんと正直に、包み隠さずお伝えするので」
「何よ、それ」
「今はまだその時じゃないというか……もう、勘弁してください。俺の将来設計より、今はやる事が山積みでしょう?」
強引に会話を逸らされた気がするけれど。まあ、確かにエベンの言う通りだ。
期限はあと二日。この限られた短い時間の中で、出来ることは全てやっておかなければならない。
「そうね。じゃあまず……家の掃除から始めましょうか?」
「引っ越してきてまだそのままの荷物がたくさんありますからね。多分、このリビングでご対面になるでしょうから……荷解きに時間がかかるものは奥の倉庫に放り込んでおきましょう」
「その後はリビングの片付けをして、お貴族様が口にできるような飲み物のご用意をしなくちゃね。ルー伯爵に分けてもらえるかしら?」
「多分、そのあたりも含めてヴェルドさんが対応してくれますよ」
突然の報せに乱された私達の日常は、未だ波乱の予感を含んだまま。けれどエベンと話しているうちに段々と気分が落ち着いてきて、先の事を考えられる思考力が戻ってきた。
問題は山積みだけれど、多分大丈夫。さっきまで不安でいっぱいだった心が徐々にほぐれていき、いつの間にか私は笑顔を浮かべていた。
そんな私に、エベンも笑顔で返す。
勝負は二日後。コライユは勘当の手続きだけ済ませてさっさと帰る、なんて事はしないだろう。
だけど、何が起ころうと、私にはエベンが居る。
きっと、大丈夫だ。




