第二十話
「宰相殿から話を聞いて、この家を紹介したのは私なんだ」
ニコニコと笑顔を浮かべて、ルー伯爵は荷物を運ぶ。
予期しない訪問者に未だ頭がついていかない私達をよそに、手伝うね、と軽い調子で言われてしまい、止める間も無く引越し作業に加わった。
現在はキッチンとダイニングの片付けをしている。広さは十分、二人だと少し広すぎるくらいだ。
「無駄に余らせてるなら有効活用すればいい、って言ったら二つ返事だったよ。家は人が住まないと朽ちてしまうからね。助かったよ」
「いえ、助かったのは俺達です。あの伯爵様、引越し作業は俺がやるので、あちらでエカラット様と座っててください」
「人手は多い方が良いだろう? 効率的に動いてさっさと済ませよう。あ、エカラット嬢。そこに置いてある木箱は私からの贈り物だ。当面の食料が入ってるから、後で貯蔵庫に運んでおいてね」
「ええっ、良いんですか? ありがとうございます!」
「エカラット様も、何で当然って感じで働いてるんですか! 俺の立場が無いじゃないですか!」
「いやあ、エベン君は良い主人に恵まれたね。あ、料理はできる? 簡単な物で良いなら私が教えてあげられるけれど」
「家事は一通り出来るので大丈夫です。……いやそうじゃなくて! お二人共貴族らしく過ごしてくださいよ! 調子が狂います!」
「あっはっは」
「あっはっは、じゃなくて! ああもう、何なんだこの伯爵様! エカラット様とはまた違うタイプの貴族だ!」
「王都の『貴族らしさ』と、このモーヴ領の『貴族らしさ』は全く違うんだよ。まあ、たまに私も従者から「私達の仕事を取らないで下さい!」って怒られるんだけど。テーブルはここに置けばいいのかな? エベン君、一緒に運ぼう」
「もう突っ込むのやめていいですか?」
どこかぐったりした様子のエベンの背中を、慰めるように軽く叩く。
ルー伯爵の調子に飲まれてしまったけれど、確かに彼は貴族らしくない人だ。この数十分の間の言動ではっきりとそれが分かった。
モーヴ領は王都から最も離れた辺境の地だ。土地が違えば文化も違う。
彼は、この地では貴族ではなく、領主として手腕を振るう一人の為政者だ。貴族との交流より、領民と過ごす時間の方が遥かに長い。彼の気さくさはそこから来ているんだろな、と思った。
よいしょ、とテーブルを運ぶルー伯爵の、くるくるとした赤い癖毛が揺れる。私は収納棚にお皿を置きながら、ふと叔父の言葉を思い出した。
「赤い羊……」
「私のあだ名を知っているのかい? ……ああ、そう言えば君の父君はブロンシュの兄だったね。暫く見てないけど、あいつは元気に過ごしてるかい?」
「いえ、私もトゥフォン家に入ってからは没交渉で……」
「……アルジャンドレ侯爵か。宰相殿から話は聞いてるよ」
トゥフォンの名を出した途端、温和な雰囲気から一転。ルー伯爵の纏う空気が重いものに変わる。
エベンを見ると、彼も苦い顔を浮かべていた。想像通りというか、ルー伯爵と義父様の仲はよろしくないらしい。
「元々いけ好かない奴だと思ってたんだけど、君に降りかかった一連の出来事を聞いて、彼の評価は私の中で地に落ちた。……ほら、人間ってどうしても好き嫌いが分かれるものだろう?」
「ええ、それは同意です」
「私がモーヴ領に引きこもっているのは、王都の貴族の殆どがああいう手合いだからだ。まあ、ごく一部はそうではないけれど」
「例えば宰相様とか?」
「彼はその筆頭だね。あとは、君の叔父がそうだ」
「宰相様と知り合ったきっかけって何だったんですか?」
「短期間だったけど、私も王宮勤めをしていてね。顔だけは知ってたんだ。一年もしないうちに王都の貴族連中にウンザリして、モーヴ領に帰ろうかなと思ってたんだ」
王宮勤め、という言葉を聞いて驚いた。この伯爵にあの王宮は、なんというか似合わない。産まれてから今までモーヴ領の自然の中で育ってきました、という感じだ。
義父様を嫌いだと言ったのは、王宮勤め時代に何かあったのだろう。
「けど、帰ろうにも仕事が立て込んでしまって、なかなか帰れなかったんだ。で、ある時参加した夜会で限界が来ちゃってね、挨拶もそこそこにバルコニーに逃げたんだ。そしたら先客に宰相殿が居て……そこから意気投合して今に続く、って感じだね。かれこれ十年くらい前になるかな」
「長いお付き合いなんですね」
「モーヴ領に帰るのに便宜を図ってもらったんだ。会うのは年に数回だけど、手紙でこまめにやり取りしてるよ」
「お友達、って感じですか」
「というよりは仲間かな。友、と呼ぶなら君の叔父がそれに当たる」
運んだテーブルに手を付き、窓から外を見る。明るい茶色の瞳は、光の加減で赤にも見える。
不思議な瞳の色だな、と思った。
「叔父が友……ですか。少しだけお話は伺っていますが」
「ブロンシュとの付き合いはもう二十年以上になるね。同じ伯爵位でも、こっちは辺境伯であちらは王都の貴族だ。この違いは分かるね?」
「ええ」
同じ爵位でも、王都住みとその他では大きな違いがある。
簡単に言えば、王都に居を構える貴族はその爵位の中でも上、王都周辺の地域なら中、モーヴ領のように辺境の地は下となる。法令で定められているものではないが、貴族間の暗黙のルールとして、同じ爵位でもそのように差別化されているのだ。
私の生家、バストン家は長いこと王都住みだった。伯爵位の中でも上位で、歴史もそれなりに長い。
一方、ルー伯爵の生家、カクス家の始まりはモーヴ領で、王都に居を構えたことがない。ルー伯爵が王都に居た時は、貴族向けの賃貸を利用していたのだろう。
そういうわけで、同じ爵位と言っても上と下では気軽に親交を深めることは無理だ。住んでいる場所がお互い遠いという物理的な理由もあるが、王都住みは王都の中で現敵的なコミュニティを作るのが通常だ。
けれど、ブロンシュ、と叔父の名前を呼ぶ声は、親しみが込められている。表情も柔らかだ。
「あいつの放浪癖は知っているだろう? この土地にも何回か訪れているんだ」
「叔父は今年で三十八歳なので……少なくとも十八歳からバストン家を抜け出しては放浪していたんですね」
私が呆れたように言うと、「放浪癖は兄弟揃ってだろう?」と返された。
確かに、お父様もバストン家を抜け出してシズン商会にお世話になっていた。けれど、放浪のスケールが違いすぎる。
「お父様の弟ですが、数えるほどしか会った事がありません。トゥフォン家に移ってからはほぼ没交渉です」
「ブロンシュにあまり良い印象を持っていない?」
「……そうですね。ええ、はっきり申し上げると」
「結局、お手紙の返事ももらえませんでしたしね」
「エベン、黙りなさい」
……アジュール宰相に断られたときの手段の一つとして、バストン家に頼る方法を考えた。
それで手紙を出したのは一か月以上前のことだ。正直言うと、少し期待していた。大好きなお父様の弟。又聞きだけど、人柄も好ましいと思っていた。
私が勝手に期待していただけで、叔父様は悪くない。
悪くはないけど……期待した分の気持ちを返して欲しい、なんて思うのは、子どものわがままだろうか。
「まあ、バストン家を顧みなかったあいつの自業自得だね。でも、ここに訪れた時は、少しで良いから話を聞いてやってくれないかな」
「それは、まあ……」
「君をトゥフォン家にやってしまった事を酷く後悔していたよ。今回の出来事はまだ知らないだろうけど、知ったら恐らく飛んでくるだろう」
「……」
「許してやって欲しい、とは言わない。でも、あいつの友として頼む。ちょっとでいいから、あいつの言い訳を聞いてやってくれないか」
「……伯爵がそこまで仰るのなら」
叔父に対しての感情は微妙だ。私が大変だった時に助けてくれなかった、なんて子供じみた感情が拭えない。
そんな私の考えなんて、大人はお見通しだ。ルー伯爵は笑って頼むよ、とだけ返した。
「俺はブロンシュ様にお会いしたいですけどね」
「あら、エベンは叔父と懇意だったかしら?」
椅子を置き、エベンが言う。私と伯爵に向かい「どうぞお座りください」と言い、私と交代でキッチンに入った。覗き見ると紅茶の缶を持っていたので、どうやら一休みしてお茶を淹れてくれるようだ。
「ルー様、茶葉にこだわりはありますか?」
「お茶会だったらロザナのセカンドフラッシュ、と言ってたところだけど、美味しければなんでもいいよ」
「シズン商会取り扱いの茶葉なので、味の保証はします。……エカラット様と同じで、ブロンシュ様とは数えるくらいしかお会いしてません」
「じゃあ、何で?」
「単純に興味があるんです。破天荒な貴族ってバストン家で慣れてたと思ってたんですが、お話を聞く限りじゃブロンシュ様は突き抜けてるじゃないですか」
「突き抜けすぎて、今どこに居るのか分からないくらいよ」
「なので、どんな方なのかなと。多分エカラット様と気が合いますよ」
「……今のところ印象はマイナスだけど」
「それでも、バストン家の方です。大丈夫ですよ、きっと良い人です」
エベンが笑い、私は居心地が悪くなる。
幼い頃の記憶しかない叔父を、私はどこか怖がっていた。血の繋がりはあるけれど、関係は希薄だ。それをエベンに見抜かれていたらしい。
お父様のご両親、私の祖父母は早くに亡くなり、バストンの名前を名乗っているのは今や叔父だけ。お父様の記憶を語り合う事ができるのも、彼しか居ない。会いたいけれど、十年近くの没交渉が私を臆病にさせていた。
朧げな記憶だけど、悪い人ではない。多分。気が合うかどうかは分からないけど、今の私には隣にエベンが居るから、きっと大丈夫。
「ところで今更ですが、ルー様は何故ここへ? まさか引越しの手伝いをしに来ただけではないでしょう」
エベンの疑問に、そう言えばそうだった、と思い出す。
ルー伯爵のペースに飲まれていたけれど、表立って動くと面倒、と言っていた。ならば、彼は「伯爵」という立場でここを訪れたのだろう。……引越しの手伝いをする伯爵なんて、私から見てもあり得ないが。
「引越しの手伝いももちろん目的だったけど……まあ、エベン君の言う通りだ。エカラット嬢、君の今後についての話をしに来た」
先程までの気さくな青年の鳴りを潜め、私の目の前には一人の貴族が座っていた。




