第二十五話
「幼少教育?」
自宅に戻り、私の提案にルー伯爵は首を傾げた。先程の三人と全く同じリアクションで、思わず笑ってしまいそうになる。
因みに、ルー伯爵のお迎えの人は外で待ってもらっている。これはなるべく内輪で進めたい話だ。
「ええ、そうです。既に子供は集まっています。ぱっと見の印象ですが、もうみんな言葉は話せるくらいの知能は持っていますよね?」
「そうなのかい?」
「ええ。大体三歳前後の子供が集まっています」
クラーフォンセさんが頷く。
レトルドレ学園は学園長が居ない、建物と広大な土地、名前だけの場所だ。インティ栽培はルー伯爵の名義で私に譲渡されるわけだけど、彼が関わっているのはあくまでインティ畑だけ。学園の内情はクラーフォンセさんの方が詳しい。
「まあ確かに、あそこは学園だけれど……」
「あくまで私の経験談ですけれど、学び始めるのは何歳からでも早過ぎる、ってことはないんです。あの歳なら……そうですね。新しい言葉を学んだり、文字の読み書きを教えたり」
「文字の読み書き?」
ルー伯爵が驚きに目を見開く。驚くのも無理はない。我が国において、庶民の識字率は高くない。特にモーヴ領のような辺境の地では、文字を知らなくても暮らしていける。
識字率が高くないというのは、王都に居た頃ヴェルドさんから聞いた。今は商会長として忙しくしているけれど、幼い頃は商会の馬車に乗ってあちこちを旅していたらしい。その時に得た知識が、今の彼を形作っている。
……ヴェルドさんの話はさておき。
又聞きだったけれど、ルー伯爵の反応を見る限り当たりだったみたいだ。モーヴ領も、他の辺境地と同じく、平民の識字率は低らしい。
だからこその幼少教育だ。これが成功したときのリターンはどのくらいになるのか、想像しただけで楽しくなってくる。
私はこの領の民ではない。けれど、モーヴ領はグラス王国の領地の一つ。それにこれからお世話になる場所でもある。私が動くことで何かプラスに働くなら単純に嬉しいし、アジュール宰相の言う『本当の学び舎』実現への第一歩になると思う。
「確かに私も、あの頃の年齢は勉強を始めていた、かもしれない」
「何で疑問形なんですか」
「だって、もう三十年以上前の話だよ? 私は君みたいに記憶力お化けじゃないんだから」
「ああそうでしたね。忘れがちですが、うちの主人ってもうおじさんでした」
「はっはっは。言うねぇクラーフォンセ」
仮にも貴族に……と考えても仕方ない。この二人はかなり特殊な関係だ。ルー伯爵がこの態度を良しとしているなら私が何か言う必要もない。
……ないんだけど。何だろう。エベンを見ているようでツッコミたくなる。
「私も、三歳くらいの時には勉強を始めていました。五歳頃には自主学習も」
「すいませんお二人とも。うちの主人はかなり特殊なので目安にしないでください」
「あなたって本当失礼ね」
クラーフォンセさんに乗ってしれっと私を侮辱するエベンを睨み付ける。が、この程度ではうちの従者は眉一つ動かさない。それどころか、私をおちょくって楽しそうな笑みを浮かべていた。
「とにかく、あの歳からでも学べるものって意外と多いと思うんです。やってみて損はないかと」
「ふむ……」
「オレは良い案だと思いますよ」
「俺も賛成です」
エベン、クラーフォンセさんが賛成と手を挙げてくれる。
それを見て、ルー伯爵は少しの間目を閉じ、次いでニコリと笑みを浮かべた。
「……よし、良いだろう。やれるところまでやってみなさい」
「ありがとうございます!」
「まあ、あの学園における私の権利なんてほとんどないから、好きにやっても大丈夫なんだけど」
「長期的な視点で考えると、これが成功すれば領に与える影響は計り知れません。なので、領主としてのルー伯爵の意見は重要です」
「それもそうだ。じゃあ、今ここで決められる事は全て決めてしまおう」
そう言い、ルー伯爵はくるりと後ろを振り向く。そこに立っているのはクラーフォンセさんだ。
「君、学園長になりなよ」
「はい。……はいっ!?」
私とエベンも、突然の提案に思わず「えっ!?」と声を上げた。当の本人が一番混乱しているようで、目と口を開いてルー伯爵を見つめている。
「書類はうちにあるから手続きは帰ってからだね。住む場所は今まで通りうちからでいいよ。業務の引き継ぎが終了次第、学園運営に勤めてくれ」
「ちょちょ、ちょっと! なんでオレが! 色々突然すぎます!」
「君以上の適役は居ないと思うけどな。学園を本格的に運営するとなると、トップが必要だ。今まで曖昧にしてきたけれどこれからはそうもいかない。だよね? エカラット嬢」
呆然としているところにいきなり話を振られて、私は慌てて考えをまとめる。
ルー伯爵の言う事は全て賛成だ。クラーフォンセさんがトップに立つことで、こちらに不利益が生じる可能性は低い。今日初めて出会った人だけれど、ヴェルドさんの友人(……というか腐れ縁?)というだけで信用に値する。
今日の様子を見るに、学園の事を一番よく知っているのはクラーフォンセさんだろう。頭脳の良さはいわずもがな、コミュニケーション能力もまったく問題ない。問題なさすぎて、仮にも伯爵位とフランクに喋れるくらいだ。
「……団体活動を行う上で、責任者が曖昧なのは問題です」
「おい、まさかお前も賛成とか言わないだろうな」
「そのまさかです。いいじゃないですか、学園長!」
「おい、おい、おい! 気が早いというかその呼び方止めろ!」
「エカラット様が賛成なら従者の俺は逆らう事はできません。よろしくお願いします、学園長!」
「お前の立ち位置がよく分かったぞエベン。ツッコミと見せかけて悪ノリする奴だなお前!」
エベンに絡み始めたクラーフォンセさんを横目に、ルー伯爵が私の方に向き直る。
「説得は私の方でやっておくよ。こちらの引き継ぎが終了次第、クラーフォンセと一緒に学園運営を始めて欲しい。頼めるかな?」
「ええ、いつでも。インティの栽培と研究だけでは時間を持て余しそうだったので、願ったり叶ったりです」
ルー伯爵の笑顔に、私も笑みで返した。
帰り際までぎゃいぎゃいと騒いでいたクラーフォンセさんは、ルー伯爵に引きずられて領主館へ帰っていった。領主館での業務の引き継ぎは、早くて一週間以内に終わるらしい。
私達はその間に生活の拠点を整えて、本格的に学園運営とインティ栽培、及び研究に取り掛かる。
やる事は目白押しだ。でも、忙しいくらいがちょうどいい。
「さて、どうなることやら」
「なるようになりますよ」
私の呟きに、エベンが軽く笑ってみせた。
彼の言う通りだ。なるようにしかならない。なら、その中でも最善の選択だと信じた道を歩むだけだ。
こうして、モーヴ領での私たちの新しい生活が始まった。




