第二十六話
それからの一週間は、あっという間に過ぎていった。
春の訪れが本格的になり、朝日が顔を出す時間が早くなる。漂う空気も寒さが和らぎ、洗濯物がよく乾くようになった。
「朝イチの洗濯ってこんなに気持ちいいものだったのね」
一週間前、私とエベンが最初に揉めたのが家事の役割分担だった。
勘当されたとはいえまだ書類上は貴族である私を、エベンは屋敷に居た時と同じように扱おうとした。家事を全て自分がやる、と言って聞かなかったのだ。
「それは不平等よ、エベン」
「不平等でもなんでも、エカラット様に家事をさせるのは……」
「裏庭でやってた事の延長と考えてみてはどうかしら? あの庭では、私達平等だったでしょ」
「それはあの家の中だったからで……正直、今のあなたをどう扱っていいのか俺には分からないんです」
「私の扱いに正解や不正解があるの?」
「そういう意味ではなく……はあ、分かりました。俺の負けです」
眉を下げ、困っていますといった様子を隠さずに大きな溜息を吐く。
相変わらず失礼な態度だけれど、その時のエベンは……何というか、いつもの私を揶揄う態度とは少し違って見えて。
だから、私はそれ以上は何も言えずに口を尖らすくらいしかできなかった。
そんなこんながあって、家事分担は半々……エベンが少し多いくらい、になった。
朝の洗濯は私、その間にエベンが朝食を作ってくれる。昼食と夕食は二人で。掃除は主に私が担当で、その他の雑務はエベンがやってくれる。
この雑務というのがなかなかに多い。あの家に居た時は、裏庭で簡単な料理をしたり掃除もしていたけれど、人が暮らす環境を整えるというのはこんなにも大変だったのか、と思い知った。
この一週間で、エベンの存在が本当にありがたいと実感した。多分、私一人だったら適当な生活になっていただろう。
「さて、今日でちょうど一週間になるわね」
ルー伯爵が言っていたクラーフォンセさんの業務引き継ぎ、早くて一週間と言っていた日が今日だ。
一週間、私達はここでの生活を整えると同時に、何度かレトルドレ学園に足を運んでいた。
というか、同じ敷地内にあるので、散歩のついでに立ち寄れる距離にある。
アイさんとはこの一週間でかなり仲良くなれたと思う。同性で歳が近い友達が今まで居なかったので、私がアイさんに懐いているとも言う。
そうそう、歳が近いとは言ったけど、アイさんは私より五つ年上の二十歳だった。せいぜい二個上くらいかと思っていたのでびっくりだ。
そして、驚きの事実はもう一つ用意されていた。
「実年齢は二十歳なんだけどね、戸籍上では二十二歳になるの」
「えっ?」
「それってどういう事ですか?」
その日は子供達の数が少なく、アイさんの見事な手腕でお昼寝の寝かし付けに成功した。ので、家からティーセットを持ってきてアイさんとエベンの三人でお茶をしていた。
ちなみに、お菓子のスコーンはエベンの手作りだ。私には食べ慣れた味だけど、アイさんは一口かじった瞬間軽く目を見開いて、エベンにレシピを聞いていた。少し多めに持ってきたので、子供達に見つからないようお土産に渡そう……と、思っていた時に、この爆弾発言だ。
私たちの国、グラス王国では住民登録制度が採用されている。が、蜘蛛の巣が生えているような精度で、管理は杜撰。まともに機能しているのは貴族位くらいだけで、平民となるとこうして年齢の詐称も難しくない。
一応、法に触れる事なんだけれど……どこぞに訴えるつもりはさらさら無いし、アイさんにとっても世間話くらいの軽い話題らしい。
「私ね、この国の出身じゃないのよ。バーントアンバー国にある、マルーン山脈辺りで産まれたのよ」
「マルーン山脈って……この国との国境線上にある、あのでっかい山ですか?」
「大陸一の山脈と言われているわね」
バーントアンバー国はグラス王国の隣にある国で、この大陸内では比較的新しい国だ。長い間、バーントアンバー国が一つの国としてまとまらなかった最大の理由が、環境の厳しさにある。マルーン山脈の山頂は未だ人類未踏の地で、山脈の終わり、北の大地は氷に覆われているらしい。
そんな隣国の情勢は、長い間不安定だ。元々小さな国が集まってできた国なので、国内では度々対立が起こっている。
「山脈周辺で、十年前に小さな戦争があってね。歴史書にも載らないような戦いだったんだけど、私が住んでいた町は全て焼かれてしまったの。生き残った私は、いわゆる戦争孤児ってやつね」
「そうだったんですか……」
「一年くらい辛い日々が続いたけど、ある日グラス王国から来た旅商人に出会ってね。読み書きができたからって拾ってもらったのよ」
あっけらかんと話しているけれど、故郷が焼かれた時、アイさんはまだ十歳。 ……きっと、私の想像するより遥かに厳しい日々だっただろう。
「その旅商人の一人と結婚して、このモーヴ領に帰ってきたの」
「えっ」
「え?」
「……アイさん、既婚だったんですか」
「あら、言ってなかったっけ? ついでに言うと子持ちよ」
「えええっ!?」
子供達がやっと寝付いたというのに、思わず大声を上げてしまった。私は慌てて口を塞ぎ、床に敷き詰めた布団の上で寝ている子供達を見遣る。
幸い、みんな深い夢の中に居るようで、私の大声くらいでは簡単に起きなかった。
「子持ちって、本当ですか?」
口を閉じた私の代わりにエベンが聞く。彼も大分驚いているようで、まだ信じられないと言った風にアイさんを見ている。
「そうよ。五歳の息子が居るの」
「そうなんですか、五歳の。……ん? ちょっと待ってください。アイさんって戸籍上は二十三歳ですけど、本当の年齢は二十歳ですよね」
「そうよ」
「……ということは、少なくとも十五歳のときに産まれた息子さんという訳で……」
「そうよ」
「……グラス王国では成人になる十六歳まで、性的接触は法律で禁止されているはずじゃ」
「そうね。でも、子供作ったときはこの国の住人じゃなかったし……それも法律違反になるのかしら?」
「いや、法に触れるとかそれ以前の問題で、旦那さんのモラルとかですね……いえ、いいです。これ以上聞くのは怖いので止めておきます」
エベンが若干引き攣った顔で話題を強制終了させた。私も、あはは……と乾いた笑いを零すしかできなかった。
……なんだか色々とヤバそうなアイさんの旦那さんは、もうすぐ仕事を終えてモーヴ領に帰ってくるらしい。改めて紹介してもらうことを約束して、その日は子供達の世話で終わった。
そんなこんなで、あの日からちょうど一週間の朝である。
アイさんの爆弾発言以外には特に波乱も無く、私にとっては十年ぶりくらいに平和な日々を過ごした。
人間ってストレスから解放されるとこんなにも寝つきがよくなるんだ、と実感したのが二日目の朝。同時に、私が自覚してなかっただけで、あの家で過ごす時間は自分にとってストレスだったんだと気付いた。
ご飯は何を食べても美味しいし(エベンの料理の腕がかなりのものだという点も踏まえて)、何となく肌の調子も良くなっている気がする。体の中からすっきりとした感じがして、全身が軽い。
王都と違い遮るものが何もない、朝焼けに輝く空を見上げて深呼吸。こうすると、さあ一日が始まるぞと、体と脳が自然と働き出して気持ちがいい。
「こんな日がずっと続けばいいんだけど」
ポロリと零れた言葉は本音だ。
紆余曲折あって家を出る選択をした私だけど、刺激的な日常が好きなわけじゃない。私はどこにでも居る普通の人間だし、平穏な日々を最も幸せだと感じる。
出来る事なら、エベンと一緒にいつまでもこんな日々を送りたい。
……そんな私の願いは、朝食が終わる頃に荒々しく扉を叩く音で、終わりを告げた。




